江戸時代の一時期、歌舞伎や人形浄瑠璃に「心中もの」が流行った時期があったようである。
そしてまた、それに感化された心中も後を絶たなかったようで、江戸幕府はついに、心中を厳しく取り締まるということをしなければならなかったようである。
明治5年、汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れて鉄道が開通し、心中の手段は鉄道にも広がることとなったわけである。
昭和37年、佐賀県は基山駅で発生した心中はどのようなものであったか。
一面トップで「基山で貨車22両脱線転覆 機関助手ら三人死傷」と言う見出しが踊っている。
基山駅と言えば、当時であれば鹿児島本線の、甘木線も分岐するそれなりに大きい駅だと言う事は知られていたのではないだろうか。
そんな駅で、貨物列車が脱線転覆し、死傷者まで出たと言うのは穏やかではない。
原因も既にこの時点では解明されており、男女が貨物列車に飛び込んできた心中に対し、急ブレーキをかけたことが原因であると断定されていた。
この事故により、心中の男女のみならず、機関助士までが死亡してしまった。
当然、九州の大動脈である鹿児島本線のダイヤも乱れることとなり、「霧島」「ひのくに」などの急行列車が運休するなどとなった。
この昭和37年4月5日の西日本新聞の11面では、もう少し詳細に事故のことが報じられている。
貨物列車にはダイナマイトが積まれていたのだそうで、あわや大爆発かと言う惨事であったと言う。
血まみれの大惨事でも保線工夫も「こんな大惨事は西部劇でしか見たことがない」と漏らすほどであった。
当時はまだまだ西部劇が盛んにに映画館で上映されており、公民権運動で「インディアンではなく白人こそが侵略者だったのだ」などという見方はなされていなかったようである。
博多駅では、怒った乗客たちが「早く列車を出せ」と駅員に詰め寄っていたようであったが、この散乱した貨車の状況では、とてもそれどころではない様子であった。
中には「6日の小学校の始業式に間に合わない」とべそかいていた親子もいたようである。
翌4月6日の佐賀新聞でも、引き続き復旧作業を続けられていたことが報じられている。
とてもとても復旧どころではないような状況であった。
代行輸送のために、国鉄バスは博多・直方・山鹿・嬉野の各営業所からバスを動員して輸送に当たったと言う。
ところで、これだけの大惨事を引き起こした心中をしたカップルと言うのは、一体どのような男女だったのだろうか。
警察の現場検証では、男の背広から睡眠薬が発見されたと言う。
また、城山駅近くの飲食店では、該当の男女ではないかと言う、店員からの目撃証言が得られた。
そこで、遺留品や女の着ていたオーバーを見せると「その人で間違いない」と言う。
そのカップルは、4月4日の20時ごろ店に来たのだと言う。
そして、ビール2本と酒1.8デシリットルを頼んだのだと言う。
「デシリットル」なんて言うとなんだかよくわからないが、つまり1合と言うことなのだろう。
ただし、酒を飲むでいても女が沈みがちだったようで、男の方は山口訛りであったと言う。
なぜそれがわかったかと言うと、女中が下関出身だからだったからだと言う。
そしてそのカップルは20時50分ごろ店を出たと言う。
そして事故が発生したのは21時10分ごろ。
ちなみに、その飲食店は前年にも自殺前の客が酒を飲んでおり、やはり鉄道自殺を実行したのだと言う。
また、洗濯ネームには、山口県内の店鋪とおぼしき店名があったことから、山口県や九州各地に身元照会を出すことになった。
翌4月7日の朝日新聞では、心中の身元がわかった旨の報道をしている。
それは、山口県内の病院の運転手(25歳)と、山口市内の食堂の女中見習い(21歳)であったと言う。
2人は山口線沿線の定時制高校の同級生であり、結婚も約束をしていたと言う。
これに対し、2人の両親は「結婚を反対したつもりもないのに」と訝しんでたいた。
それまでの行動としては、4月1日に女性の方の家へ行き結婚の許しを得たものの、3日の夜には遺書のような書き置きをして家を出たのだと言う。
結婚に反対されたと言うのでなければ、全く以て不可解な行動である。
いずれ、若い2人の遺体は、地元の基山町の火葬場で荼毘に付された。
同じ日の佐賀新聞では、このカップルの身元に関して、別のコメントを掲載している。
この2人の間としては、男の方が女に交際を申し込んだようである。
そして、男の下宿に女が寝泊まりしていたと言うことであった。
ところが、男の方は3月末に勤め先の病院を辞めたのだと言う。
そして、伝票に「あとよろしく頼む」と書いて忽然と2人は消えたのだと言う。
女性の方の親のコメントが掲載されている。
女性の方の親なので、結婚を「認める」立場となるわけだが「自活できるなら良いのではないか」と寛容な態度をとっていたようだ。
ここから先は推測となるとだが、自殺の原因としては、この女の父親の「自活できるなら」という部分にあるのではないだろうか。
3月末に仕事を辞め、4月1日に結婚の許可をもらいに行く。
そこでかけられた言葉が「自活できるなら…」。
おそらくは、次の仕事のあてはなかったのだろう。
そこで男は「なら頑張って次の仕事を探そう」とはならなかった。
「体のいい断り文句だ」と受け取ったのだろう。
「もう2人で死ぬしかない」男はそう思って九州に旅立ったのだ。
しかし、女は死ぬことに乗り気ではなかったようだ。
それは、基山駅前の食堂での落ち込んだ態度だったのだろう。
男だけノリノリの心中…それはまるで「天城山心中」のようではないか。
それでは、男が最後の地に選んだ基山へ行ってみることにしよう。
ダークツーリズムは、大村線から乗り換えたハウステンボスの駅から始まる。
鳥栖までの「ハウステンボス18号」の指定席は通路側しか空いていないという。
それに発車時刻も近づいている。
もう自由席でいいですよといって切符を買う。
満員だったらどうしよう。
そう思って乗り込んだら、意外や意外、自由席はガラガラだった。
車両は、例の真ん中にドアがあってA室B室に分かれている783系である。
電源については、1番前にあるのだが「業務用なので使用は遠慮ください」と書いてある。
なんともケチくさいことよ…
まぁいずれ、新幹線開業のときにはなくなるだろう。
廃棄では、佐世保からの編成に併結するはずなので、連結作業を見ようと思ったら、ドアが開く前に連結作業を終えると言う。
それはともかく、写真の位置情報をつけたり、インスタ仕事に向けて正方形にするなどの作業をしながら車内で過ごすことにしよう。
そんなことをしていたら、あっという間に鳥栖に着いてしまった。
鳥栖での乗り換え時間は、7分であると言う。
その先、基山では甘木鉄道に乗りたいが、接続時間は9分であるという。
一応、基山ではダークツーリズムなので念入りに撮影したいので、甘木鉄道は30分後の次のディーゼルカーでもやむを得ないかなと言うことでした。
こうなると、決死計画としては、鳥栖と基山がエリー、甘木鉄道の基山と小郡がヤギー、西鉄の小郡と西鉄福岡で楼山、ということにしよう。
どうしても3〜6枚を守ろうと思ったらそうなってしまう。
そして、鳥栖でバタバタとエリーで決死する。
鳥栖駅は国鉄からのテルハなどが見ものだ。
そして基山に到着するが、甘木鉄道のホームには、国鉄カラーのディーゼルカーが止まってるではないか!
これはもうダークツーリズムとは言えど、小竹止めてこちらの国鉄カラーに乗ることにしたい。
本当であれば、2〜3番線の一番北端まで行って撮りたかったが、時間も迫っているのでそうも言ってられない。
快速が到着した1番線の北端で1枚だけ撮ることにした。
後は大急ぎで、甘木鉄道のホームへ。
ところで、甘木鉄道の表示にはベトナム語が書いてある。
外国人実習生が多いのだろうか。
ともかくも、ヤギーとにしこくんで決死して乗り込むことに。
基山駅では、光線状態がよくなく、ヤギーにはメガネ隈ができてしまった。
こうなると、小郡での撮影が命となる。
ウィキペディアで甘木鉄道の小郡駅の構内構造を見てみると、甘木方面に向かって右側ホームの棒線駅であると言う。
そういうことであれば、ディーゼルカー降りてすぐ1番後ろに回って撮ると言うことになる。
なおかつ、1番先に降りなければいけない。
そのためには、小郡までの運賃をさっさと支払わなければいけない。
基山から小郡までは170円だと言う。
しかし、小銭が無いのだ。
仕方がないので、200円を用意して、小郡に到着したところで大急ぎで両替しなければいけない。
ところで、小郡の直前には信号場があって交換ができるようだ。
それはともかく小郡に到着した時が勝負である。
小郡は、築堤にある駅のようで、西鉄線をオーバークロスしていくようだ。
そして小郡に到着。
両替したらお釣りを財布に入れている暇は無い。
強引にポケットでお釣りをねじ込んでディーゼルカーの後ろに回って撮る。
そしてどうにか2枚撮ることができた。
いずれ、これにて福岡県小郡市は収鋲としたい。(収鋲率:福岡県53.3%、全国52.2%)
実は、福岡県小郡市と言うのは、甘木鉄道などなくても困る事は無いのだろう。
西鉄がかなりの頻度で走っているのだ。
小郡折り返しの便と言うのもあるようだ。
次の便が、その折り返しの便に該当して、筑紫からは急行になり、追い越しは無いようだ。
つまり、コーナーに悠々と座ることができて、なおかつ1番早く着けると言うこと。
ところで、この西鉄の小郡には、特急は止まらないが、それは大野城市の代表駅である下大利、春日市の代表的である春日原でも同じことのようで、つまりは、西鉄の特急が止まってくれない「市」が何個かあると言うことになる。
そんなことをぼんやり考えていると、向こうのホームを下りの大牟田行きの特急が轟然と過ぎ去っていった。
さて、こちらは小郡始発の急行で福岡天神を目指すことにする。
車内では写真の整理などを行う。
それであっという間に福岡天神に到着してしまった。
さて、この先どうしようか。
小倉からのバスの出発は21時09分だ。
夕食とともに、この福岡から小倉まではどうやって移動するかと言うことを考えなければいけない。
せっかく天神にいるので、小倉までバスで行ってみようか。
そう、福(天神)岡から小(砂津)倉まで。
西鉄バスなら、充電もできるのだと言う。
ちょっとしばらく、喫茶店で充電しつつ副業ブログでもつけていることにしようか。
喫茶店は満員で、音声入力がなんだか憚られる。
もうさっさとバスに乗ってしまうことにしよう。
バス乗り場は3階にある。
バスの切符を買ったら、17時40分だと言う。
小倉までの所要時間が2時間弱だとして、到着するのは19時過ぎ位だろうか。
バスに乗り込んだが、なんだか具合が悪いような気がする。
別に喉が痛いわけでもないし、臭いにも異常は無い。
そして、ぼんやりとニュースを見てみると、俳優の渡辺裕之が縊死したのだと言う。
縊死ということは、身も蓋も無く言ってしまえば「首吊り」。
一体何があってそんな選択をしたのやら。
というか渡辺裕之って誰だっけ…?
ああ、「ファイトー!一発!」か。
何があったのだろう。
ウルトラマンガイアでも隊長を務めていたのだそうで、フジアキの中の中の人も追悼コメントを寄せている。
ところで、犬鳴峠を越えたあたりでバスの動きが遅くなった。
どうやら、事故渋滞があったらしい。
まあ小倉では2時間弱位あるのでいいんだけど。
結局、小倉に行くのに北九州高速4号線ではなく、小倉南区の山奥を通る九州自動車道を経由して行くことにしたようだ。
そして高速道路を降り、徳力嵐山口駅に到着する。
ここはモノレールの駅のようだ。
ここで降りてしまって、モノレールで行った方が早いような気がするが、もう別に急ぐわけでもないのでいいだろう。
それと、小倉からの「はかた号」には20時20分だったようだ。
そうすると自分も、どこかモノレールの駅で降りてモノレールで行ってしまったほうが早いだろうか。
小倉に着いたとしても、何か夕食を食べる程度が関の山のような気がする。
果たして19時20分過ぎ、小倉駅前に到着。
「はかた号」が20時20分発なので、都合1時間弱の時間があることになる。
どこかで夕食を食べて帰ることにしよう。
魚町のアーケードに「お好み焼き食べ放題」と書いてあるので、ここで食べることにしよう。
…と思って入ったら、それは2人以上だと言う。
それでも入ってしまった以上は仕方がないので、お好み焼きを食べることにする。
そう思っていたら、なんだか見覚えのあるデザインの場所がやってきた。
これこそが「はかた号」だ。
時間はちょうど20時20分。
天神バスターミナルからは、2人しか乗ってこなかったそうだ。
事前にショートメッセージが来ており、「体温が37.5℃以上の方は乗車をご遠慮いただきます」とあり、懸念していた体温であるが、36.2℃だった。
後の普通座席は、結構空きがある。
実は、「はかた号」の普通座席で移動するのは初めてなのである。
それでも、1番後ろなのので、光漏れも心配せずスマホをできると言えばできるかもしれない。
しかし、充電するところはコンセントではなくUSBというのがしみったれている。
佐波川サービスエリアで休憩の後、後は東京を目指すだけ。