に、に、日常に戻るんだな

7月6日は多くの記念日が設定されている日です。以下に主要なものを列挙します。

1. サラダ記念日:歌人の俵万智が1987年に発表した歌集『サラダ記念日』に由来します。「この味がいいねと君が言ったから 七月六日はサラダ記念日」という短歌が有名です 。
2. ピアノの日:1823年7月6日に、ドイツの医師シーボルトが日本に初めてピアノを持ち込んだことに由来します 。
3. 公認会計士の日:1948年7月6日に公認会計士法が公布されたことを記念して制定されました 。
4. ゼロ戦の日:1939年7月6日に零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行が行われたことに由来します 。
5. ワクチンの日:1885年7月6日にルイ・パスツールが狂犬病ワクチンを初めて接種したことに由来します 。
6. ナンの日:株式会社デルソーレが7月6日を「ナンの日」として制定。7(ナ)6(ン)の語呂合わせに由来します 。
7. セコムの日:セコム株式会社が「7(セ)5(コ)6(ム)」の語呂合わせで制定しました 。
8. 思いやり手洗い洗車の日:七夕の前日である7月6日に、手洗い洗車の重要性を再認識する日として制定されました 。

さらに、7月6日は複数の国の重要な記念日でもあります。

・リトアニアの建国記念日:1253年にリトアニア初代国王ミンダウガスが戴冠した日です 。
・マラウイの独立記念日:1964年にイギリスから独立しました 。
・コモロの独立記念日:1975年にフランスから独立しました 。

この日はまた、ヤン・フスの日(チェコ)として、宗教改革者ヤン・フスを偲ぶ日でもあります 。

その他にも、毎月6日は「メロンの日」や「手巻きロールケーキの日」とされており、これらはそれぞれの食べ物をPRするために制定されています 。

このように、7月6日は多くの意味深い記念日が設定されている特別な日です。

少なくとも母上や妹と平壌に住んでいる。
そして雪の中をデパートに行って何かを買っている。
平壌のデパートなので、さぞサービスが悪いかと思いきや、意外に普通にサービスしてくれた。
そんな夢を、沖ノ鳥島から戻るおがさわら丸の2等寝台で見た。

目が覚めたら5時過ぎだった。
昨夜も相当早く寝たので、こんな時間に目が覚めるのだ。

冷房で寝冷えしそうだ。
せっかく目が覚めたので、決死でもしに行こうか。
Google マップの位置情報の島と島の間のブランクは、小さければ小さいほど良い。

果たして、6階の最後尾のデッキに行って決死してみる。ここなら陰があって、前髪のあるメンでも庇しにくい。

そう思ってデッキに出てみると、右舷側でも左舷側でも既に人がいる。
ホエールウォッチングをしているのだろうか。

ちなみに、TG-6でGPSの電波を取るまで5分ぐらいかかった。

なんだか精神的な不安感は亢進する。
いっそ、診療所にでも行って薬を処方してもらおうか。
あるいはカウンセリングに行くとか?
いや、カウンセリング程度であと9ヶ月が縮まる訳でもあるまい。

ともかくも、5時半に決死して到着は13時半なので、その間ということで次は9時半に決死することにしたい。

ベッドに戻り、引き続きリーマントラベラーの「自分の時間の作り方」を読んでいるが、気乗りしない人と付き合い方だの、マウンティングしてくる人への対処法など、もはやそれは旅行に関係ないんじゃないかと思うようなことまで書いている。

マウンティングといえば、この「収鋲」という行為自体が、他の人が行ったことのない所により多く行くという行為であるわけで、マウンティングと紙一重のような気がする。

また、リーマントラベラーも「出る杭は打たれる」という経験はしているようで、「旅行行ってる暇があるんだったら仕事したら?」とも言われたらしい。
その程度で済んでるならまだしも、関係ないところまで粗探しをされて涙も流してボイコットでもせんばかりに「真面目に抗議」でもされた日には目も当てられない。

また「20代のうちは貯金しなくてOK」なんて書いている。
考えてみれば、乃公おれ自身、20代のうちは貯金できるほど給料がなかった。
それで、給料日前になると、定期預金や簡易保険から1万円ずつつまんだりしていたものだ。それでpukiwikiのメモに「HSO」などという項目も設けていたものだ。HSOとは「平成の借金王」ということ。
そのくらい後ろめたい思いをしながら、定期預金や簡易保険をつまんでいたものだが、それをしなくていい、むしろ貯金が貯まり始めたのは、簡易保険の期間が全部終わり、40代になってからではないだろうか。
簡易保険がそういえばどうなってたっけ…と思って職場の近くの大手町の郵便局にとは言い合わせたら「もう終わってますよ」と言われたときの爽快感はこれ以上なかった。
もともとは社会人になりたての頃に母上に言われて、2万円ずつ積み立てるようにしていたのだ。
若い頃はかなり苦痛ではあったが、戻ってきた400万円位を見た時、感動したものだった。

さて、7時も過ぎたので、朝食にすることにしよう。
かといって、4階のレストランだろうが、7階のラウンジだろうが、並ぶのはだるいので、自動販売機でカップのそばとクリームパンを買って、7階のラウンジで食べることにする。
また、亜鉛サプリを飲むために炭酸水を買うことにする。

最初は、充電でもしながら、本でも読んでいようかと思ったのだが、位置的にもしかして北硫黄島ぐらいかなと思って、右舷のデッキに行ってみたら、案の定だった。

それでにしこくん仕事をできたのはいいとして、決死の方である。
まだ右前方に北硫黄島があるので、光線的には都合が悪い。
あくまで後方になってからの方が決死はやりやすい。

それで、6階デッキ右舷側のベンチでその時を待つことにする。
デッキには、その北硫黄島を取りたい人や、バードウォッチングの人でひしめいている。

そして待つこと30分程度、8時07分ごろに北硫黄島がおがさわら丸の真横に来た。
さぁ、そこでにしこくん仕事…と思ったら、親子連れがやってきた。特にショーパンを履いた女子中学生までが写り込んでしまったら、乃公おれは気にしないが、相手に大騒ぎでもされたらえらいことになってしまう。
それでもどうにかにしこくん仕事はしたが。

この先、決死するのに理想的なアングルに入るためには、あと30分ぐらい必要そうだ。
この間「事件・犯罪大事典」のOCRでもしていよう。

大体4件ぐらいやったところで、いい感じに北硫黄島が後ろまで来た。
ここで決死撮影と洒落込みたいが、次なる障害は、TG-6がなかなかGPSから位置を取ってくれないのだ。
これも老朽化なのだろうか。

かれこれ10分ぐらい待っただろうか。やっとGPSの位置が取れたので、決死することとする。
実に8時55分であった。

余談ながら、今回の収鋲では、タイトルを全て「裸の大将」を意識したものにしているが、それは左向きのメンをにしこくん仕事に入れず、裸の大将コスにして、拙ブログの写真配置を左右互い違いにしようと思ったからだ。
それで昨日は、夕暮れにアンヌを決死に出したことで、夕焼けにしこくん仕事するチャンスを失ってしまった。
今回は、北硫黄島と言う被写体があったので、裸の大将コスを取り消して、急遽にしこくん仕事にしたので、今日に関しては全く裸の大将コスは使わないということになる。

後は、7階のラウンジで読書でもしながら過ごすこととしよう。

結局、リーマントラベラーの「自分の時間の使い方」になってしまう。
お金の使い方にしても、「なんとなく付き合いで」というのは浪費であると言い切っている。また、安いスーツを何着も着回すよりも、オーダーメイドのスーツを3着だけ長く着回すことを勧めている。
また、最高に疲れている時は家事代行を頼んだりしたという。やりたくない事はやらなくていいというストレスフリーに感動したと。そういえば、先月父上と母上が来た時は、同じようなことで感動したものである。

トイレに行った後は、今度は萬年甫「滞欧日記」を読むことにする。
結局サイゴンではビザが出たようで、植物園などを見て回ったようだ。
この時は、バオダイ帝とゴディンジェムの選挙があったようである。アメリカが推しているゴディンジェムの方が有利であろうと。
ただ「感じの良い街ではなく、写真も撮る気にならない」という。
ただ、出会ったセイロン人の商人にカレーライスをご馳走になったようだ。

また、次の寄港地はシンガポールであるが、この当時は人種差別があったようで、中国人では上の地位にはつけないということを著者と同乗した中国人技師が嘆いている。

ところで、著者は「家からの手紙はaerogrammeではなく封書にしてください。aerogrammeは安いだけあって読みにくい」などと書いているが、日本から航空郵便で船に送るという意味だろうか。
いついつにどこそこに寄港するだろうから、その寄港中のベトナム号に泊まっている人に送ってくださいという感じだったのだろうか。

昭和30年10月18日、シンガポールに到着したようであるが、「一度上陸してカラーフィルムを送った」という記述があるので、心配されたビザは無事に降りたようだ。
ただ、この当時はシンガポールは独立していなかったようで「マラヤ連邦はビザがめんどくさいという」などと言っている。そういえばマレーシアではブミプトラ政策だかいうマレー系優遇政策をしていたんだっけか。
シンガポールでは、植物園とラッフルズ博物館に行ったようだ。

ここで、帰ったときのために「読書メーター」向けの読書感想文をまとめておこう。
やはり、拙ブログはあくまで「加工していない生のもの」なのだ。表に出す前提のものは、ここから切り出してまとめるというのが1番良いようだ。
その成果物がにしこくんブログであったり、読書メーターだったり、noteだったりするのだ。

ちょっと母島も近くなったというので、デッキに出てみることにしよう。時刻にして10時20分過ぎ。
確かに、母島は右前方に見えるが、デッキに出ている人はあまりいない。
もう旅も終熄ムードで、みんなベッドで寝ているのだろうか。

ちなみに、船内放送によれば、予定より早く13時10分ごろに到着するそうだ。
ラウンジではウクレレなんか弾いてるグループがいる。

10時40分ごろ「4階レストラン脇で行っていた展示は終了します」とアナウンス。
いよいよまた旅も終熄ムード。
母島はより大きく見えている。

残り2時間強となり、後はもうベッドで寝ていることにしよう。
その間に1冊ぐらい読める本はないだろうか。
やっぱりあのリーマントラベラーの自己啓発本かな。

断捨離についても書いている。1年以上使っていないものは容赦なく捨てろと。
考えてみれば、このような理由で千葉の頃までは荷物を持ち続けていたものである。
これからは、転勤族であると言う前提のもとに、捨てれるものはどんどん捨てていかなければいけない。

この先も、自己啓発じみたことがいろいろ続くのだが、割と確かにそうだと思えるようなものは多い。

ただ、1点だけ決定的に違うのは、このリーマントラベラーは新入社員当時から夜遅くまで仕事に打ち込んでいたということ。
片や、こちらはといえば少し仕事が増えただけでうつ病だなんだと言って仕事を忌避してきた。
なんだかんだ言って、仕事を最初から拒否するような人間は、サラリーマンとしても大成することはできない。
他人にそれを強制するかどうかはともかく、残業を厭わず、仕事はできるようにならないといけない。
残業をすると損をしたような気持ちになるのは、あれは何だったんだろう。これは、20年以上を社畜として過ごしてきた乃公おれの最大の汚点かもしれない。これさえなければ、能力が低いなりにも周囲に伍して今もでも仕事ができていたかもしれない。残業を徹底して嫌っていたのは何だったんだろう。
脇道に逸れるが、その答えはあのキモ太郎にあるかもしれない。
乃公おれもキモ太郎も頑張っている姿を笑われるようなノリの世界を過ごしてきた。
その結果、奴は1分として残業せずさっさと会社を出て行く。
そんな世界は「悪縁」なので、一刻も早く断ち切るべきだったのだ。それができなかったのは「名門の一員」のプライド?
皮肉と言うべきか、あと1週間もすれば「さもしい先輩」としての夏が始まる。いったい今年はどうなるか、さもしい先輩なりに見ていくこととしたい。

だいぶ脇にそれてしまったが、読み終えて感じたのは「仕事は嫌いでは一流になれない」ということ。
個人的には、まず残業を厭わず頑張ってみるところから始めたいところである。

ところで、11時半ごろ、母島を過ぎたあたりで、ベッドの中でも電波が1本2本立つので、デッキに出てみることにしたい。デッキならフルで立つかもしれない。

そう思って6階のデッキに出てみると、確かに電波はフルで立つ。
しかし、ネットができるかどうかといえば、また別の話。
乗船している他の人が取ってしまっているのだろう。
おそらくは、下船するまでネットはつながるまい。

12時になったものの、もう4階のレストランはらないようだ。
それで、昼食は下船してからということになる。

iPhoneには、通知だけはバンバン入ってくるのだが、本文を読むことはできない。この辺、どのような構造になっているのかよくわからない。

ハートロックを撮ったあたりで部屋に戻ろう。

部屋に戻ったら電波が復活してTwitterも入るようになり、メールも見れるようになった。
木曜日の午後から金曜日まで、乃公おれにアタリのあるメールは特に無いようだ。

12時59分、下船開始の船内放送。
7階の金持ちの客から降りていく。

5階のプチブルの客が降りるのは13時10分ごろ。
果たして、沖ノ鳥島への旅は終わった。

昼食だが、13時も過ぎたのでってるところなんて少ないだろう。
それでもあめのひはってたので入ることにする。ここでズッキーニ鳥天丼。

その後、生協に行って半玉のキャベツを4つ買う。

そして帰宅。公開部分はここで終了。

ここまでの決死出演は4名(累計22名)。

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