欠損バーの店長の書き込みにずいぶん懐かしい雑誌が出てきた。
「じゃマ〜ル」だってよ。
この話も、「私的devotee史」としていつかは書いておきたいことであった。
それは、かれこれ前世紀の、大学を卒業するかしないかの頃の話。
インターネットなんてものが始まったばかりの頃で、誰かと出会いたいとなったら(それは恋愛に限らず、例えば旅仲間とかでも)、雑誌の文面などがスタンダードなやり方であったはずだ。
その頃は、自分もいわゆる「生モノ」志向が強かったので、どこかに手足のない女性がいないものかと思っていたものだった。
それで、シッティングバレーボールや障害者スキーボランティアをやったりなど、今考えればよくもまぁそういうことをしていたもんだと思ったものである。
ただ、それはあくまで「偶然に期待する」気の遠くなるようなやり方であるに過ぎないと言う事は分かっていた。
では、もっと確率の高いやり方のためにはどうする?
そこで「じゃマール」が出てくるのである。
「じゃマール」には「こういう仲間を募集中」とか色々な「募集中」が溢れていた。
そこに自分も応募しようと決めたのだ。
「義手・義足の女性とお知り合いになりたいです」
はっきりとそのように書いて応募した。
当時、電子メールが出始めた頃であるとは言え、電子メールでの応募はしていなかったはずだ。
なおかつ、電子メールと言うものがメジャーなコミュニケーション手段にはなっていなかった頃で、携帯メールなんてのもなく、大学のメールアカウントしかなかった頃である。
だから、メールしたいとなれば大学の電子計算機室に行って、自分のアカウントで入って、メールを起動したものだった。
ともあれ、電子メールを受け付けていなかったじゃマールでは、FAXを使うしかなかったのだ。
しかし、当時、大学の寮に住んでいた自分は、ファックスなんて持っていなかった。
仕方がないので、大学の前のコンビニにあったコインファックスで.「じゃマール」の様式に従った応募用紙を、清水の舞台から飛び降りる気持ちで送ったものだった。
これが掲載されたら、どんな反応が来るのだろうか?
意中の女性から反応があるのであれば万々歳なのだが、1番考えたくなかったのは、リアルの知り合いにこれを見られることである。
何しろ本名で応募していたのだ。
翌週の掲載誌を見てみた。
応募したジャンルのページを見てみると、全然載っていないではないか。
つまりボツになったのだ。
ここで、先週の清水の舞台から飛び降りるような気持ちは既に麻痺していた。
また同じように、大学の前のコンビニのコインファックスから「義手・義足の女性に出会いたい」と送った。
それでも飽きたらず、バイト先の近くのコンビニのコインファックスからも「義手・義足の女性に出会いたい」と送る。
しかしその翌週になっても、自分の送った原稿は掲載されない。
数枚送るだけじゃダメなのか。
ならば何枚も送るまでよ。
いったい1日に何枚送っただろうか。
その姿はストーカーそのものである。
他の人もこんな感じで何枚も送ったりしてるのだろうか。
だとすれば「じゃマール」の編集部は紙で埋まってるのではないだろうか。
そういうことを繰り返していたある週のこと。
やっと自分の原稿が載ったのだ!
「義手・義足の女性に出会いたい」
さあ、どんな反応が来るだろうか。
結論を言うと、何の反応もなかった。
それとともに、心配していたリアルの知り合いから見つかると言うこともなかった。
まぁそんなもんだろうなと言う事はうすうすわかってはいたが、とりあえず1回載ったことに満足して、それ以降は送らなくなっていた。
自分ほど奇矯な募集ではないにしろ、「スキンヘッドの女性と出会いたい」という、確か岐阜県の人がいた。
この方は、ほぼ毎週のように掲載されていたはずだ。
あの後、無事に意中のスキンヘッドの女性と出会えたのだろうか。
「渚にまつわるエトセトラ」を聞くと、コミュ障で無味乾燥はあったが、今と比べてのんびりしていてときめきがあったあの頃を思い出す。
その後の「じゃマール」であるが、終焉は早かったようだ。
世紀の変わった2000年には休刊したのだという。
それは、インターネットの出現によるものだと言う。
それもそうだろう。インターネットがなかったからこその「じゃマール」だったんだから。
まぁそういう雑誌もありましたね、と。
これもまた「私的devotee史」の1ページ。