稚内港のイミグレ

北海道は、高気圧と高気圧の間にある。意外とこのようなところは天気が悪かったりするものだ。
回顧録:2022年9月18日しるす)

今日は母も、サハリンから帰る日である。
旅行会社からの情報によれば、今日の戻りのコルサコフへの送迎車には、もう1人の客が乗るのだと言う。
その人はツーリングをしているライダーで、パスポートを紛失したのだと言う。

と言うことで、車に乗って大泊へ。

いよいよサハリンも最後である。

コルサコフの港で撮影してサハリンとの別れを告げる。

コルサコフは、日本との貿易港でもあるのだ。
それで、人口数万人の街である割には、巨大なクレーンが何本も並んでいたりする。

そしてフェリーは出発する。
いよいよ日本に戻るのだ。

ところで、客としては中高年の日本人団体客が多く、個人で旅行している日本人は自分だけだった。
いや、というかさっきパスポートを紛失したと言う日本人ツーリストもそうなのか。

果たして、数日ぶりに日本に戻ってきた。

それは良いのだが、稚内のイミグレに2列に並ぶことにした。
自分は、人数の少なそうな方の列に並んだが、明らかに隣の列の方がサクサク進む。

どうやら、自分はロシア人側の列に並んでしまったようである。
遠くからでは、その日本人専用かロシア人用なのかが見えないのである。

日本のイミグレーションは、ロシア人のパスポートを念入りに見ている。
平和条約の結ばれていないロシアは、基本的には警戒の対象なのだ。
それで、こちらのパスポートチェックがかなり遅れてしまった。

腹立ちまぎれに「もうちょっとわかりやすいところにロシア人よって書いてくださいよ」と苦情を言ったら、入国管理官はヘラヘラと「すみませんね」と言う程度だった。

事のついでに、税関からは、リュックを開けるように言われてしまった。
早々と通過した日本人観光客に対してはやらなかった対応である。

「なにいってるんですか?僕はロシア人じゃないですよ。れっきとした日本人ですよ。信じてくださいよ」
…と言おうとしたのは、どうせトラブルにしかならないのは目に見えている。
素直に従ってリュックを開けて中を調べてもらうことにした。まるでロシア人並みの対応である。

ともかくも、稚内の街に出ることになった。
旅の最後の最後でケチがついた。

後は、稚内からの夜行バスを待つばかり。

 

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