2025年7月19日(土)の東ティモール・ディリの天気は、おおむね晴れ時々くもりの予報です。
日中は晴れ間が広がりますが、午後には雲が出やすく、一部の地域では短時間のにわか雨や雷雨の可能性もあります。とはいえ、激しい雨にはならない見込みです。
最高気温は31℃前後で、日差しの下ではかなり暑く感じられるでしょう。最低気温は23℃程度の予想で、朝晩は比較的過ごしやすくなります。
風は穏やかな南東の風が吹き、沿岸部ではやや強まることもありそうです。湿度はやや高めとなるため、屋外で活動する際には水分補給をこまめに行い、熱中症対策を心がけてください。
目が覚めたら4時ぐらいだった。
それもそうだろう。昨夜は飯食ってすぐに寝入ってしまった。
かれこれ、昨日は風呂に入っていなかったことになるので、風呂に入ることにしよう。
とはいってもシャワーだけだけど。
そして、ノートの方では新しいお題が出てたので、それでヴィーナス児の小説を2つ書いてしまうことにする。
これで、7時過ぎになってしまった。
8時も近くなったので、朝食とすることにしよう。
朝食は、形ばかりのバイキング。
スクランブルエッグかオムレツかフライエッグのどれにすると聞かれたので、フライエッグにすることにした。
パンは、それなりに良いパンだった。
そもそも、パンという言葉がポルトガル語から来ているはずだ。
それと、コーヒーもこの東ティモールで生産している。
ただし、カップには「BRAZILIANO」とあった。
今日は、決死撮影の最南端を更新することにしたい。これまではシンガポールだった。
ミクロレットで行ける範囲で行くことにしたい。
そう思って、ミクロレットの路線図を調べると、5番が一番南まで行くようだ。
その一番南には、キリスト教の教会があるようだ。
ではそこに行ってみることにしようか。
それと、その5番と言うのは市街地だとどこから乗ることができるのか。
それを調べてみると、この5番と言うミクロレット自体、なかなか良いルートを走っているようだ。
もう一方の終点がバスターミナルになると言うのだ。
そちらも行ってみることにしよう。
ホテルでは既に清掃が始まっていた。
黒いお揃いのポロシャツを着たスタッフの女の子たちが掃除を始めている。
その前に、昨日の分のにしこくんブログをアップしてからにすることにしよう。
外に出ると暑い。日陰じゃないところにいたら熱中症になりそうだ。
まずやるべき事は、ATMでお金をおろすこと。
中心部の、なんとなく通信省っぽい佇まいをした建物のところにATMがあるので、そこで下ろすことにする。
意外にあっさり下ろすことができた。
ところで、この迎えにある「CASA EUROPA」という建物が気になる。
要するに「ヨーロッパの家」という意味なのではあろうが、一体どのような性質の建物なのか。
例えば、インドネシアからの独立闘争があったときの国連監視団とか、そういう感じだろうか。
写真をChatGPTに確認させると、以下の通りであるという。
この場所はもともと「Casa Europa(ヨーロッパの家)」として欧州連合が利用していた建物で、現在または将来は「ディリ文化センター」として再利用される予定のようです。政府の文化省が関与しており、改修や用途変更の過渡期にある施設と思われます。
ともかくも、5番のミクロレットは、「フランシスコ・シャビエル・ド・アマラル」という人の像のあるロータリーから出るようなので、そこに行ってみることにする。
ちなみに、英語版WikipediaをChatGPTに要約させるとこういう人らしい。
フランシスコ・シャビエル・ド・アマラルは、東ティモールがポルトガルからの独立を宣言した際に大統領に就任した人物で、いわば“建国の父”の一人。ただしその在任期間はわずか10日間で、すぐにインドネシアの軍事侵攻を受けて山中に逃れた。その後は仲間の内部対立やインドネシア政府によって政治的に翻弄され、バリ島で将軍の使用人をさせられるなど、独立運動の英雄としては異例の屈辱を味わった。とはいえ2000年以降に帰国してからも政治活動を続け、晩年まで大統領選に出馬し続けた強い意志の人。地元では「アボ(おじいちゃん)・シャビエル」として親しまれ、2017年には独立回復15周年を記念してディリに銅像が建てられた。波乱の人生を送ったが、東ティモールの自由を願い続けた人物だったらしい。
途中、サッカースタジアムがあるようだ。
中では何かのイベントをやっているようだ。
作業している男たちが「入れ」と言う。祭りか何かやってるのか聞くと「祭りだ」と言う。
それはともかく、5番のピンクのミクロレットに乗っていくことにしよう。
そして、ガタガタ揺られて、乗っている女たちが、みんな降りるところで降りると、そこは市場のようになっていた。
ここがディリのバスターミナルだった。
バスターミナルの内部には、いろいろな番号のミクロレットが止まっている。
ここが、車庫みたいになっているのだろうか。
そしてまた、いろいろなものが売っており、キャベツなんかも売っている。
郊外に行く便は、軽トラックの荷台に座席を据え付けているような乗り物のようだ。DILI〜○○○ と書いているようなので、それが行き先なのだろう。
バスターミナルの前の看板を見ると、BUS・ANGGUNA・MIKROLET・TAKSIとある。
このANGGUNAが何なのか、ネットで調べてみるをインドネシア語版Wikipediaで出てきた。
ChatGPTに訳させたらこんな感じらしい。
ANGGUNAとは「Angkutan Serbaguna(多目的輸送車)」の略で、もともとインドネシア・スラバヤで1988年に導入された地域限定の交通手段です。ミツビシ製のワゴン車をベースに、後部をピックアップ風の荷台に改造したユニークな車両で、乗客のほか荷物の運搬にも対応できるのが特徴です。運賃はメーター制ではなく、ドライバーとの交渉によって決まる仕組み。スラバヤでは1990年代に全盛期を迎えたものの、近年は時代の流れとともに姿を消しつつあり、現在ではわずか数台が残るのみとなっています。しかし、かつてインドネシアの一部だった東チモールでは、いまもANGGUNAが庶民の足として日常的に活躍しています。バスターミナルなどで見かける黄色い改造車こそがそのANGGUNAであり、交通文化としての生きた名残ともいえる存在です。
ものすごい数のバスや人を見るだけ見たら、次の目的地に行くことにしよう。
すぐに5番のミクロレットが来たので、それに乗って行くことにする。
運転手が「助手席に乗れ」と言うので、そちらに乗る。
どうも、男性客はここに乗せられることが多いようだ。
途中、司法機関やら内務省やら、官庁街と思しきところを通るようだ。
ここが「東ティモールの霞ヶ関」と言うべきところなのだろう。
途中、運転手がペットボトルの水を買っていた。
首都の交通機関がこんな感じである。
これぞ第四世界といった感じ。
ところで、大音量のBGMが鳴っているのは、いつものミクロレットではあるが、スマホと連動しているらしい。
さすがに5番は、乗車距離が長い。
そのうち、風景は田舎のようになってきた。
Google マップで見ても、この辺が終点に近いらしい。
ミクロレットが止まって、後ろの女たちが降りるところで、こちらも降りることにする。
少し歩いたら、確かに教会らしきものが見えてきた。
ここが、ミクロレットの最南端ということになる。
さて、ここからは少し歩いたところに、3番の終点があるというので、そこに行ってみることにしたい。
舗装されていない道を歩いていく。
野良犬がこっちを見ている。噛まれでもしたらどうなるかわかったものではない。狂犬病の清浄国というのは意外と少ないのだ。
とりあえず、Google Mapsのキャッシュに残っている情報を頼りに歩くと、市場のようなものが見えてきた。
で、この市場のどこかしらに、ミクロレットの乗り場があるはずだ。
ということで探してみると、11番とか3番のミクロレットが見えてきた。
緑色の3番に乗ることにする。
やはり、運転手の隣の席に乗せられた。
ほどなくして、大通りに出ると、なんだかロードサイド地帯のような趣。
「チモールプラザ」というところがあり、ここが最大のショッピングセンターのようだ。
明日にでも行ってみることにしよう。
果たして、港に近いところで、ミクロレットを降りる。
ここに、Wi-Fiが使えるカフェがあると言うのだ。
どうやら、バーガーキングと同じところを使っているようだ。
ここで、しばらく休むことにする。なにぶんにも午前中で行きたいところは全て行ってしまった。
とりあえず、日記を追いつかせ、にしこくん仕事も追いつかせる。
それで12時過ぎてしまった。
どうせならバーガーキングで昼食にしようか。
そう思ってダブルワッパーをチキンナゲットを頼んだら18ドル。
これ、東ティモールの給与水準からいったらかなりの額ではないだろうか。
他の客もiPadを広げたりしている。完全に海外と交流ある上流階級の社交場。
そんなことをしていたら、14時も過ぎてしまったので、さっさと出ることにしよう。
とは言え、歩くあてなどない。
とりあえず、独立記念館でも見ていこうか。何しろこの国は21世紀で最初の独立国だ。
そう思って歩いていたら、「1959」などという文字の書いてある建物がある。
右書きの漢字で「土庫黎」と書いているので、たぶん華僑系の建物だったのだろう。
玄関先には「SITIU ISTORIKU」なんて書いてる。historic siteとかそういう意味だろうか。
1975がどうたらとか書いているので、独立運動に関する何かであることは確かだろう。
画像を撮ってChatGPTに分析させると以下の通りであるという。
この場所は1950年代に商業ビルとして建てられました。
1975年12月7日のインドネシアによる侵攻の日、この場所で中国系東ティモール人1名がインドネシア軍によって殺され、さらに13名が連行され、その後別の場所で殺害されました。
インドネシア占領中もこの建物は商業ビルとして使われ続け、現在に至っています。
ともかくも、歩いていると、政府の庁舎であるとか、国立大学であるとかが並んでいる。
国立大学には、なぜか、バーベルってあるとか、健康器具が置いてある。そこには、看板があり、医学的ななんとかが書いてある。ここの言葉は読めないが、「体を鍛えて、健康増進しましょう」みたいなことが書いてあるのではないだろうか。
そして、東ティモール抵抗運動博物館に行くことにする。
ここは入場料を取るようで5ドルであると言う。日本人と見ると「オサイセン」などと言う。
名前も記入させられたが、前の人も日本人のようだった。
パネル展示だけだったが、飢えて肋骨の浮いた人など、かなり苛烈な独立運動であったようだ。
さっきの1959年の建物の頃どうなったのか見てみたが、1975年以降の事しか書いていなかった。
つまり、本格的な独立運動は1975年からだったということなのだろう。
後は、特段見たいものはなくなってしまった。
近くに、喫茶店のようなものがあるようだが、ここはWi-Fiは使えるだろうか。
入ってみたら使えない上にクーラーすらない。
後はもうホテルに戻ってしまうことにしよう。まだ明るいのにもったいない気がするが。
そしてホテルに戻ろうと思ったら、何やら中国っぽい建物がある。
そして、その名も「フォルモサ通り」。
ちょっと行ってみようと思って、行ってみると「関帝廟」とある。
横浜にもあったが、華僑のいるところにはどこにでもあるようだ。
そして、フォルモサ通りの端っこにはポルトガル語で「ディリ衛生センター」と読めそうな病院があった。
救急病院の機能もあるらしい。
いい加減ホテルに戻ろうと思って、近道しようと思って横丁に入ったら行き止まりだった。
それも犬に追いかけられると言うおまけ付き。
犬に追いかけられるのはいいとして、噛まれでもしたら泣くに泣けない。
飼い主の家の子供が「やめて!追いかけないで!」というようなことを言ってるようだ。
ともかくも、ホテルに戻ることにする。大体16時ごろ。
まずは、これまでアップしていなかったにしこくん仕事をアップすることにしよう。
しかし、まだ日が出ているのに、見ていないものがあるのはもったいないような気がする。
クーラーの効いた部屋でYouTube見てる暇があったら、何か1つでも見てみたいところ。
ということで、また肝を預けて外に出ることにする。
近くでは、華僑系の建設会社が何か建てているが、リゾートマンションっぽくなるらしい。
それと、門に「1954」と書いてある何かの公園があるが、1950年代マニアの血が騒ぐ。
何かと思ったら、マリア像があって、キリスト教関係の何からしい。
市民の憩いの場となっているようだ。
1954の意味が何かと思ったら、それは「マリア年」らしい。
1954年に、当時のローマ法王がそのように決めたのだという。
これだけ見たらもういいだろうと言うことで、またホテルに戻る。
そして、テラスで日記を追いつかせる。
そんなことをしていたら、18時半ぐらいになってしまった。
夕食を食べようと思って、ホテルのレストランに行ったら、「ごめんなさい。今日は予約だけなんです」と言う。
それならそれで都合が良い。
近くのステーキハウスに行こうと思ったら、そこはカードはやってないと言う。
仕方がないので、昨日行った中華料理にまた行くことにする。
ここで、揚げ出し豆腐と牛肉チャーハンを頼む。これで18ドル。
結局、揚げ出し豆腐は残すことにした。
そして、暗い道をホテルに戻る。
そして、日記を追いつかせるなど。
20時ごろ、いきなり激しい雨音がしてきた。
突然のスコールだ。
しかし、それも10分ぐらいで歇んでしまった。
さて、今回の旅行では最南端を更新したわけだが、次は最西端を更新していきたいと思う。最東端に関しては、弟一家を訪ねてアメリカに行くだろうから。
それで、パキスタンの空地に関する情報をYouTubeで見ることにする。
パキスタンに関しては、治安に関してとかくの噂がある。やはり命は大切にしたいところだ。
しげ旅なんかは移動は全てタクシーを使っているようだ。まるで南アフリカ並みの警戒ぶり。
女性だと警備の人をつけたりしている。
他のユーチューバーだとそこら辺は特に警戒なくやってる人もいる。
シャワーを浴びている時も、そういったパキスタン旅行に関するYouTubeをBGMにしながら。
ついでにギョサンも洗うことにする。明日は飛行機に乗るので。
そうやって、シャワーから上がってもパキスタンの情報を見ていたが、いつの間にか寝入ってしまった。
今日の決死出演は4名(累計29名)。