GW弾丸出港

5月2日のブログタイトルに相応しい横長画像。八十八夜、緑茶の日、ブータン第3代国王誕生日、イランの教師の日、郵便貯金の日、交通広告の日、歯科医師記念日、えんぴつ記念日。

午後からは公開部分。

昼食のキムチ鍋を食べ終わったのは13時20分頃だった。
外は雨が降り出した。確かに夕方から雨かとは思ったが結構早い。

ゴミは明日収集してくれるのだろうか。
収集してもらえないとなると、結局社宅いえにおいて置くしかないことになる。

そして出港の準備をする。
今日はゴールデンウィークで着発なので、出港は15時半なので少しゆっくりである。

外に出ると、雨こそ降っていなかったが、非常に蒸し暑い。

まるひでお土産を買うことにする。
いかにも「小笠原」なお菓子を買うことにする。

そして二見港へ。
ものすごい数の観光客が出港を待っている。

乗船券に引き換えると偶数。
つまり、上の段のベッドが当たった。

まずは700番台の金持ちから乗船が始まる。
次に600番台で、その次が500番台。

そして、400番台も乗船が始まったので乗り込むことにする。

乗り込んだらベッドに荷物を置いて7階のデッキに出ることにする。

そしていよいよ15時半の出港。
小笠原太鼓の音と共に船は出る。

出港すると、いつものように並走する見送り船。
それぞれの船が、サービス精神と自己顕示欲の限りを尽くす。
海上保安庁の「さざんくろす」も、例外ではなく、派手なスピンをかます。

電波が途切れたら、7階のラウンジに腰を落ち着ける。

ここで、同人誌に投稿する内容を全部仕上げてしまう。
そして、指定席の利用期限の16時50分が来たので、ベッドに戻ってしまう。

そして、後は寝てしまうことに。

次に目が覚めたのは21時過ぎだった。
だから4回レストランもラストオーダーを過ぎてしまっている。
ある意味、小笠原までの過ごし方としては、コストパフォーマンスが高くはあるのだが、何も食べないと言うのも寂しすぎる。

果たして、自動販売機で天ぷらそばを買って食べることにする。

4階レストランは既にフリータイムに入ってしまっている。

ところで、このエースコックの小海老天そばは何割そばなんだろうか。
もっとも、257kcalだというので、いつも朝食で食べている十割そばよりもカロリーは低いわけだが。
鰹節の粉が一番最後に沈殿しているというのがなかなかあざとい感じ。

その後、しばらく三島由紀夫の戦後日記を読んでいることにする。
昭和30年前後だと、小説の方法論のようなことが多い。

ところで、三島由紀夫の他の小説家に対する批評は面白い。
太宰治に関しては「太宰の持っていた性格的欠陥は、少なくともその半分が冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治されるはずだった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人など本当の病人の資格がない」などと書いている。
いや、健康的な太宰治なんて、誰が見たいだろうか。

食べたものの消化のため、1時間ぐらいは4階のレストランで粘っていたかったが、どうにも船が揺れるので、ベッドに戻ることにした。
この揺れは、到底デッキを解放していていい揺れではない。

後は引き続き寝るだけ。

ここまでの決死出演は2名(累計35名)。

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