【義手と義足の昭和史】傷痍軍人に嫁いで支えてあげましょう。そのために皇族は和歌も詠む(S18.8.21)

コロナ対策で個人商店の休業が奨励されている。
これに対し1日50万円、最大400万円の休業保証金が用意されていると言うが、さてどれほどの慰めになることやらで・・・
いや、税収に限りがあるのは分かるんだけど。

このように、十分な保証もなく、政策的に個人に何かを奨励する、というのは不自由な時代の現れであるとも言えるだろう。

戦時中は何が奨励されていたか。
そりゃいろんなことが奨励されていた。

・貯蓄(→おろしたら非国民)
・代用食(→銀シャリなんてぜいたくです)
・陶器(→金属製の食器は供出)
・松の木の植樹(→代用燃料の松根油の生産)
・ワイン醸造(→酒石酸を敵機探知レーダーに使用)

この他「傷痍軍人との結婚」もまた奨励されていたという。
昭和18年8月21日の読売新聞では、大日本婦人会総裁であらせられる東久邇宮妃聡子女王が短歌をお詠みになっている。

まこともて とつきゆかなむ 国のため
てきすおひたる ますらたけをに

戦時中、銃後の庶民が一番恐れていたのはB29以上に「近所の目」だったという。

昨今のコロナ禍においても「自粛警察」が跋扈している状況を鑑みるに、日本社会の同調圧力は全く変わっていない。
むしろ、インターネットが同調圧力を加速させるツールにすらなっているではないか。

その戦時中の同調圧力を支えたのが「隣組」でありまた「大日本婦人会」であった。

その大日本婦人会の総裁宮殿下が「誠もて嫁き行かなむ国のため 敵手負いたる益荒武雄に」とお読みになっている。

障害者との結婚が悪いとは言わない。
しかしそれは、国の福祉政策の貧弱をフォローする、体のいい「介護要員」だったのではないだろうか。

令和となった今もなお「家族の絆」の美名の元に、セーフティネットを家族に丸投げして福祉政策を削りたい。
こんな政策の政党がよくもまあ若者から支持されているものであると寒心に堪えないところである。

 

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