小笠原諸島は高気圧に覆われている。
今日1日は、曇りで推移して、夜に雨が降るようだ。
最高気温は25℃になるという。
母島の民宿で目が覚めたのは5時過ぎ。
枕とは逆の方向でコンセントに近いiPadを見ながら寝入っていたようだ。
だから、改めて布団をかぶって寝ることに。
改めて起きて、まずは回顧録を継続する。
コピペ主体にしたのでよく進む。
ということで、2016年1月中旬まで進む。
そしてイロハシャッフル。
ここしばらくは、この陣容で決死していくことになる。
さて、レンタカーは8時であるという。
それまでに朝食のカロリーメイトでも食べよう。
残りのカロメは2箱。
そして、レンタカー店の整備工場に電話する。
すぐ迎えにくるという。
果たして、レンタカー屋の人はワゴン車で迎えに来た。
母島の人らしく、すっかり日焼けで黒くなっている人だが、やたら声がイケボである。
この人もおそらくは、東京から移住してきた人ではないだろうか。
そして、少し南に下ったところにレンタカー屋である整備工場があった。
そして、諸々の手続きをする。
現在、島の人には割引をするのだと言う。
それで、明日の朝まで6600円と言うことになった。
ガソリンは満タンにして返してほしいのだと言う。
ところで、明日のははじま丸が、何時かと聞いたら、14時半であると言う。
という事は、床屋に行けないと言うこと!?
またキャンセルしないといけない…
ともかくも、今日は収鋲車でいろいろ収鋲していくことになる。
レンタカー屋のイケボの人が言うには、都道最南端は車で5分、最北端の北村も車で30分程度であると言う。
そうなると、どこで道草を食うかということが問題になってこよう。
とりあえず、南方面を目指すか。
車で走っている、右手方向に草をかぶった廃車のブルドーザーがある。
撮ってみたいと思ったが、折り返さないといけない。
その折り返そうと思って入った道が、旧ヘリポートへの道だった。
せっかくだから、旧ヘリポートも見てみようか。
そのヘリポートは、草むらの中にあった。
街灯等は全くない。なるほど、星空の名所なわけだ。
とは言え、ここまで行き来するのにどうやって来るべきか、それが問題になる。
11月に、ぽわんちゃんたちが来てくれると言うことであるが、どうやって来たものか。
さて、この先時間はいくらでもあるので、決死した写真のアップロードでもしながらのんびりと行くことにしよう。
と言うことで、さっきの草蒸したブルドーザーも撮影することにする。
農家のおじいさんがこちらを見ていた。
さて、では都道最南端を目指すことにしよう。
曲がりくねった道を道なりに行く。
そして、車が何台か駐車しているのが見えたら、そこが都道最南端となる。
今日は1日中曇りのはずだったのに、ドッピーカンの晴れて、前髪のある楼山は庇してしまう。
それでもどうにか撮影する事はできた。
では、ここまで来て引き返すのもどうかと思うので、母島最南端の南先を目指すことにしよう。
地図を見る限りでは、ここから少なく見積もっても歩いて1時間位はかかるのではないかと言う道である。
それに何より、この獣道のような道を帰ってこれるのかどうかというのが心配になってくる。
そしてまたひどいことに、ドコモの電波が全く通じないのだ。
これは、道に迷ったら完全にアウトである。
だから、午前中に来ておいてよかった。
途中、「蓮池」と言うところに看板があったので見てみると、また南崎までは4分の1位しか行っていないようだ。
とにもかくにも、ここまで来た以上は最後まで歩くことにしよう。
そして、なおも歩いていると、左手に雄大な海が広がる。
ここは「すり鉢」というのだそうで、すり鉢状の地形となっている。
なおも、歩いていると、やっと南崎に到着しそうになった。
ここまで歩いて2.2キロ。そして南崎は0.2キロ先であると言うから、都道最南端から南崎は2.4キロということになるだろう。
そして、道なき道の先に、やっと海が見えてきた。
湾のようになっており、両側には切り取った山がそびえ立つ。
そして足元には、珊瑚なのか火山岩なのか、珍しい石が落ちている。
どのようにすればこんな形状になるのだろうか。大自然の不思議さを感じる。
ところで、社内SNSにレスが付いているようである。テレワーク時代でもあり、それはスマホから見ることもできる。
山梨支店に勤める大学の後輩で、「小笠原出張所の写真をうちのSNSに使わせてもらえませんか」と言う。
なんでまた? それは公に見せる前提なのか、そしてなぜ山梨支店の広報にうちの写真を使うのか詳しく教えてほしいと返信。
さて、ここまで来ると、南崎海岸以外にも「小富士」と言う山があるようなので、そちらにも登ってみることにする。
こちらのほうは、階段が整備されており、途中端も登るようなところがあったが、わりとすぐに登ることができた。
小富士の頂上から北側の方を望む、雄大な大自然が見える。
このような大自然を見ると、人間の小ささを感じる。
行きはどのくらいかかるのか分からないので、非常に長く感じたが、帰りはかなり短く感じた。
どのくらいの距離を行けばいいかわかるからではないだろうか。
そして、海馬を最南端に止めている車に戻って、次の目的地を目指そうと思ったら、もう昼に近くなっている。
まずは昼食とすることにしよう。
そう思って、中心部の店に行ったら、ただいま東京クーポンが使える店は今日は営業していない。
また、昨日行った寿司屋は「12時半で閉まるよ」と言う。
仕方がないので、農協の店でパンやカップラーメンを買って、民宿に戻って食べることにする。
そういえば、農協の店で買った時、箸を忘れていた。
このようなポカをよくする。
ともかくも、箸のほうは民宿の人にお願いして借りて事なきを得た。
しばらく日記をつけてゆっくりすることにする。
そんなことをしていたら、14時近くなったので、北の方に行ってみることにする。
こういう事は、明るいうちに終えてしまうに限る。
と言うことで、車を北に走らせる。
レンタカー屋のイケボの人に言われていたのは、「門の先は曲がりくねった道なので、対向車のスクーターとかに気をつけてくださいね」と言うことだ。
確かに、道にはカーブミラーが多い。
その曲がりくねった道をずっと突き進んでいると、左手に広い海が見えてきた。
ここは「ビッグベイ」という海岸なのだそうだ。
なるほど、その名の通り大きな湾である。
そして、ここにも0によってカーブミラーが備え付けてあるが、決死している乃公までが写っていた。なかなか珍しい写真。
そして、なおも北に行くと、工事中の片側通行の信号機があって、1分ぐらいごとに片側ずつ通していた。
そういえば、この母島には交通信号機は全くない。
いわば、この片側通行の臨時に設置したような信号機だけが母島で唯一の信号機ということができるだろう。
そしてトンネルも通っていよいよ北村の方に行く。
途中、東港の入り口あたりにスクーターで来た若い観光客らしき2人がいた。
そして、北港に到着する。
戦前は、この辺は「北村」といって1つの自治体なのであったと言うが、現在は全くの無人となっており、ただ熱帯樹が生い茂るだけである。
その辺の事は、観光客向けの看板にも書いてあって、数百人の住民が住んでおり、鰹節工場やくさや工場などがあったのだと言う。
昔は人がいて、現在は全くの無人だなんて、まるで夕張や美唄の炭鉱のようである。
しばらく、ここで回顧録でもつけてようかと思ったのだが、なにぶんにもドコモの電波すら入らないのである。これでは全くダメなので、踵を返して民宿に戻ることにしよう。
そして、車をまた南に走らせて戻ろうと思ったら、東港の入り口に突き当たる。
どうせなら、東港にも寄ってみようかとも思ったのだが、道の入り口に看板。
「漁港専用道路なので関係者以外立入禁止」
まぁ別に誰が見ているわけでもないし、おそらくは安全に関する設備が整備されておらず、何か事故が起こったときに、責任を取りたくないと言う意味で、そのような看板を立てているのであろうが、別にどうしても東港を見たいと言うわけでもないので、素直に引き返すことにする。
そして曲がりくねった道を戻ることにする。
途中、何かの鳥が轢かれていた。
中心部の元村に戻ると、昼に開いていた農協の店も閉まっていた。
日曜日はどこの店も閉まっている。何ならロース記念館まで閉まっている。
民宿に戻ると、雨が降り出した。
さあもう観光は終わったので、ブログを付けよう。
そのうち配信が始まるというので、聴きつつブログつけ。
さて、18時になったので夕食に行こう。
・・・と思って、2軒行ったらどちらも「満席」。
そんなもんなのか!?
そういえば民宿では「飲食店は予約したほうがいいですよ」とか言われてた気がする。
それでも、2軒目では電話で呼んでくれるという。
ではそれを待つことにしよう。
ちょっと穏やかではないことが起こったので、公開部分はここまでにする。
ここまでの決死出演は8名(累計8名)。