ミレニアムの頃のこと。
乙武洋匡氏が「五体不満足」でデビューしたばかりの頃で、欠損バーなど影も形もなく名実ともに「日陰の存在」だった頃、devotee達が集うSNSがあった。
いや、「SNS」という言葉すらなかった。なにしろmixiすら無かったのだ。
そのコミュニティは「MOON BASE」と言った。
いやぁ、同好の士で盛り上がりました。懐かしかったです!
— 伊東宏起 (@hmito2) 2018年11月3日
拙ブログでもこれまでも何回か、このMOON BASEについては言及しているが、参加したほとんどが口を揃えて言っていたのが、
「こんな趣味は自分一人だと思っていた。ネットのおかげで仲間に出会うことができた」
自分自身も同じようなことを思っていた。
それで、非常にamputee談議で盛り上がったものである。
自分もまだ20代で、コミュニティの中ではかなり若い方だった。
たまに、実際のamputeeの女性が降臨し「女神」と呼ばれて喝采を浴びていた。
また、「amputeeが好き」が嵩じて「amputeeになりたい」というwanabeeの女性が、実際にロングスカートを履いて足を包帯で折りたたんでコンビニに買い物に行ったというという投稿もあった。
最初はexciteフレンズに開設したかと思う。
その後管理人が事情で引退し、別の人がyahooグループで継続したはずである。
yahooグループ時代の末期になると、書き込みもほとんどなく、amputee女性を装ったネカマが実際のamputee女性に迷惑をかけた云々のような話があった。
確かその人も、exciteフレンズ時代の全盛期には、目撃報告など色々書き込んでいたはずである。
結局、2014年5月28日にYahooグループ自体がサービス終了したのと同時に、MOON BASEも再開せずそこで終わったのだった。
もうあの頃の盛り上がりは還って来ない。
それでもやっぱりあの日々をもう一度甦らせたい。
そんな思いと共に、欠損大好きSNS「アクロ友フィリア」を正式オープンすることとしたい。
登録手順はこちら。
そして倶知安駅に到着。
北海道後志管内の最大の都市は小樽であるが、支庁はあくまでこの倶知安にある。
(決死モデル:チームY宇崎)
ところで、この山線を倶知安まで乗っていた親子連れがいたのだが、お母さんの怒鳴り声がとにかく柄悪かった。
「死ね!死ね!」
「ママ~・・・」「しっ!」
これで子供がまともに育つのだろうか、傍目にもちょっと心配になる程だった。
それに加え、この倶知安駅の駅名標で写真を撮ろうと思ったのだが、この家族連れが「さっさと撮れよ!」と言いたげにこちらを睨む。
「こちらは決死撮影と申しましてフィギュアを・・・」なんて、言えたものではない(少なくともacrotomophiliaというものを理解しうる文化的資本があるようには見受けられなかった)ので、駅名標はあきらめて機関区側を撮るふりをする。こちらはゆっくり撮影させてほしいだけなのだ。
倶知安機関区は今や、雪をかぶっている。
山線自体の存続すら怪しいといった状況である。
件の家族連れは、なかなか駅名標から離れようとしない。いや、家族連れは悪くないのだ。自分の目的が悪すぎるというだけなのだ。
あー早くそこどいてくれないかな・・・
体感時間にして10分ぐらいたったところで、やっと家族連れは去って跨線橋を渡ってくれた。
さて、倶知安からはもう戻るだけ。
新千歳空港までの切符を買い、またぞろキハ150の中の人になることに。
今回は洗いに出したまま留守番させている子や、紛失・破損したけど補充してない子もいるので人数は少ない。
それで、周回することになってしまった。
ということでまた楼山に出てもらうことにする。
小樽からはさっきナンパモードで買った快速エアポートのuシートの指定席に乗って行く・・・
と思ったら既に座ってる?
改めてみると、間違って15:00発のエアポート156号の切符を買ってしまっていた。
本来であれば15:30発のエアポート160号の切符を買うべきだったのだ。
普段やりつけないナンパなんかしてるからこうなる。
兎も角も、小樽駅の改札口から一番遠い1号車に乗ってどうにか座る。
そして新千歳空港へ。
(決死モデル:チームWB嵐山)
決死旅行の時は飛行機に乗る時は常に荷物は預けてきたが、安全検査でもさほど深く調べられないことが分かったので、最近は機内に持ち込んでいる。
あとは東京に帰るだけ・・・
そんな久宝寺~夕張の旅行でしたとさ。