この日は、ほぼ全国的に高気圧に覆われ、早くも真夏日の所もあったようだ。
(2022年8月19日しるす)
1枚の決死写真から思い出を振り返ってみたいと思う。
あれは北海道支社にいた頃のことだった。
会社… 特に地方の支社レベルでは、まだ野球が盛んだった。
年齢が若いとか、少しでも運動が上手いと思われたら、野球部に駆り出されるのが普通だった。
そのような中で、自分は「2軍なら何とか出ますけど」と逃げていた。
そんなある日の昼下がり、他の課にいる、野球部の監督をしている人が大慌てで入ってきた。
「大変なんだ!3時までにあと1人登録しないと棄権になっちゃうんだ!」
それは何だか大変である。
普段仕事を手伝ってもらってる義理もあり、
「どうしても9人揃えたいだけなら俺でもいいよ。でも10人目の人が来たらベンチに下げてね」
といった。
「マカちゃん!ありがとう」
その人はお礼を言って去っていった。
さて、その試合の日がやってきた。
自転車で石狩市に近い所の球場に行くと、ちょうど9人しかいない。
つまり自分は試合に出るしかない。
「マカちゃんはレフト守って」
「はぁ…」
我が社の後攻で試合が始まる。
レフトに打球がこないことを祈るばかりだ。
…と、当たりのいい打球がライトに飛ぶ。
気の弱そうな新入社員は見事にそれをキャッチ。
こうなると運動に自信がないとはいえ、自分も負けていられない。
カキーン!
お、こっちに来た!
しかし浅いファールフライっぽい当たりだ。
別に欲かいて取に行かなくたってファールになるだけだ。
でも取れるかも知れない。
そう思って打球に飛び付いたら、膝から着地してしまったのだ。
激痛が膝に走る。
足を引きずって守備位置に戻った。
その裏の回、何と自分は2番だか3番だか、そんな早い打順。
他に上手い人もいるだろうに何で自分が???
監督は「臭い球は見送っていけ」という。
どうせ自分のバッティングなんて期待されてもいないだろう。
適当に三振でもしてさっさとベンチに戻ろう。
そういう時に限って、真ん中に球がくるのだ!
思いっ切り振ったら何と二塁打コース。
こちらは足を引きずってるのに!
どうにか1塁まで到達するのが精一杯だった。
その時、もう1人の人が来てくれたのだ。
車できたその人は、こちらの負傷で準備運動もそこそこに代走に入る。
「マカちゃん。もういいよ。帰って病院行きな」
「すみません…」
何しろ自転車で来たのだ。
豊平の社宅まで自転車を漕いでいかないといけない。
それでも歩くよりマシだった。
それでもどうにか社宅の近くまできた。
豊平郵便局の前のスタバで一休みすることにする。
それまで自転車が杖代わりになっていたが、歩くとなるとまるで歩けない。
見かねたらしい店員が、
「お手伝いしましょうか?」と。
しかし、いかにスタバのバリスタといえど、店を出ればそこで関係が切れるだけだ。
「あ、いいです。大丈夫です」
激痛の中、ほとんど這うようにして帰宅した。
その後すぐ、札幌市のホームページで当番医を探す。
大谷地の病院がそうらしい。
すぐにタクシーで行った。
そうしたら、一通りの処置と、松葉杖を貸してくれた。
その日は、地下鉄東西線の老人専用席に座って帰った。
札幌の地下鉄は「優先席」ではなく「専用席」なので、ラッシュ時でも空いてる席なのだ。
そしてしばらくは、松葉杖の手放せない生活となった。
松葉杖の生活になったからといって、放浪癖がおさまるわけではなく、土日が来れば松葉杖をついてでもどこかに行きたかった。
その日は市電に乗って中央図書館に行ったはずだ。
そのついでに決死撮影もしよう、と。
楼山と松葉杖で1枚撮った。
その様子を、遠巻きに若い男性が見ていたのを覚えている。
その男性が去るのを待っていたのだが、結局こちらが気になるようだった。
それで業を煮やしてこちらは撮ることにした。
果たして、職場では「名誉の負傷」と、自分の株が上がることになったので、これはよかった。
その後リハビリが結構大変だったが…