ちょうど10年前の今日7月16日、新宿で伝説的なイベントが行われた。
その名も「切断女の夜」。
その頃は、「欠損フェチ」やら、「義足フェチ」やら言うものが存在するのだろうなと言う事はうすうす認知されていたような状況ではなかっただろうか。
pixivなどでは数えるほどしか義足絵は上がっていなかった程度のものである。
義手やら義足を作品にするなんて「不謹慎」以外の何者でもなかった時代相だった。
ミレニアム前後に盛んだったフェチSNS「MOON BASE」はもう衰退しきっており店じまい寸前という状況で、我々フェチと言うものを認識しており、なおかつあからさまに忌避しないで受け入れてくれていたのは、片山真理ちゃんぐらいではなかっただろうか。
その片山真理ちゃんが、イベントを開くというのである。
そのイベントを知ったのは、当時の自分のTwitterアカウントに、イベント公式アカウントがフォローしてきたからである。
ツイッターでの反応はといえば、それぞれの出演者の知り合いと思しき方が「義足を見せるの」「怖い!」という反応が多かった気がする。
あー、そういうイベントやるんだ…
最初は、参加するかどうか迷ったものである。
参加するなら参加費を払わないといけない。
払うときは本名を言わないといけない。
その本名はその後どう使われる?
まさか「amputee女性をつけ狙う不審者リスト」にでも入れられるのか?
今考えると噴飯物ではあるが、当時はそのような恐怖が支配していた。
そのくらいフェチは肩身が狭かった。
でもやっぱり見てみたい。
意を決して、参加の申し込みをしたのだった。
当時はまだ、東日本大震災の爪痕が至る所で残っており、テレビではポポポポーンとCMが流れていた。
果たして当日となった。
会場である新宿のネイキッドロフトに行くときは変装でもしていこうか、本気で悩んだものだった。
その後のイベントそのものの様子はその時のページで見ていただくとして、あの日はもう忘れられない一日となった。
で、なぜこのイベントが伝説的かというと、これでこちらのフェチに対する世間の潮目が変わったんじゃないかと思うからである。
また、この時に第2部の講演で講師をされた義肢装具士の臼井二美男氏は「切断ヴィーナス」として「魅せる義足」にオリエントしたファッションショーを成功させるに至った。
全ての淵源はこの「切断女の夜」にあったのではないだろうか。
このイベントに出演されたGIMICOさん(右大腿切断)は「フェチを不謹慎だなんて言って何になるの?もっと堂々としてたら?」と言ってくれた。
別に人はフェチのために生きるにあらず。
でもやっぱり、心の澱を吐き出してこそ健康に生きられるのだ。
あれから10年、片山真理ちゃんは結婚し子供もいて、旺盛に芸術活動を続けている。
GIMICOさんは主戦場をinstagramに移しモデル活動を継続している。
オリモマサミさんと須川まきこは昨年も切断ヴィーナスオンラインショーに出演され、それぞれの表現活動に邁進している。
みんなに10年の歳月が流れている。
自分だけは何も変わらない… わけではなく、相変わらずの中にも忙しい日常があり、今日の昼過ぎまで自分の仕事場で敬語を忘れてまで丁々発止と仕事をしていた。
さて、今日はこのために午後は半休を取ったのである。
ちょっと、あの10年前を偲んでみようか。
あれから10年後、東京にはオリンピックがまた開催されることになり、なおかつ疫病が流行っているという世の中になっていた。
そのオリンピックの会長である所のトーマス・バッハが泊まっているホテルオークラの近くに会社があるのだが、オークラの前を寄ってみると、警察官が等間隔で警備していた。
そりゃ日本国内の多くの人々の怨嗟を買いながらオリンピックを強行しようと言うのだから、ここまでの警備が必要な位恨まれもするだろう。
今は広島にいると思うのだが、やはり警備は必要なのだろうか。
霞ヶ関から丸ノ内線に乗り換え、新宿を目指す。
新宿3丁目で降り、紀伊国屋書店の地下を通って地上へ出る。
紀伊国屋書店も耐震工事で、地下の飲食店が軒並みしまっていた。
そして、新宿区役所の通りを北上し、職安通りに出る。
職安通りを山手線方向に行くと、かつての会場であったネイキッドロフトが見える。
そのネイキッドロフトは、2020年の末に閉業となってしまった。
万物は流転する。
月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。
現在では、その跡では飲食店が営業している。
あの頃のステージや、壁の装飾がまだあって、ネイキッドロフトの面影を今に偲ばせている。
奇しくも、ここであの時の思い出をブログに書くことにした。
トルティーヤでもつまみながら。
何しろ緊急事態宣言中なので、アルコールを飲む事はできないので、ウーロン茶で我慢する。
さて、良い時間になったので夕食を食べに行こうか。
この職安通りであれば、夕食に困る事は無い。
近くの韓国料理店に入ることにした。
ここで、만주국を食べることにする。
さて、この10年間の思い出を偲ぶお散歩の最後は、ぽわんちゃんの店に行きたいと思う。
2015年、「切断女の夜」とも「切断ヴィーナス」とも全く違う系譜で欠損バーがオープンした。
2014年ぐらいの時点で、琴音ちゃんがビデオでデビューしていたのだ。
いや、livedoor wikiにもビデオの感想を書いた記憶があるので2011年ぐらいの時点ではデビューしてたのかな。
そして、BLACKザ・タブーでもグラビアが出たり、「障害を全面に出しても不謹慎ではない」という機運の中でオープンしたのだった。
そして、毎回通い詰めるようになっていく。
そして、その店員の1人であるぽわんちゃんが、2021年に入り自分の店をオープンしたのだ。
場所はやはり新宿で、ゴールデン街の奥の花園神社の近くとなる。
全世界的なパンデミックの中、その感染が飲み会で広がっていると言うことから、酒類の提供ができないと言う中での荒波の中でのスタートである。
精一杯応援したいではないか。
それで、職安通りから香港飯店の斜めの道を通る。
でもこの斜めの道はなぜあるのだろう?
昔引き込み線があったとか?
ぽわんちゃんの店にはだいたい19時には着くだろう。
そうすれば1時間はいれるはず。
特撮バーのあるビルの5階へ行き、いざ扉を…
そう思ったら開かない。
そういえば店のTwitterで今日は19時までとか告知してた気が…
仕方がないので今日は退散することにする。
最後の最後で壮大なオチがついてしまった。
そして小田急で帰宅することにする。
代々木上原で千代田線に乗り換えるいつものルート。
そして帰宅し、後は何もせず。
明日もいろいろあるのよね…
とりあえず、そんな日常を過ごしています。