スオーナダ収鋲

北朝鮮KCTV「新製品開発事業を積極的に推進する」より🇰🇵
咸興栄誉軍人樹脂日用品工場では抗菌性のリノリウムを開発したと言う。
北朝鮮でも「抗菌」と言う概念はあるらしい。

かたやこちらは咸鏡南道人民病院。
「苦難の行軍」の時期などは、薬を持っていかないと診療してくれないなどと言う話もあったが、今はそのあたりは改善されたのだろうか。

5時台に目が覚める。
さすがに昨夜は、昨日ろくに寝てない分を回復すべく21時ぐらいには寝ていたので今日の睡眠は充分である。

テレビでは、悪徳商法の撲滅立法に尽力した堺次夫氏のこともやっている。
昭和50年代には、拉致監禁までされたと言う。
そういえば、悪徳商法マニアックスの管理人もかなり嫌がらせをされていた。
逆に考えると、悪徳商法と言うのもなかなか楽な仕事では無いようである。

その次は、「10分で見る日本の廃線」。
なんと江若鉄道や北丹鉄道といった昭和40年代に廃止になった路線の映像までがある。

さて、今日の出発は、宇佐市の中心となるバスターミナルの四日市からであるが、2キロぐらい歩かないといけないので、早めに行動を開始したい。

朝の宇佐市中心部を、ブログを音声入力で付けながら歩く。
なんとも便利な時代になったことよ。

そして、7:20頃に四日市のバスターミナルに到着。
世が世なら大分交通豊州線の豊前四日市駅として豊前善光寺行きや安心院行きの列車が出ていたはずだ。

現在は、乗り場は1つしかないとはいえ、今なお自動車専用道路(鋭角二等辺三角形の短辺とはいえ)が整備されているなど、バスターミナルとしての雰囲気は十分である。
交通公社の時刻表でも、宇佐駅ではなくこの四日市のバスターミナルに◎を付けた方がいいのではないかというほどの拠点性がある。

7:22の安心院行きのバスを撮ろうと思ったら、土曜日しか走っていないという。

仕方がないので、隣接するファミマで朝食を買うなど。

そうしていると、四日市行きのバスが到着した。
このバスが豊後高田行きとして折り返すようである。

そして7時45分、バスは豊後高田に向けて出発。

最初、客は自分1名であったが途中から頭にスカーフを被った若い女性数名が乗ってきた。
インドネシア人の技能実習生らしい。

彼女たちは宇佐駅で降りて行った。
そしてバスは、自分1人だけ乗せて豊後高田に向かう。

車はこれまで撮った写真をiPadにダウンロードして…と思ったら、もう終点の豊後高田であると言う。
あまりに早すぎない?

その終点の豊後高田は、かつての大分交通宇佐参宮線の豊後高田駅をそのまま使ったものとなっている。
何から何までが「駅」なのだ。

そしてこの構内の横にはバスの車庫が広がっている。
鉄道があった頃も、ここが車庫だったのだろうか。

そしてまた、待合室へ行く通路はまるで改札を思わせるようであり、待合室の中には、鉄道の頃の写真が飾ってあったり、切符売り場にはハンドル式の電話機が今でも置いてあったりしている。

現在、豊後高田は「昭和の街」で売り出しているが、その中核となるのはこの豊後高田のバスターミナルであることは間違いないだろう。

この豊後高田のバスターミナルを改築する事でもあれば、「昭和の街」としての価値を大きく逸失する事は間違いないはずだ。

ともあれ、ここにて大分県豊後高田市は収鋲とする。(収鋲率:大分県66.7%、全国48.9%)

その豊後高田の駅前…いや、バスターミナルの前に出てみると、なるほど、昭和の街が広がっている。
駅前のタクシー会社は、今なお木造の看板に、「参宮タクシー」と言う社名となっている。

そして、駅前の街並みに出てみると、所々では入れてあるが、ほぼ昭和のまま残っている。
惜しむらくは、電話番号の市内局番が2桁になっていることである。
これが、自動化前の3桁とかが残ってたらもっとエモかったのに。

駅前を右に行くと、昭和の頃の車とかが展示してあるテーマパーク的なところに出る。
土日は9時にオープンするようであるが、自分が乗る伊美行きのバスは8時40分に出発なのでここに寄ることはできない。

さて、伊美行きのバスが出るので撮影はこれで終わりにして、バス乗り場へ行くこととしたい。
伊美行きのバスは、待合室から1番遠いところが乗り場となる。
なるほど、宇佐駅行きや大分空港行と違って1番マイナーな行き先であると言う事のようである。

四日市から来たそのバスは、国東半島も北半分を回っていく。
2005年の合併前までは、西国東郡真玉町、香々地町などと言う自治体もあったのだが、現在ではすべて豊後高田市に合併されている。
そういう意味では、収鋲がやりやすくなったと言えばやりやすくなったとも言える。

海岸美を左手に、山あり谷ありを越えると、豊後高田市から国東市に入る。
かつてであれば、この境界が西国東郡と東国東郡の境界でもあったようである。

国東市に入ると、ほどなくして竹田津港に到着する。

竹田津港では、スオーナダフェリーは既に乗船を開始していた。
バイクやトラックも、続々と船に入っていく。

この竹田津港は2006年まで大分県東国東郡国見町であったが、現在は国東市に合併されている。
これをもって大分県国東市は収鋲としたい。(収鋲率:大分県72.2%、全国49.0%)

ここから徳山港までの切符は3050円。
切符を買ったら、フェリーに乗り込むことにする。
ボーディングブリッジのような大掛かりなものはなく、階段のようなところからフェリーに上っていくことになる。

フェリーには一応座席はあるが、オープンエアのベンチもあるのでそこで周防灘の風を浴びながらフェリーの旅を楽しむこととしたい。
乗船時間は2時間となる。

海は凪いでおり、順調に航海は進む。
進行方向右手には姫島が見える。
姫島もいつかは行きたいものである。

さて、しばらくすると、進行方向左手に島々が見えてくる。
いよいよ瀬戸内に来たのだと言う実感を強くする。

そして、進行方向の先には工場が見えてくる。
周南工業地域に来たのだ。

どんどんタンカーや貨物船も増えてくる。
なかなかいい風景である。

徳山港の沖合には、ちょっとした岩礁があり、そこに何かのコンクリートの建物が立っている。
昔軍か何かで使っていた見張り所だろうか。

さて、いよいよ徳山港に到着である。
船と工業地帯と瀬戸内の島々が見えるアングルで撮りたいところ。

徳山港もまた、建物に入らず、タラップのような階段から直接降りて外へ出るタイプの港であった。
すぐ向こうには徳山駅が見える。

まずは、昼食とすることにしたい。
最初は、吉野家かどこかで食べれればいいかなと思っていたが、徳山駅のこちら側に、「スター本店」と言うラーメン屋がある。
調べてみると、「徳山のソウルフード」なのだそうだ。
それなら、食べてみない法は無い。

出てきたラーメンは、濃いめのシンプルな醤油ラーメンであった。

さてこれから周防花岡方面に行くバスは13時05分の発車である。
それまではスターバックスで一休みすることにしよう。

いい時間になったので、6番乗り場からゆめタウン熊毛行きの防長交通バスに乗ることにする。

国道2号線を東進し、バイパスのようなところで降りることになる。
周防花岡駅へはしばらく歩くことになる。

なぜ徳山駅ではなく、周防花岡駅なのかと言うと、ここが下松市にあるからである。
そして下松駅でもないのは、この周防花岡駅がなかなか洒落た木造駅舎だからである。
いずれ、これをもって山口県下松市は収鋲とする。(収鋲率:山口県73.7%、全国49.1%)

かつてこの駅は、山陽本線の駅であった。
そのためかどうかわからないが、なかなかどうして洒落た感じになっている。

しかし現在は、住宅地の中にある棒線駅となっている。

13時55分の岩国行きは、キハ40の1両編成であった。

その1両編成は、山の中を走る。
途中、高水で列車交換のために3分程度停車する。
さすがは元山陽本線だっただけあって、ホームの有効長が長い。

しかし、長大なトンネルが少なくとも2つはある。
これだと、いくら有効長が長くても、輸送上のボトルネックになったであろう事は想像に難くない。

そして3本目の長いトンネルを抜け、家が少し多くなると岩国の街並みに入る。

そして到着するのが西岩国駅である。
西岩国の駅舎は、洋風建築で有名である。
かつては、こちらの方が岩国駅であり、現在の岩国駅は「麻里布駅」と呼んでいたのだという。

そのようなことから、本八戸駅みたいな雰囲気を想像するとそうでもなく、周囲は単なる住宅街となっている。
名実ともに、現在の岩国市の中心は岩国駅中心である。

その岩国駅の前には、木炭自動車が保存してある。
その木炭ボイラーを見ると、「平成3年」と銘板がある。
木炭車として改造したのはその時期ではあるかもしれないが、ジープ自体はかなり年式の古そうなもので、少なくとも1960年代のものではないだろうか。
というか、このジープは走るのだろうか?

それはともかく、錦帯橋のほうに行ってみることにしたい。
錦帯橋へ行くには、ここから少し歩いて、国道2号線上にある「東錦見」と言うバス停からバスに乗っていくのが1番便利である。
そしてそのバスが頻繁に出ている。

ほどなくして錦帯橋に到着。
周辺は、観光地ムードで溢れている。

しかし、決死するにはかなり日差しが強すぎる。
それも、楼山は前髪が「ひさす」子である。
岩国城をバックに何枚か撮ってマシなものを採用することにしたい。

では、錦帯橋を渡ってみたい。
いわゆる「太鼓橋」で、かなりアップダウンが激しいので歩くのは疲れる。
ちなみに、渡り賃は310円となる。

錦帯橋の向こうへ行くと、瓦ソバであるとかソフトクリームであるとかが売っている。
「日本一のソフトクリーム」とあるのだが、何がどんなふうに日本一かと言うと、種類が日本一と言う事のようだった。
曰くハバネロ、曰くニンニク、曰くすっぽん…
これは罰ゲームか何かだろうか?

それはともかく、岩国駅に戻るバスは16時08分の発車なのでそれまでにはバス停に戻ることにしたい。

ちょっとしたバスターミナルになってるーー少なくとも朝の宇佐四日市よりはその体をなしているーー錦帯橋のバス停から1本早いバスで岩国駅へ行くことができた。

岩国駅で降りると、駅が近代化している。
前回岩国駅に来た時にはもろ国鉄駅だったのに。

というか、右前ポケットが心なしか寂しい。
と思ったらカメラ忘れてる!?

急いでバスに取りに行って、どうにか取り戻すことができた。

さあ空港へ行くバスは…?
そう思って探したら、空港行きのバスは裏口から出るという。

ということで岩国駅の裏口へ行くことに。
既にスーツケースを持った何人かがバスを待っている。

バスは一般型の路線車両だった。

バスは程なくして岩国空港に到着。
今は「岩国錦帯橋空港」というらしい。
それでも米軍基地の一部分である。
そんな地域おこしっぽい空港名にせず、直球で「Iwakuni Air Base」にしてはどうだろうと思うのだが。

それでも、旅客ターミナル内は米軍っぽい何かがあるわけではない。
慌ただしく安全チェックを通り搭乗ゲートへと向かう。

アナウンスでは「米軍岩国基地にあたりますので、撮影はご遠慮ください」とアナウンスはかかる。

これで4連休の大収鋲も終わりだ。
いよいよ羽田へとANA 638便は出発する。

隣には、ヒラヒラの黒いショーパンを履いて太ももをボーンと出したスリムな女性が座る。
空港のトイレで着替えておいてよかった。
そして、着替えるためにコインランドリーで洗濯しておいてよかった。

後は、山口県や福岡県の警察史を見ながら過ごす。
ただし、地図を確認できるわけではない。

いよいよ、飛行機も着陸態勢に入る。
飛行機は83番ゲートに到着すると言う。
83番ゲート?

アナウンスを聞いてみると、ターミナルまではバスでお送りすると言う。
最後の最後まで飽きさせない旅である。

果たして、日の暮れかかっているタラップに到着した。
このスマレの決死をもって、ハ群まで撮影が終了したので、あとは洗いに出すだけである。

後は、松戸行きのバスで帰るのみ。
19時50分のちょうどいいバスがあった。
ところで、夕食にしたいのだが、どこの店もちょうど店じまいをするところであった。
悲しい。

15番乗り場から出発する松戸行きは、京浜急行車であった。
バスの車内では、明日のブログのヘッダーに使う北朝鮮のニュースを編集するなど。

そして松戸駅前に到着し、夕食にすることにしたい。
さあどこにしようか。
バス停の前ならペッパーランチ?

結局、吉牛にすることにした。
それを新京成のホームで食べるわけだ。
ゴミはホームのゴミ箱に… と思ったらオリンピック期間はテロ防止の観点から封鎖だと。
何がテロ防止だ。
むしろテロでも起こって政府とかIOCの誰かにどうにかなって欲しいくらいだ。

兎も角も21時06分の新京成線で帰ることにする。

 

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