週刊ポストで韓国ヘイト特集かと思えば廃刊運動が始まっている。
廃刊に反対する人は、「ヘイトする側にも表現の自由がある」だとか、「日本人へのヘイトは放置なのか」という事を言うわけ。
ただ、ヘイトに表現の自由があったとして、それに抗議するのだって「表現の自由」ではないだろうか。声を上げたらそれにカウンターする権利は一切なし? もしそうだとしたら、それこそが「表現の弾圧」だと思うんだけど。
また「日本人へのヘイト」ということに関しては、この日本では日本人が圧倒的に多いマジョリティである、という事を忘れてはいけない。例えばアメリカで戦時中の日系人の強制収用に関して声を上げたら「白人へのヘイトスピーチ」になるだろうか? 「マジョリティへのヘイトスピーチ」なんて成り立つものなのだろうか。
ところで、問題になった週刊ポスト9月13日号の他の表紙を見てみることにする。
- 「2000万円不足」問題を闇に葬るな 年金財政検証「4つの嘘」を暴く!
- 50歳すぎて「はじめての女とのセックス」入門
- 「夏バテ」よりはるかに深刻な「9月バテ」の対策 中高年男性に急増中
つまり、この雑誌の読者層がこうなっているという話である。
日韓断交デモも中高年男性がやたら多いことからも分かるように、インターネットに触れない中高年の右傾化は著しく、このようなコンテンツが売れるという事なのだろう。
若い世代が廃刊運動を叫ぶのはいいと思う。
それこそ「新潮45」みたいな末路を辿ることだって十分に予想される。
ただまあ、実際に廃刊になるかと言えば・・・
「新潮45」の時は、新潮社の他の部門が声を上げただけではなく、河出書房や国書刊行会のような他社も連帯して声を上げた結果だった。
また「新潮45」自体に儲けが無く、風前の灯火だった所へこの最後の打撃であった。
今回の週刊ポストとは状況が違うのである。
また、週刊ポストが赤字体質で廃刊秒読みだとも聞かない。
また、そもそもが低俗な週刊誌であるから、低俗なヘイトが垂れ流されてもさして驚くに値しない、という事なのだろうか。
この様なヘイトを垂れ流す低俗な週刊誌は廃刊してほしくもあるが、そのヘイトの向かう先はきっとどこかに転移するのである。
何となれば、青林堂や幻冬舎が「週刊ポスト」を引き受けてはどうだろうか?
今日は会議があり、神保町へ行かなければいけない。
神保町は書店街だけでなく。集英社や小学館の本社もある。
(決死モデル:チームRナオミ)
アジアでも売り上げのある「ドラえもん」もまた小学館から出ている。
この様なヘイトを垂れ流すことが小学館自体の長期的な利益になるのかどうか。
ちなみに、このガラス扉の向こうはアポイントメントのある訪問者しか入ることはできない。
いずれ、現実的には「週刊ポスト」の廃刊は難しいのではないかと思う。
さりとて、息をするように嫌韓というのもどうなんだろう。かつてサッチーをバッシングしたように今は韓国をバッシングして出版業界は命脈を保っている?
そんな事でもしないと露命を保てないのか。それは情けなくないか。
ところで、件の会議であるが自分が一番乗りだったので一番後ろの席に座ることにした。
・・・というか、日本では会議になるとこうして一番後ろから埋まったりはしないか。
これこそが日本という国の特質なのではないかと思う。
自分から積極的になるのが恥ずかしいことだと教え込まれているのである。
普段の行いさえよければお天道様が見ていてくれる。
そんな国民性で、民主主義などというものは、宝の持ち腐れでしかないのだろうか・・・?