【ブックレビュー】米兵犯罪と日米密約 「ジラード事件」の隠された真実

1941年・・・

1945年・・・

1952年・・・

そして、その5年後・・・

群馬県・米軍相馬ヶ原演習場で、米軍兵士が薬莢拾いの日本人農婦をふざけて撃ち殺す事件が発生した。
これがすなわちジラード事件である。
今回紹介する本は、このジラード事件を取り扱った本となる。

著者は、獨協大学教授であり、アメリカ移民史や戦後史を専門とする歴史学者である。

今回は、実際に相馬ヶ原をフィールドワークしながらレビューを進めていきたいと思っている。

ということで、だるまで有名な高崎駅に降り立つ。
高崎は高崎線から上越線や両毛線や信越線に乗り換えるばかりで、駅の外に出たことは実はない。
(今回のにしこくんの中の人は、チームTエリー

高崎駅東口には、ヤマダ電機がまるでビックカメラかヨドバシカメラのような存在感で聳え立っている。
それもそのはずで、ヤマダ電機はこの高崎が発祥である。
ただ、高崎駅のホームの付番を見ていると、この高崎駅東口は、高崎駅の裏口にあたるようである。

それはさておき、まずは図書館で当時の上毛新聞の報道を見ることとしたい。

昭和32年2月~3月の上毛新聞である。
前橋地裁での最終的な判決が11月になるので、今回採取した新聞記事は、事件発生後すぐの報道ということになる。
最初の米軍側の発表では「警告のつもりが誤って命中してしまった」というものであったが、同じように薬莢拾いをしていた日本人の目撃者も証言で「ママサン ブラス ステイ」と呼び寄せた上でふざけて撃ったことが判明。
これで日本社会ひいては同じように米軍が駐留する台湾やフィリピンそしてアメリカ本国まで揺るがす大騒ぎになる。

また、犯人であるジラード(Girard)の日本語表記も新聞によってまちまちで、「ジラルド」としている所もあれば、この当時の上毛新聞では「ジュラルド」としている。

現場はなにぶん、バスが1日4往復それも月・水しか来ないという交通の不便な地域だけに今回は高崎でレンタカーを借りて回ることにした。
車種は何でもよかったが、カローラ・アクシオのハイブリッドであった。
ハイブリッド車に乗るのは初めてであたが、キーを差し込んで回しても、全くエンジン音がしないのである。
ただ単にスイッチをオンするだけというようなエンジン起動である。
ハイブリッド車はこれが当たり前なのかもしれないが、戸惑ったのは確かである。

さて、この相馬ヶ原演習場周辺の農村は、榛名山の麓の高台にあり、水はけが悪く農業に適さない土地である上に、米軍が演習で山々に銃弾を撃ち込んだために自然破壊され、ますます保水力を失うという状況であったのだそうな。
このため、米軍側から地元自治体(当時であれば相馬村、桃井村など)には「特損金」として村の財政規模からするとかなりの額の金が下りていて、これを原資として道路工事などを行い、貧しい農村である村当局としても雇用の確保にこれ努めていたようである。
しかし、そのような重労働の「特損工事」より、米軍の演習場に忍び込んで機関銃の薬莢を拾って、クズ鉄屋に売る方がよほど楽で実入りがいい。

被害者の住む地域は特に耕作に適さない土地であり、被差別部落として指定されていたようで、部落解放同盟や社会党も解決ひいては米軍基地の撤去に動こうとしたようである。
しかし地元はそれを望まなかった。
なぜなら、この件で大騒ぎをして米軍側から「演習場内は厳格に立ち入り禁止」ということにでもなれば、実入りの良い薬莢拾いの途を失うことになる。

そもそも「薬莢」とは何か?
ミリタリー関係に疎い人にはなじみの薄い言葉かもしれないが、要はドラゴンボールのランチとかが、何かをまき散らしながら機関銃を撃っているシーンが出てきていたが、その「何か」である。
そんな不要なものでも、拾えば金になる。

遠く豊かなアメリカから、極東の貧しい島国であった日本に来てそのようなクズ拾いの光景を見ていたら、白人でもないイエローモンキーが、乞食のようにゴミ漁りをしている・・・ ぐらいにしか映らなかっただろうか。

実はこの問題は、日本だけの問題ではなかった。
朝鮮戦争休戦から4年、ハンガリー動乱の翌年というこの時期、東西冷戦の真っただ中であった。
米軍は中華民国(台湾)やフィリピンにも駐留しており、同じように米兵が地元民を虫けらのように殺す事件を頻発させていた。
例えばこのジラード事件から2か月後の1957年3月20日には、台北でも米兵による射殺事件が発生している。
にもかかわらず、米軍側は「射殺被害者が米兵の妻の風呂を覗いたことによる正当防衛」として無罪を言い渡した。
このために5月24日、米大使館で民衆による打ち壊し行動が発生することになる。
それで、中国語版Wikipediaのは「五二四事件」として記録されている。

ともあれ、この事件で裁判権を日本に渡してしまうと、台湾やフィリピンでも同様の流れが発生してしまう。
しかし岸首相も、この事件を「二国間のダメージとなり得る」と言っている。
米側としては「裁判権は日本に譲るが、判決は最も軽いものにしてもらう」という落とし所に持っていこうとしたようである。

ただ、「遠い極東の後進国での危険な軍務に自分の息子を送り出している」家族の立場からすれば、たかが原住民のイエローモンキーを殺したぐらいの事で、後進国の劣悪なprisonに放り込まれる・・・ そんな身の毛のよだつことがあるだろうか!
それに、日本に対していえば真珠湾の恨みもある。ほんの10年前までは、ジャップを撃ち殺せば手柄だったくらいなのに・・・!
アメリカの認識なんてこの程度だったようである。
弁護士から上下院議員から、ジラード事件の日本への裁判権移譲への反対運動が起き、ジラードの故郷のイリノイ州オタワは一躍全米的に有名になる。

ただ、アメリカ国内でも、同胞であるところの米兵が極東で傍若無人に振舞うことに対する不快感を示す動きも無くはなかったようである。
ニューヨークタイムズは6月9日、「かつての帝国イギリスの傲慢さを受け継ぐのは外国に駐留する米兵である」と批判したという。

ともあれ、ジラードの裁判権を日本に移譲するかどうか、それは結局連邦最高裁まで争われることになった。
ジラードの故郷イリノイ州オタワからは、180フィート(54メートル)にもなる長大な嘆願書が提出されたという。
はたして7月11日、連邦最高裁は「日本に裁判権を移管する」判決を出した。
遠い極東の島国に弟を送り出しているジラードの兄は「この国でこんなことが起こるとは思っていなかった」と悲嘆にくれたという。

果たして、裁判権を移譲された日本の前橋地方裁判所はどのような判決を下したか。

被告人を懲役3年に処す。
ただし、刑の執行を4年猶予する。

アメリカ側は「公正な判決が下された」と「高く評価」した。
そう。「高く評価」なんだよね・・・ 結局はアメリカの上から目線である。

が、日本のマスコミは、そのアメリカの「評価」を喜んだのだという。
アメリカから「三等国」として蔑まれていた当時、「日本ごときの野蛮な司法制度でアメリカ人を裁ける訳がない」という見方が大勢を占めていた中での寛大な判決だったということであろう。
悲しいことに、それが高度成長期前の日本の「空気」だったようだ。

さて、執行猶予で軽く済んだジラードはその後どうなったのだろうか?

この事件について少し調べたことがあれば、日本人の妻と結婚しアメリカに帰っていた・・・ ということまでは有名な話かと思う。

この本には書いていないが、この日本人妻にとってのアメリカでの生活は、決して豊かなものではなかったようである。
後年、週刊誌が取材したところでは「日本に手紙も書けない程」の窮乏にあえぎ、苦労の多い生活だったという。

なにぶんにも夫ジラードは三等特技兵から兵卒に降格させられ、不名誉除隊させられたので退職金もなければ軍人恩給もない。
その上、裁判の過程で「悪ふざけで殺した」というのが地元でもばれたので、周囲の眼も冷たく、仕事も長続きしなかったのだという。
結局は、夫と2人の子供を残して妻は早世したのだそうな。

この事件から今年で60年。
米軍は相変わらず沖縄に駐留しており、犯罪を起こしても軽い刑罰で済んでいるという状況は今なお変わりがない。
ソ連の脅威は消えても、目と鼻の先の尖閣諸島では中国の脅威が間近に迫っている。
1992年に米軍基地が撤退したフィリピンでは、スプラトリー諸島やミスチーフ環礁での領有権問題が勃発している。
こんなことを考えれば結局は米軍基地に依存しなければ中国の脅威から守り切れない。だからこそ日本は世界で最も莫大な「思いやり予算」を払い続ける。

米大統領がトランプに変わり、この米軍の構図がドラスティックに変わったとして、東アジアの版図はまた違ったものになっていくのだろうか。

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