【義手と義足の昭和史】米ソ義肢技術競争?(S39.3.11)

今回の「義手と義足の昭和史」は、冷戦ネタで御機嫌を伺いたい。

昭和50年代後半に子供時代を過ごした男の子にとっての国際観は「キン肉マン」によって醸成されたといっても過言ではないのではないだろうか。
中国と言えばラーメンマンだったし、スリランカと言えばティーパックマン、スイスと言えばウォッチマンで、西ドイツと言えばブロッケンジュニアだった(ブロッケンジュニアに至ってはナチスの恰好であったが、よくも西ドイツ大使館やサイモン・ヴィーゼンダールセンターあたりから抗議が来なかったものである)。

そしてソ連はと言えば「ウォーズマン」である。
当時、小学生だった自分は、お袋にこんなことを聞いた記憶がある。
「お母さん、ソ連って軍国主義?」
「何で? 社会主義だよ」
「だって、ウォーズマンは戦争だよ」

それから程なく、チェルノブイリ原発の事故があり、書記長はゴルバチョフとなってペレストロイカが行われるも物不足で市民はパン一つに行列を作るありさま。
それを見た小学生時代の自分は「ソ連なんかに生まれなくてよかったー」と思っていた記憶がある。

そんなソ連であるが、宇宙開発やら技術開発では世界の最先端を争っていた時期があったのである。
昭和36年(1961年)4月12日にはユーリ・ガガーリン少佐が有人宇宙飛行に成功し「地球は青かった」という名言を残している。
その1か月後にはアメリカも「マーキュリー・レッドストーン3号」に搭乗したアラン・シェパードにより有人宇宙飛行を成功させたが、わずかの遅れをとったこちらはガガーリンと違って世界史に名を残してはいない。

この様に熾烈な技術の革新を遂げていたのは、何も宇宙だけではなく義肢の世界もその通りであった。

昭和39年3月11日の朝日新聞の記事には、「ピンセットも使える ソ連の新型『電気義手』」という記事で紹介されている。

それまでの義手は、てこの原理を使ったフック義手であった(それまで、とは言っても、欠損バーの琴音ちゃんだって現在でも使っており、廃れたわけではない)。

そこへ、残存肢の筋電位を利用した電動義手が現れたというのだから画期的な話である。
特に、両上肢の切断者には福音のようなニュースであっただろう。

筋電義手の歴史については、2015年に広島県立大学の大塚彰氏により『わが国における電動義手の開発のあゆみ』と題した論文が発表されているが、筋電義手の研究開発の中心は、1950年代のサリドマイド禍を契機とする欧州だったようである。
そして、1962年にソ連でモーターによる筋電義手が実用化されたということに関しても触れられている。

かたや、義肢に関してアメリカではどうだったのだろう?
そのあたりを調べてみたが、ネットで一通り「America prosthesis history」などの単語で検索してみるも、大した成果は得られなかった。
UNYQ」という、アメリカの切断者サポートサイトらしき所にあったのは、

南北戦争を契機に義肢の技術が発達したが、それ以降はかばかしい進歩は無かった。
わずかに第2次世界大戦後に下肢で吸着式のソケットが発達したに過ぎない。

・・・といったようなことが書かれている・・・ような気がした。

「米ソ」などと書いておきながら題名倒れで済みません m(_ _)m

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