【義手と義足の昭和史】戦火のサイゴンから(1967.11.1)

先日、田中伊三次法相の一挙23人死刑関係のニュースを調べている時の拾い物。
当時、日本ではベトナム戦争に関するニュースが盛んに報じられていたようである。
昭和30年代生まれの人によれば「国道1号線」「17度線」などという単語がテレビで盛んに報じられていたのだそうな。

そんな戦火の南ベトナムで、テロにより右足を失った少女が日本のボランティア医師により広島に連れてこられ義足の処方を受けていることが、昭和42年11月1日の産経新聞に報じられている。

彼女はサイゴンにある社会奉仕学校に通うフィ・チー・フォンさんというのだそうで、Phí Thị Phươngであるとすれば、漢字で書けば「費氏芳」だろうか。

その彼女の学校の女子寮が襲撃され、手榴弾により右足のひざから下を失ったのだという。つまりRAKということになるだろうか(膝離断だとAKとかBKのほかに何か用語がある?)。

ちなみに「義足」をベトナム語でいうとChân giảと言うのだそうで、チュノムだと「蹎假」とでもなるだろうか。

広島に来た彼女は「異国に来てこんな親切なもてなしを受け感激でいっぱいです」と感謝しきりであったと報じられている。
当時だと、サイゴンからはパンナムか日航の世界一周便か、パリから来たエールフランスあたりで羽田に来たのだろうか。
そして新幹線開業後に新大阪~博多間となった特急「つばめ」「はと」に乗り継いで広島まで来たのかもしれない。

日本は終戦からすでに21年。東京オリンピックや東海道新幹線も開業し、高度成長はすでに完成されていた時代と言って良かったであろう。
既に他国に援助できるだけの余裕を持ち得ていた時代になっていたのであろう。

ところで、1月2日に藤沢の教会で行われた在日ベトナム人の正月イベントで撮った南ベトナムの旗を、年若いベトナム料理店の店員に見せたところ「そんな旗知らない」という。
サイゴン陥落から今年で43年目・・・

 


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