西丹沢収鋲

関東一帯は、高気圧に覆われている。
ほぼ1日、晴れで推移する模様。
最高気温は、30℃まで上がる見込みであると言う。

職場がなぜか木造の洋館のようなところで、そこで女子社員と何やら話していると、何かのことで数人の社員にショックを与えてしまったようである。
それで、そのショックを受けた社員の1人が飛び降りてしまった。
これを見た女子社員も、ショックを受けて自分のところから去っていく…と言う夢。

目が覚めたら、7時過ぎだった。
昨夜は2時近くまで起きていたのでこんなもんだろうか。

今日は、9時ごろに出れば良いようになっている。
それで、ゆっくりと準備する。

そして洗濯物を干す。
収鋲の日の朝にこれだけの余裕があるというのは珍しい。

9時になったので行動開始。
9時過ぎの新京成線に乗る。

そして松戸で常磐線の快速に乗り換え。

北千住には紀伊國屋があるので、ここで昼食を買うことに。
兎にも角にも出来うる限り健康志向で行きたい。
流石に高級スーパーなら雑穀サラダとかあるだろうと。
大豆ミートの何とかサラダがあったのでそれを買う。
そして東武の改札内の権米衛で玄米おにぎり2つ。これも昼食のため。

せっかく東武の改札内に入ったので、そのまま日比谷線で上野に行くことにしたい。
日比谷線なら北千住始発もある。それとこちらの方が直線で結んでいるだけにJRより早い。

そして上野に到着。
おそらく10時24分の熱海行きが一番近いだろう。
熱海までは1時間に5本ぐらいあるようだ。

iPhoneエクスプレスカードをSuicaに切り替えてグリーン券を購入。
流石に国府津までならグリーン車でもバチは当たるまい。

そして上野東京ラインに乗る。
上野東京ラインは石原慎太郎が「太陽の季節」で「朱色と緑の」と表現した湘南電車の後裔であり、グリーン車はその湘南電車の「二等」の後裔である。

グリーン車も混んでいたが、どうにか車端部の1階席に陣取ることができた。

しばらく時間ができたので、ブラウザゲームに打ち込むことにする。
1週間ごとに情報更新をしないといけないので、結構それで忙しい。
ただ、だんだん要領がわかってきた。
だんだん勝てるのではないだろうか。

そんなことをしていたら、もう二宮だと言う。
二宮の次は国府津。さっさと降りる準備をしなくてはいけない。

国府津に着く前に電車が減速する。
この駅のホームの東京方に立てば、オーシャンビューが望めるかもしれない。
JRの拠点となる駅だと知っていたが、このような一面もあるとは知らなかった。

国府津には、ホームが3本ある。
駅舎寄りのの1番線は、東海道本線の下り方面。真ん中の2番線と3番線が御殿場線。
そして、1番奥の4番線と5番線が東海道本線の上りと言う構造になっている。

それはともかく、乗り換え時間はあまりないので、さっさと3番線に行くことにする。

JR東海の沼津行きは、313系の2両編成。結構客で混んでいる。
自分のボックスシートの向かいには、アート・ガーファンクルに似た気難しそうな外国人。

そして、ブラウザゲームのやり残しをやってしまう。
このゲームも、なかなか暇がないとできそうにない。

そして、車窓には神奈川県とは思えないような渓谷が広がる。
もう1駅で静岡県の駿河小山駅になるというところで、神奈川県最後の谷峨駅に到着する。

ところが、自分の場合は、上野から乗ってきたので、ICカードは改札を出てないのである。
仕方がないので、運転士から証明書をもらって降りることにする。

谷峨は山奥の駅ではあるが、数人の客が降りた。ほぼ確実にハイキングであろう。
一応そのような需要はあるようだ。

こちらは、駅前広場の藤棚の下で北千住で買ってきた玄米おにぎりと大豆ミートのサラダを食べる。
非常に健康的だ。これでまた腹にガスがたまるのだろう。

そもそも、なぜこのような山奥にいるのか。
それは、ダークツーリズムのためである。

一体どのような事件であったか。
それは、昭和30年にさかのぼる。

それは昭和30一年元旦の神奈川新聞。
元旦だけに、新年ムードが漂っている中、記事もあろうに殺人事件である。

御殿場線の山北駅からさらに分け入った、前年まで「足柄上郡三保村」であったところで、郵便局長が殺されたと言うのである。

経緯は以下の通りであった。
年の瀬の12月29日、朝9時ごろに自宅を出て玄倉川の上流にある東京営林局丹沢治山事務所から局に電話があり、「今から玄倉方面の貯金勧誘を終わってから行く」と連絡があったまま行方不明になっていたというのである。
そして、それ以降行方を探していたのだが、翌30日の夜9時過ぎになって、玄倉川の河原でネクタイで絞殺された死体となって見つかったと言うのである。

鞄の中の30,000円の現金と金時計がなくなっており、強盗とみられる状況であった。

そして、1月4日の神奈川新聞でも続報が報じられている。

いや、続報と言うよりは捜査に進展はなく、犯人がどこに逃走したかについての推理について終始している。

焼大やきだい公民館と言うところに捜査本部を設けて、大晦日や正月返上で玄倉川や中川流域の捜査に力を入れていた。

逃走経路とは言っても、玄倉川をさかのぼって塔が岳方面にでも行くのか、はたまた白石峠を越えるのか、はたまた山北方面に降ったのか、それしか経路は無いのだ。
最も有力だったのは、1番最後の「山北方面に降る」と言うことであった。

また、犯人調査者については、三保村に出入りしている林道や堰提工事の人夫ではないかと目された。

しかし、これ以降この事件に関するニュースは全然入ってこない。
さすがは神奈川だけに、次から次えといろいろな事件が発生していくのであった。

この事件が久しぶりに新聞上に出るのは、昭和31年1月15日のことである。

被害者からは、現金30,000円や金時計が生まれた事はすでに報じられていたが、その金時計が、岡山市内で発見されたと言うのである。

それは、長野県生まれで、三保村に薪割り妊婦として入っていた26歳の男であった。
事件当日、付近の人に「東京に行く」と言って姿をくらまし、王子の近くの母親宅や、横浜・横須賀方面の知人宅も転々としていたと言う。

これほどの大それたことをしでかす男が、どれだけ凶悪な男かと言うと、身長は5尺1〜2寸というので今で言えば160センチもなく、やせ形で色白、写真を見てもおとなしそうにしか見えない。

この男が、全国手配されたと言うのである。

翌昭和31年1月16日の神奈川新聞では、早くもその男が逮捕されたことを報じている。

それは、国鉄横須賀駅から少し山のほうに入った横須賀市逸見のアパートであった。
そして、すぐさま所轄の松田警察署に連行されてきた。

犯行の動機は、前年の10月まで同棲していた小田原の特飲街の10歳上の女に逃げられ、この女を探すための金が必要であったからであると言う。

それで、金を持っている人を物色しているときに、郵便局長に白羽の矢を立てたのだと言う。

この男、色白で小柄で凶悪犯には見えないが、それもそのはずで、「神奈川県警察史」によれば、海軍召喚の息子で、長野県の上田高校を卒業しているのだと言う。また、関東海運局で働いていたこともあったと言う。

そんな事件のダークツーリズムは、谷峨駅からまたバスで30分ほど揺られた先にある。
バスは神奈川中央交通ではなく、富士急バスとなる。

バスは、登山客も多い。
睡眠不足のためか、バスの車内ではほとんど寝ていた。

電話覚めると、車窓の左手には雄大な湖の風景が広がる。
今や、事件のあった三保村はほとんどがダムの底に沈んでいるのだ。

そして、「学校入口」と言うバス停で降りる。

三保ダムの周辺は、ある程度観光開発がなされているようで、商店なども観光客向けに開設されている雰囲気がある。
そして、この商店では「カール」まで売っていると言う。まるで西日本のように。

件の三保郵便局は、そのダムのほとりにある。
しかし光線状態が悪すぎる。まるで歓迎されていないかのように。

ダム湖では、遊覧船やボートで楽しんでいる。

さて、ここから先1時間は、西丹沢ビジターセンターへ行くバスがないので、その商店の前でゆっくりしていることにしよう。
幸い、ベンチもある。

そして、15時12分となり、西丹沢ビジターセンター行きのバスが来た。
バスには自分だけが乗っている。

バスは、本当に狭い道を走る。
急なカーブでは、切り返しすらしている。
いっそのこと、マイクロバスで走ったらどうだろうか。

ともかくも、神奈川と思えないような急峻な渓谷を上りきったところに「西丹沢ビジターセンター」があった。
バス停では、帰りのハイキング客が待っている。
これは確かに、マイクロバスでは運び切れない量かもしれない。

後はもう帰るだけ。
うつらうつらしながら、山北駅を目指すようにしよう。

そして、市街地が増えてきて、山北の街並みとなる。
山北は、御殿場線が東海道本線だった頃までは、かなり賑やかな街だったようだ。
それで、15時のサイレンも「鉄道唱歌」だったのだ。

しかし、山北もたいがい光線状態がよろしくない。
そこへ、レトロ調のバスがやってきた。
山北の全盛期は、戦前の丹那トンネルが開業する前だったのだ。

谷峨で降りた時に、ICカードが使えないままになっていたので、その辺を駅に相談してみると、委託駅員は「国府津でやって」と言う。

仕方がないので、そのままJR東海の国府津行きに乗ることにする。
車内はかなり人が多い。

山北を過ぎると、海の方に向かって市街地が果てしなく広がる。

そして松田に到着すると、満員だった客がかなり降りてしまった。
後はガラガラの車内で国府津を目指すだけ。

そして国府津に到着。

ハイキングで楽しんだ客たちも、夕暮れとともに日常に戻っていく。

こちらは、谷峨でICカード使えなかった分を、精算しなければいけない。
結局、上野から谷峨、山北から国府津間の2区間で2000いくら取られることになった。

さて、ここから帰途に就くことにしよう。

幸い、ちょうど国府津始発の宇都宮行きというのがあるので、これに乗っていく。
夕方の上り列車でもあり、かなりガラガラである。

後は副産物ブログをつけるなど。

そういえばにしこくんを一つ鹿児島空港でロストしたんだった。
秋葉原のキンコーズでラミネート加工できるだろうか。
調べてみるとかなり微妙。
仕方がないので、明日にでも会社の近くでやることにしよう。

ニュースでは、インドネシアのサッカー場で負けたチームのサポーターが暴動を起こして120人以上死亡だと。
それでもインドネシアでは割と普通のようで、どうなってんの。

そして東京駅に到着し、山手線で秋葉原へ。

秋葉原のヨドバシの1階には、「神座」というラーメン屋があり、こんにゃく麺だという。
ちょっと食べてみようか。

ということで行ってみると、なんとSDGsにも力を入れているという。
それでフードロスを防ぐためにニラの少量提供をおこなっているという。

ラーメン自体は昔の中華そばのようなあっさりスープ。
まあ若者にウケるかどうかは微妙。

しかしラーメンに1,430円払うなんて初めてだ。

さて、帰ることにしましょう。

上野から、常磐線に座って帰りたいが、6分待って乗る取手行きでは座れるかどうかわからないし、25分待って土浦行きに乗ろうと思ってもそこまで待つものかどうかはわからない。
そういうことならば、ちょっと喫茶店で一休みしてちょうど良い時間に帰ることにしよう。
では「ちょうど良い時間」とは一体どのくらいなのか。
それは、15分位ではないだろうか。
と言うことで、20時33分の上野発取手行きに乗るために、20時18分ごろに店を出ることにしよう。

それまでは、のんびりとブログでも読み返していることにしよう。

さて、いい時間になった。
20時33分の取手行きに乗ろうと思ったら、松戸〜柏で異音があり運転見合わせだと。

それでもどうにか出発。
そして松戸で新京成線に乗り換えて帰宅。

後は風呂に入って寝ることにする。
明日は月曜日だ。

今日の決死出演は9名(累計30名)。

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