2011年の「切断女の夜」の後は、新宿で夜通しアフターの飲み会だった。
2011年に義足の女性四人をホステスさんに迎え(ちゃっかり自分も入ってるw)名前もそのまま『amputee cabaret 切断女の夜』というイベントを企画したのであります。その時のオリジナルカクテルの名前は「切り株」、、、https://t.co/o8Wf9TpXkh
— Mari Katayama (@katayamari) 2015年11月9日
その時に欠損フェチじゃない人から聞かれた質問として、
「実際に女の人の手足を切りたいと思いますか?」
というのがあった。
そりゃ確かに、「実際の女性の手足を切断したいのか」と言われても「だったら、ホラー映画で殺人事件が増えるのか? 恋愛映画で出生率が向上したか?」とかそんなレベルの戯言でしかない。
意外に思われるかもしれないが、当方は血を見るのは大嫌いです。
だから親に「医者になれ」「医者になれ」言われても医学部は眼中になかったんです。
(あ、その前に実力がないとだめか)
・・・ただ、あくまで自分に関してだが、クラスメートの可愛い女の子を見て「彼女に両腕が無かったらもっと美しいのに」と思ったことは、実際は無くはない。
そんなことを初めて思ったのは中学校の頃。
小学校から同じ学校だったポニーテールのMちゃんは、小さい頃から体操をやっていた。
細身な彼女は、体操の練習でレオタードを着慣れているからか、普段からショートパンツや体の線の出る格好を抵抗なく着こなしていた。
あの頃、水泳の授業で女子が着る水着と言えば、それこそ「旧タイプのスクール水着」(画像の左側)である。
そんな時代にMちゃんは1人、競泳型(画像の右側)のスクール水着だった。
ついでに言うと股間の割れ目がくっきりであったことも男子どもの劣情を煽っていた。
そんなMちゃんの両腕が、もし無かったら・・・!
それが自分の人生で初めてのズリネタだった。
スレンダーな彼女は、正にトルソーにふさわしい、造語にするなら「Torsogenic」な少女だった。
(というか、こんな想像して本当にごめんなさいという感じではあるけど)
では、あの頃の妄想をTRS48の桃園(P)と宇崎(Y)に再現してもらいましょう。