6月18日の北朝鮮KCTV「朝鮮の今日」より🇰🇵
今日もまた各地で第8回朝鮮労働党大会の決定貫徹のために各地の企業所で生産活動。
今日は祥原のセメント工場。
例によって生産に関係の無い青年同盟の旗振り宣伝隊。
そうかと思えばこちらは小説出版のニュース。
長編小説「富強朝鮮」だと。
シリーズ名が「不滅の嚮導」ということなので、金日成同志か金正日同志か金正恩同志かの誰かが何やら指導したことが生きてどうたらという小説なのだろう。
印刷や紙の質は相変わらずな感じ。
7時台に目が覚める。
今日は土曜日で特に何をやるでもなく。
今日は、ぽわんちゃんのバーの仮オープンの日であるが、それは17時からなので、それまでの間、どこかに収鋲しに行くことにしたい。
最初は国立を収鋲しようと思ったが、17時までの間にそこまで行く時間もないような気がする。
雨も降ってるし、そこまで気合を入れる必要もあるまい。
せっかくなので、市町村収鋲は諦め近場で市川市内の山下清の縁の場所を収鋲して歩くことにする。
果たして武蔵野線の車内の人となる。
そして船橋法典で下車。
言わずと知れた中山競馬場の最寄り駅であるが、競馬場そのものは駅に隣接しているわけではない。
もう少し、うまぴょい!うまぴょい!な雰囲気かと思ったが意外とそうでもなかった。
ところで、この船橋法典駅のある船橋は市議会選挙の真っ最中のようであるが、駅前の選挙ポスターが奮っている。
NHKから国民を守る党だけではなく、世の中には様々な政党があるものである。
船橋法典駅から中山競馬場への道、つまり競馬ですったら馬券を撒き散らしながらとぼとぼ歩く道は、意外と竹林に覆われた関東平野の田舎道のような雰囲気を醸し出している。
バスは1時間に2本来ているようだが、バスの鍵は見当たらない。
結局、歩いて中山競馬場まで来てしまった。
今日はレース開催日ではないのでしまっているのはともかくとして、最近のうまぴょい!な盛り上がりは感じない。
…と、ここまでは前哨戦。
今日の収鋲はここからが本番となる。
中山競馬場からしばらく歩くと八幡学園がある。
八幡学園と言うのは、山下清が収容されていた障害者福祉施設である。
ここ脱走しては放浪の旅に出て、連れ戻されては八幡学園で貼り絵を制作したのだと言う。
有名な芦屋雁之助のドラマでは、旅先で絵を描いていたようだが、あれはあくまでドラマであると言う。
中山競馬場は船橋市であるが、八幡学園は市川市。
その恐竜境界を歩いていく。
昔ならば一面の畑だっただろうか。
そして、バス通りから路地を入ったところに八幡学園はあった。
現在は鉄筋コンクリートの新しい建物となっている。
特段、山下清を偲ぶ何かがあるわけではない。
ただ、門の前の掲示板には山下清に関する何かのパンフレットが掲示してあった。
さて、後は次の目的地へ行くことにしたい。
近くのバス停から下総中山駅へ行く京成バスはポンチョだった。
市街地のバスとは言え、輸送量としてはその程度と言うことなのだろう。
ほどなくして下総中山駅に到着し、市川駅へ向かうこととする。
ウィキペディアによれば、下総中山駅はかつてホームの間に中線があり、昭和47年までは下総中山までの区間運転もあったのだと言う。
それなりに拠点性のある役だったと言うことであろう。
現在ではご存知の通り、黄色い電車しか止まらない駅となっている。
そしてその黄色い電車で市川へ。
市川からは松戸行きの京成バスが頻繁に出ている。
なおかつ客もかなり並んでおりドル箱路線の様相を呈している。
その松11系統で矢切駅の近くへ。
今回はダークツーリズムとなる。
どのような事件であったか…
それは昭和30年6月18日のこと。
「千葉県で精神病院全焼」という記事があり、18名が焼死という痛ましい内容である。
千葉県のニュースでありながら新聞が北海タイムスになっているのは、基本的に稚内の行李詰め事件に関して調べていたら副産物的にこの事件もわかったからであり、他の全国紙以上に詳細を詳しく報じているからである。
北海タイムスはこの事件の2年前には釧路地方裁判所で無断撮影事件を起こし最高裁まで争っている。
そんな新聞社なので、三面記事は心なしか北海道新聞よりも充実している印象がある。
ともあれ事件の話に戻ると、この火災の被害を深刻にせしめたのは、そこが精神病院であったからということもある。
鉄格子の入った閉鎖病棟だったことが、患者の避難を不可能にして、18人もの死者を出したのだ。
そしてその原因は、暖房の火の不始末だったのではないかとされている。
・・・暖房?
6月と言えば初夏と言っていい季節、千葉県で暖房なんて必要だったのだろうか。
ところで、北海タイムスでだけに、その日に千歳空港に降り立った客の名簿が一覧になっている。
本州と北海道の客の殆どが青函連絡船できていた時代、飛行機で来る客などかなりのセレブであっただろう。
今であれば到底掲載できない記事ではあるが、昭和30年という時代相をものがたっているといえよう。
同じ6月19日の社会面では、まず稚内の行李詰め事件を報じている。
貨車の番号まで報じておりかなり本格的である。
また、中段に式場病院の火災についての詳報を行なっている。
詳報というのか… 生き残った他の患者たちは、漫画を読んだり、集まった人を物珍しそうに眺めていたのだという。
これはかなりインパクトのある情報である。
この記事があったから、他のどの新聞でもなく北海タイムスの記事を参照したのだ。
さすがは社会面の北海道タイムスというべきか。
また、火事の時の様子もレポートされており、軽い神経衰弱で入院していた患者は、鉄格子の患者を助け出そうとしたが、屋根が崩れ落ちて無理だったのだという。
ちなみに、犠牲者の氏名は「患者や家族の名誉のために」と院長は公表しないということで、そのことに北海タイムスも異論を挟んでいない。
今であれば「生きた証がどうたら」とかで公表を迫っただろうか。
いや、津久井やまゆり園の大量殺人の例でいけば、やはり完全匿名が前提だっただろうか。
では、ダークツーリズムへと赴きたい。
ちなみにこの式場病院を創設した式場隆三郎は山下清もプロデュースしたハンディキャップアートの育成者としても知られている。
やはりここも、山下清と縁のある場所なのだ。
バスは「栗山」というバス停で降りる。
栗山というといつだったか聞いたようなバス停のような気がするが、栗山浄水場に行ったのだった。
かれこれ2年前のことである。
今回はバス通りを挟んで反対側のほうに行くことになる。
下総台地になるので、上り坂かと思ったら逆に下り坂だった。
なかなかどうして複雑な地形である。
そして再び少し坂を上ったところに件の式場病院がある。
現在では近代的な建物になっているが、駐車場の構内徐行の標識が昭和25年式の標識になっていたりする。
この標識は、あの火事も見ていただろうか… ということはないだろう。
さて、来意を果たしたら次の目的地に行きましょう。
式場病院の少し南にある里見公園には、宗左近の歌碑があるという。
宗左近というのは、あの福島の清陵情報高校の「発信ゆんゆん」の効果を作詞した詩人である。
この市川に居を構え、「市川讃歌」という歌もものしたというが、少女の乳首がどうたらとかいう、芸術とエロの境界をグイグイ攻めるような歌詞であるという。
雨の中を、さっきのバス通りを戻る。
Googleマップのナビでは、バス利用を勧めるがそれほどの距離でもあるまい。
しばらく歩いて、里見公園に到着。
バラ園を整備しているなど、それなりに気合の入った公園である。
宗左近の歌碑は公園のかなり奥にあった。
雨が降っているせいか、はたまた光線状態が悪いせいか、なかなかうまく写真が撮れない。
他にも、北原白秋が執筆したと言う離れがあったり、「市川文士村」の面影を随所に残している。
さて、17時からぽわんちゃんの店に行くわけだが、かなり雨で濡れている。
このままの状態で行くのも申し訳ない気がするので、いちど帰宅したほうがいいか、はたまた、そのまま新宿を目指してどこかのユニクロかどこかで服を買うか。
もし松戸行きのバスが来たら帰宅する、市川行きのバスが来たらそのまま新宿を目指すと言うことにした。
そう思ってたらちょうど市川行きのバスがきたのでそのまま乗ることにした。
国府台駅前で降りて、京成の上野行きに乗る。
各駅停車なので関屋にも止まる。
関屋からそのまま歩いて、北千住の珍来で遅い昼食にすることにする。
珍来なのでマーボードーフ。
マーボードーフが来るまでの間、ユニクロのアプリでオーバーサイズクルーネックTシャツを探してみるが、ちょうどルミネ北千住のユニクロに在庫があるようなので買いに行こうと思う。
雨は相変わらず止まない。
そんな中を北千住の駅まで行き、ルミネの中のユニクロでオーバーサイズクルーネックTシャツを買うことにする。
ユニクロのオーバーサイズクルーネックTシャツは、厚手であり胸のポケットもあるので決死撮影には有利なのだ。
最近ユニクロでは、支払いシステムの特許でトラブルがあったようで、例の自動で計算してカードで払うシステムは全くなくなっており、普通にレジで店員がいるシステムになっている。
さて、この先どのようにして新宿を目指すべきか。
そういえば、定期券があったので、千代田線で国会議事堂前まで行くことにする。そして丸ノ内線に乗り換え新宿3丁目を目指すことにする。
この時点で17時まで30分以上ある。
そういえば、開店であるにもかかわらずお土産を何にも買っていなかった。
伊勢丹でお土産を買うことにしよう。
地下であれば高級なお菓子が何かしらあるはずだ。
果たして、ゴディバのチョコレートの詰め合わせを買う。
しめて8000円強。
そしていよいよ、ぽわんちゃんの店へ。
もしかしたら既に満席だったりするんだろうか。
そう思って入ってみると、実は自分が第一号の客だった。
ぽわんちゃんは欠損バーとはまた違った雰囲気だった。
それでも快く迎えてもらった。
しばらくすると欠損バーの店長や常連さんがやってきた。
自分も含め4名でいろいろ話する。
その他にも、飲み屋の仲間とおぼしき人が客としてやってきた。
実はぽわんちゃんはタバコを吸うようだった。
これは意外だった。
とはいっても夜の街の人間なら当たり前なのかもしれない。
結局19時過ぎまでいた。
その後、ゴールデン街の「凪」で夕食。
そして新宿駅まで歩き、小田急で代々木上原まで行き、千代田線で松戸まで戻る。
そして帰宅し、明日の案を練る。