今晩は昭和歌謡のイベントをやるというので、いったん異常者としての顔は封印して「昭和を懐かしむ人」の顔で見に行くことにする。
ほぼ予定通り、18時に직맹の会議が終わり、急いで横浜を目指すことになる。
しかし、上野駅のハードロックカフェの脇を上った階段の上の2階はこのようになっているとは知らなかった。
現在では、アトレになっているようだ。
移動するのは良いとして、おそらく夕食を食べる場所は無い。
そうなると、上野から横浜の車内で食べるしかないだろう。
そうなると上野で弁当を買って、グリーン車で食べながら移動するしかない。
さすがに普通車で弁当と言うのはないだろう。
コロナで社内の飲食は非常識と言うことになっているし、何より座れるとは限らない。
と言うことで、中央改札の脇の崎陽軒で焼売いやシウマイを買うことにする。
しかし、さすがは崎陽軒だけあり、ほとんどが売り切れている。
現在残っているのは、幕の内弁当とピラフだけであった。
仕方がないので、ピラフとシウマイを買った位にして、18時14分の国府津行きに乗り込む。
運がいいことに、この国府津行きは上野始発であった。
すっかり暗くなった街を横目に、シウマイでも食べながら横浜を目指すことにする。
そういえば、副業ブログも全然つけていなかった。
何やかやと忙しい。
ともかくも、横浜に到着。
慌ただしく根岸線の3番線へ行き、青い電車に乗り換える。
コーナーに座ることはできたが、桜木町は次の駅である。
ちょっと桜木町で降りて、駅の西口の11番乗り場へ行くと、ちょうど本牧車庫行きが来ていたのだ。
これに急いで飛び乗る。
関内の辺りでほとんどが降りて、座ることができた。
そして本牧2丁目に到着。
ゴールデンカップに行くと、まだ:第1部の最中であった。
今日は遠くの席に座ることに。
ミエさんは一生懸命立ち働いており、話しかけられない雰囲気。
パフォーマーであり主催者なので色々やることが多いのだろう。
ところで、この「ゴールデンカップ」と言うライブハウス、全国的に伝説のライブハウスなのだそうだ。
それというのも、この本牧が米軍の接収地であった頃から、流行の発信地だったと言うのである。
それで、ベトナム戦争の頃は深夜になると米兵で賑わっていたのだと言う。
それで、本牧に昔から住む人たちにしてみると、「今でも怖くて入れない」と言うほどのものであったと言う。
なるほど、店内にはその頃の白黒写真が飾ってあったりする。
「夜のカーニバル」は、基本的には18時半に開演で、第一部から第三部まで、30分やって30分休むと言う形式。
基本的には、ゴーゴーが流行っていた時代の昭和40年代前半あたりの歌謡曲が中心となる。
で、そのゴーゴーなのだが、バーカウンターのモニターでは、「不良少女魔子」を流している。
夏純子がゴーゴーを踊りつつ、万引きはするわ人は刺すわ反社と付き合うわでかなり碌でもない。
そりゃゴーゴーのイメージが悪かったわけだ。
それはともかく、昭和歌謡を聴きながら、アバウトだった「昭和」と言う時代の狂乱に身を委ぬ。
そして21時になり、アンコールを2曲終わって終わる。
次は12月17日であると言う。
さて、またバスに乗って帰ることにしよう。
本牧2丁目のバス停から21時31分のバスに乗る。
106番の保土ヶ谷行き。
そして桜木町駅前で乗り換え、根岸線で横浜へ。
横浜からは、帰りなので普通車で帰ろうと思ったが、結構混んでいるのでグリーン券に手を出してしまう。
そして、宇都宮行きに乗る。
人間はいちどグリーン車に手を出してしまうと、なかなか戻れないものである。
車内でも、SNSがらみをいろいろ。
副業ブログをつけるなど。
そして常磐線に乗り換えるが、何分にも3分しかないので、品川で乗り換えず、新橋で乗り換えることにする。
これが普通車だったら、コーナーを獲得するために品川でチャレンジしたかもしれないが。
ともかくも新橋で常磐線に乗り換えて、後はゆっくり帰るだけ。
松戸で新京成線に乗り換える。
そして帰宅。
明日も직맹の会議がある。
明日はもうオフトゥンで聞き流すだけ。
だから今日は風呂にも入らない。
今回の決死出演は4名(累計7名)。