亜墨利加よりも遠い場所

小笠原諸島Bonin islandsは前線が通過しようとしている。
今日一日は曇りで推移するようだ。
最高気温は24℃になるという。

6時半ごろ目が覚める。

6時間程度では寝不足のためか何か体が重い。

それでも、散歩に行くことにしよう。
どうしても、7時20分に飛行機でアメリカに転勤で旅立つ弟におがさわら丸を見せながらメッセージを送りたい。
弟は偏差値50もないような三流大学卒業なのだが、スポーツや飲み会が好きで人間的にはまともなので、現在は2児の父としてそれなりの企業でたくさんの部下を従えて管理職として頑張っているようだ。
それで、今般アメリカ行きの辞令が出たわけだ。

ところが、聞いてみると7時20分に日本を発って、向こうに到着するのは日本時間の4時ぐらいなのだという。つごう所要時間21時間。
つまり、おがさわら丸で24時間かかる父島Peel islandはアメリカよりも遠いところということになる。

外に出てみると、風がかなり強い。
おがさわら丸の桟橋には、コンテナが多く積まれている。
引っ越しのシーズンなので、31日の便ではこれが積まれるということだろう。

そして、奥村コースとして散歩をしていると、マリーナからは船が出て行ったり、何かの準備をしている。
土曜日なので、釣りやダイビングは書き入れ時であろう。

奥村の集落に入ると、なんだか煙い。
魚市場のところで焚き火でもしているのかと思ったらそうだった。
漁師の奥さんたちが大きな魚をさばいており、男たちは焚き火で何かの豚汁のようなものを作っている。
これが小笠原諸島Bonin islandsの風景だ。

赤灯台まで行ったら戻ることにする。
相変わらず風は強い。
ポツポツと雨まで降り出した。

他社の所長さんがスクーターで追い抜く。メタボなのでハートロックまで行くらしい。
なるほど、メタボになったら散歩などと言う生ぬるい事はせず、ハートロックに行く位の根性を見せなければいけないのか。

存外に雨が強くなってきたので、さっさと帰ることにしよう。

まずは洗濯機ワシンミシンで上がった洗濯物を干すことにする。
とは言え、雨すら降っているので、部屋の中でしか干すことができない。

ソファーの上でぼんやりとしながらにしこくんブログを再編集している。
これは2017年4月まで進んだ。

さて、10時にも近づいたので、ハートロックカフェにでも行って、にしこくんブログの再編集をしようと思ったら、アマゾンで荷物が届いていた。
創彩少女庭園で使うトルソー、裾直し用のテープ、長期保存用カロリーメイト。

そして、ハートロックカフェに向かうことにしよう。
ばんじゃくろ茶とチキンナゲット。

基本的に、にしこくんブログの再編集作業のような単純労働は飽きてしまい、だんだん苦痛になるのだが、意外に快調に作業が進みどうにか2017年6月まで入ることができた。
父島Peel islandにいれば、どこに旅行することもできないだろうから、今のうちに今後のための基礎を作っておこうと思うのだ。

そのうち、外は太陽すら照るようになった。

弟は、羽田でアメリカ行きの飛行機に乗り換え、旅立っていくという。
ビジネスクラスでWi-Fiも使えるのだという。

iPadのバッテリーは20%台までなっている。
おそらく一旦充電しないと、午後は作業できないだろう。

そして、12時に近くなったので、店を出て隣のうわべ家へ行くことにする。

店に入るなり、店の人が「今日はナマ物はありませんよ」と言う。
もうすっかり漬け丼を頼む人だと認識されているようだ。

仕方がないので、チキンカツ丼を食べることにする。
それにしても、うわべ家はこんなにボリュームがあっただろうか。
五六助亡き今、ガッツリ系の衣鉢を受け継ぐ意思があるのだろうか。

さて、いつもの二見港に近いほうのベンチで食べようと思ったら、人がいるので、別のところで食べることにする。
そう思ったら、太陽が見え始めた。こんな時に限って…

ともかくも食べ終わり、腹がいっぱいになったので、巉嶼ざんしょでどこかに行くことにする。
どこかといっても、結局は島の南側ぐらいしか行くとこなんてないのだが。

それで、巉嶼ざんしょを扇浦方面に走らせる。

扇浦には、カヌーやSUPが所狭しと置いてある。
島の中でも、マリンスポーツの一大メッカだ。
今日の扇浦は風も弱く過ごしやすい。

観光客や親子連れが加入をしたり、海水浴をしたりしている。
そして今日は一日中山に霧がかかっている。

アメブロの再編集の方だが、2017年10月まで快調に進む。
バッテリーも切れかかっているので、外付けのバッテリーで充電しながら作業をすることにする。

ところで、どうもだるかったり頭がしびれたりするのはどういうことだろうか。
気温の変化とかだろうか。

結局、2017年12月ごろまで進めてしまった。
15時半も過ぎたので、戻ることにしよう。

途中、福祉センターの図書館に寄る。
ここでも本読みもそこそこにアメブロの再編集をしており、2018年1月まで進めてしまった。
この調子で進めていくと、1年かかりどころか、数日で終わってしまうんではないだろうか。

そして17時を過ぎたので、さっさと帰ることにする。
17時を過ぎて福祉センターの図書館に行ったことなんて初めてではないだろうか。

そのうち、18時になったので、キムチ鍋をして食べることにする。

Twitterを見ると、「春は馬車に乗って」君が何やら話題になっている。
基本的には遊郭史アカウントなのだが、仕事がうまくいっていなくて、転職がどうたらとずっと言っているのだが、まだ転職はしていないようだ。
そんな会社で、会議中にレーザーポイントを目に当てられたのだという。
これは完全に障害罪で訴えても良い話なのだが、周囲は笑っていたという。
一体どういうカルチャーの会社なのだろうか。
ただ、この春馬車君自体が普段からイキリヲタで、いつぞや、「フィギュアと一緒に駅名標を撮って歩いているのを見て、許せない気持ちになった」等ということを放言してくれた。
こんな奴なので、自分が知らない間にどこかで恨みを買っていたのかもしれないが、それにしても、このような事は許されないので、必ずや事件化するべきであると思うのだが、どうなのだろうか。

さて、21時も過ぎたので、1週間ぶりにヤンキータウンにでも行こうか。

暗い中を巉嶼ざんしょを走らせる。

ヤンキータウンに行くと、マスターはポツンとYouTubeを見ていた。
どうやらウクライナ侵攻のライブ中継のような無駄が、こうした戦争画像を見ていても、精神的にストレスにならないのだろうか。
東西冷戦時代にベルリンの壁で警備をしていたというが。

実際のところ、大して会話は盛り上がらなかった。
ヤンキータウンに来ている以上、米軍時代の話でもできればよかったのだが。

ともかくも、1時間程度いた位にして帰ることにする。
弟はと言えば、既にアメリカの領内に入ったようだ。
既に夜が明けているのだという。

しばらくぼんやりソファーに座っていたが、22時も過ぎたので風呂に入ることにする。

風呂の中では、Twitterの陰湿金融文学を見ている。
読みやすい文章であるが、銀行というのは恐ろしい世界であることよ。

結局風呂から余ったのは0時近くであった。
さっさと寝ないとまた寝不足になってしまいそうだ。

外は雨が降っている。

今日の決死出演は6名(累計10名)。

 

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