【ブックレビュー】汝、恨みの引鉄を弾け

Wikipediaには、やたら在日コリアンによる犯罪の項目が充実している。
それだけ、暇なネトウヨが日本に多いということであろう。
しかし、昭和30年に発生した東海銀行大阪支店襲撃事件は載っていない。
事件史探求」には「東海銀行強盗殺人事件」として載っている。
これは正に、在日コリアンに対する差別がもたらした犯罪であると言って良いものであるが、ネトウヨウィキペディアンにも手落ちがあったものである。(別に、差別があったからと言って犯罪を免責せよと言っているわけではない。現にこの事件に対しても、順当に死刑判決が出ている)

また、この事件は国会図書館で精神鑑定書が閲覧できる数少ない事件でもある。
この事件の他、国会図書館で精神鑑定書が閲覧できる事件の犯人は以下の通り。

そのくらいの事件なのだが、いまいち有名ではないようである。
また、有名ではないなりにも「汝、恨みの引鉄を弾け」(福田洋)として小説化もされている。
作者の福田洋は、他には新潟デザイナー誘拐殺人事件古谷惣吉連続殺人事件三菱銀行北畠支店襲撃事件などを題材に小説を書いている、いわば「犯罪小説畑」の人。

今回は(今回も)、事件にゆかりのある場所を巡りながらレビューしていきたいと思う。
(にしこくんの中の人は、警察マターだけにデカレンジャー出身のチームYジャスミン

とは言っても、まさか大阪の北浜まで出向くわけにもいかないので(いつかは行ってみたいが)、今回は、犯人の権善五(作中では「朴夏竜」)にとっての一連の犯罪の最初となる、昭和26年の横浜の交番での拳銃窃盗事件の場所を巡ってみたいと思う。
ところで、東京駅から横浜に行くならかったるいので二等・・・いやグリーン車に乗っていこうと思ったが、ちょうど伊豆急下田行きの「踊り子」が出る寸前だったので、特急券を買って乗った。
この区間、グリーン券なら730円、特急券は510円で、特急の方が安上がりであるとは初めて知った。
ともあれ、新幹線のなかった時代の事件を偲ぶ出立にふさわしい在来線列車での小さな旅である。

さて、本作に話を戻すと・・・
地元・神戸市警の制服をまんまと盗んできた「朴」は、その制服姿で東海道線の普通列車に乗って関東を目指す。
まだ米原~京都の電化で東海道本線が完全電化する前、この区間の牽引はC62だったであろうか。
そして横浜駅へ降り立ち、警官に扮した「朴」は拳銃が盗める交番を物色することになる・・・

そういうことで自分も横浜駅には来たものの、腹が減ったので昼飯を食おう。
今から66年前、「朴」は全神経を張り詰めさせて横浜駅へ降り立ったであろうが、自分は何とも緊張感のないものである。

横浜に来たブーン⚓️ #横浜駅 #横浜 #にしこくん #旅するにしこくん js

旅するにしこくんさん(@nishikokun_the_silent_running)がシェアした投稿 –

さて、腹もくちくなったので、横浜での拳銃窃盗事件の舞台となった「青木通交番」を目指して歩いていきましょうか。

横浜駅は現在「日本のサグラダ・ファミリア」と呼ばれており、常にどこかしらが工事中である。
横浜駅の前から、「駅前」であるはずの国道1号線に行くのも難儀するほどの迷宮ぶりである。
「朴」の頃は一切、そんなことは無かったであろう。
作中では、横浜駅前は以下のように表現されている。

タクシー乗場には、客待ちの小型車がなん台か並んでいた。ルノl、オースチン、モーリスなどの輸入車が目についた。進駐軍の兵士が二人、大ぎな雑嚢をかついで車にのりこんだ。その脇を男は、手提鞄を小脇にかいこむようにして、足早に広場を横切って歩きだした。
駅前派出所の前を通った。所内には、警官の姿が見えたが、道を訊いている男と話していて見むきもしなかった。間もなく京浜第一国道に出た。いきかうトラックや進駐軍のジープのライトが、時折、ナイフをなげかわすように交差する。
警官は国道に沿って東京方面へ歩き出した。
やがて黒々と寝静まった街角に交番の赤いランプが見えてきた。横浜市神奈川区青木通七番地にある、神奈川警察署青木通り巡査派出所であった。

現在、神奈川警察署には「青木通交番」は現存しない。

ただし、青木通交差点は京浜急行の神奈川駅の近くにあり、第1京浜(国道15号線)と第2京浜(国道1号線)の合流点という非常に重要な交差点となっている。

さて、この青木通交番で「朴」はどうしたか。
交番では本来、2名の警官のうち1人が巡回、1名が休憩ということになっているはずだったが、2人とも寝ていた。つまり1人がさぼりということである。
ここへ「朴」が、監察官のふりをして「起きろ!眠気覚ましにその辺を走ってこい!」と一喝したら、本当に2人の警官は外に出ていった。
そしてまんまと、拳銃を奪ったのである。
結局、この2人の警官は警察をやめることになり、4年後の東海銀行襲撃事件の報道でも、普通の会社員となった当該の元警官がインタビューに答えている。

ジャスミン 東神奈川駅さて、その後「朴」はどのような経路をたどったか。
東京へ向かうトラックをヒッチハイクし、近くの国鉄駅である東神奈川駅で下車し、京浜東北線で東京を目指したようである。
当時であれば、京浜東北線も横浜線も確実に72系であろう。
脇を通る湘南電車は80系だっただろうし、横須賀線は76系だったであろう。
そして品川で降りて渋谷まで行くことになる。

そもそもなぜ拳銃が必要だったか?
それは、作中では「大金が必要だったから」と説明している。
小学校の頃から「キムチ臭い朝鮮」と差別されてきた「朴」は、怠惰な自民族とは距離を置き、「安東昭二」という日本名で、あくまで国籍を隠し、お洒落な日本人として生きていく。
神戸新聞でも臨時雇いとして営業部に配属され、その頭角を現し上司から正社員の話が来る。
しかし、「神戸新聞では朝鮮人は採用していない」(精神鑑定書に本当にそう書いてあった)として正社員の話はなくなる。

かと思えば、戦争未亡人と共同でダンスホールの経営にあたる。
その戦争未亡人の娘である女医の卵と恋仲になる。
「朴」はその母娘に「九州の豪農の三男坊」であると言っており、その将来はその母親からも祝福されていた・・・はずだった。

しかし、経営の順調なダンスホールに、神戸での朝鮮人デモのついでにチョゴリ姿の母親が寄ってきた。
「あれほど来るなと言ったのに・・・!」
「だって・・・」
それを見た母娘の驚くまいことか。
以降、恋人の母は「朴」と別れることを願うようになる。
それでも、恋人は朝鮮人差別を乗り越えようとはしていたと作中では書いている。(実際、精神鑑定書でもそのことは述べられている)

また、「朴」にしても、そんな恋人を幸せにしようとしていた節はある。
そのためには、ともかくも「金」が必要なのだ・・・!
しかし、朝鮮であるために碌な仕事にもありつけない。
結局、大金のためには強盗で金を作る方法しか思いつかなかったのだった。

東海銀行襲撃事件(S30.8.29)前にも、数件の強盗事件を起こしている。

  • S27.1.26 三宮OS劇場での強盗事件
  • S27.2.26 大和銀行祇園支店強盗事件
  • S30.3.28 芦屋市でのタクシー強盗殺人事件

東海銀行の事件で逮捕され、記者に職業を質問されたとき「職業は強盗や!」と答え、記者たちを呆れさせたようではあるが、この状況では、まんざら嘘でもないといった状況である。

少なくとも本人は「大金を得るためには強盗しかない」という考えを強固に持っていたようである。
ただし、コリアン=貧困というわけではなく、一部には例外もあったことを作中では記している。
「朴」が神戸新聞の営業部にいた頃の話。

課長。あの人、誰でっか?スポンサーでっか?」
課長は、やっと解放されたように両手をあげて背伸びしながら言った。
「そや。うちの大口スポンサーや。けど、日本人やない。金という朝鮮や。終戦のドサクサで儲けてな。今じゃ、幾つも会社や店をやってはる。駅前の金竜会館ちゅうパチンコ屋な。あれも、金さんの経営やで」
金竜会館といラのは、三宮の目貫にある大きな店だ。一、二階がパチンコで、三、四階はレストランと喫茶店になっている。朴もなん度か入ったことがあった。課長は、しみじみとした口調で続けた。
「日本人にも、いろんな階級があるけど朝鮮人はとくにひどい。貧富の差が激しすぎる。日傭いをやって、毎日のデヅラを貰うて生きとる連中もいてるし、リンカーンをのり回しとるお人もいてる。これからは、世の中、金やな」
戦中、戦後の物資欠乏時代はすぎ、朝鮮戦争という奇貨による経済復興の波にのった日本人の頭には、物質万能主義が芽生えはじめていた。
朴は、限から鱗がおちたような気がした。
そうだ。経済力に国境はないのだ。

あくまで「金」にこだわった「朴」は、強盗に入る銀行を詳細に検討した結果、北浜の東海銀行に選定する。
家の最寄駅だった鷹取駅から大阪を目指す電車は、半流51系だったであろうか。
急電(今の新快速)は52系は既に阪和線に出ており、茶坊主80系が運用に就いていたはずである。

東海銀行襲撃事件 アサヒグラフS30.9.14そしてその後の東海銀行襲撃から、柴島中学校の裏で逮捕されるまでの事は、左掲の「アサヒグラフ」昭和30年9月14日号を参照ありたい。

さりげなく目を引くのは、英文解説記事の、権善五の英語表記で、「Kwon Sun Oh」(권선오)と、ハングル読みとなっている。
当時の日本であれば、北の首班は「金日成」(きんにっせい)、南の首班は「李承晩」(りしょうばん)であった時代。

ともあれ、合計3人を殺害した「朴」は死刑宣告を受ける。
しかし、元々肺病病みであった「朴」は、絞首台に登ることなく、昭和32年に亜急性心臓内膜炎にて、その29年の生涯を閉じることになる。

現在でも「朴」が生きていれば、一時期の韓流ドラマブームや、現在の「表現の自由」を僭称したヘイトデモをどのように見ただろうか。

 

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です