神奈川徘徊

ケラケラはよくいきものがかりと比較されてきたけどこっちは全然脚出してくれないよねっていう・・・

そのいきものがかりの男衆は厚木高校の出身なのだそうで、厚高出身の人がやたら自慢してた記憶がある。
今日はその神奈川を色々回ってみることにしましょうか・・・

松戸からであれば千代田線でまずは代々木上原へ。
向こうのホームではMSEが停まっていた。
停まっているということは正規の運用ではないはずで、「あさぎり」運用を終えて相模大野に入る車両だろうか。
決死モデル:チームR天美

ここからは小田急の急行で海老名を目指す。
脚を出してくれない聖恵ちゃんは海老名の出身である。

・・・と、その前に新百合ヶ丘で降りることにしたい。

川崎市麻生区の中心である新百合ヶ丘からは多摩線が分岐している。
決死モデル:チームWBラジエッタ

千代田線でも唐木田行きの多摩急行がたまに来るのでおなじみである。
1974年に開業した多摩線は、永山~多摩センターで京王線と並走する。
これは1963年の多摩ニュータウンの計画の段階で、京王と小田急に路線の新設を要請したからである。

ただ、都心と多摩ニュータウンの輸送は長い間京王がリードしていた。これは京王が新宿直通運転に力を入れていたからである。
小田急が対等に盛り返すのは、はるひ野等の沿線を開発し、唐木田電車区を設け、千代田線直通という強みを生かすようになってからとなる。

そして唐木田に到着。
決死モデル:チームTアンヌ

唐木田という駅は、小田急の車庫がこの地にできるということから、北綾瀬のような経緯で開業したとも伝え聞くが、実は小田急は町田や相模原に延伸する計画があるのだという。

それは米軍の相模デポの返還に伴うものだというが、果たして採算がとれるのかなどに問題があり進んでいないのだという。
さて、多摩線も一応踏破したので後はまた小田急線に戻ることにしたい。

そして海老名に到着。
向こうには7000系が停まっている。
決死モデル:チームTフジアキ

この7000系もいつまであるか・・・

発車メロディはさすがいきものがかりの地元だけあって「SAKURA」だった。
海老名なんて他に観光資源無いし、いきものがかりは多大な寄与をしていることだろう。

・・・と思ったら、相模国の国分寺はこの海老名市にあるらしい。
それはともかく、相鉄に乗ってみましょう。

横浜をベースにする相模鉄道は1990年に日本民営鉄道協会から「大手私鉄」として認定されている。

民鉄において「大手」「中小」とはなにか。
それは、私鉄総連における賃金交渉の基準の設定から始まったものであるという。
その賃金交渉という事でいえば相模鉄道は毎年のストが春の風物詩となっている程組合活動の盛んな鉄道でもある。

かつて「神中線」と呼ばれた相鉄は先に話題に出た米軍補給廠の脇を通って横浜駅を目指す。

そして程なくして横浜に到着。
決死モデル:チームR園田

相鉄の横浜駅は、JRや京急の横浜駅から最も遠い所にある。
というか横浜駅というのはいつもどこかしらで工事を繰り返しており、なおかつ表口であったはずの東口には「駅前広場」と言うものが存在せず、駅舎からそのままそごうに入るような形になる。
横浜駅というのはこのように、他の駅とは全く違う特徴を持つ駅なのである。

ただし相鉄が中心として開発に当たった西口はそんなことはなく、単なる普通の大都市の駅前となっている。

そして昼食を食ったくらいにして、単純往復で西横浜に行ってみる。
西横浜からは東海道線の電車がよく見える。
決死モデル:チームRスマレ

逆に東海道線の電車に乗っていて、横浜駅を出たあたりで細いホームとショボイ「西横浜」の駅名標がずっと気になっていた。
その貧相な駅名標は、相模鉄道が「地方私鉄」だった頃の名残すら残しているような雰囲気だった。

この駅の北側には電留線が何本かあるが、別に昔の車庫がここにあったとかではなく、星川にあった電留線を移設したものであるという。
また、米軍輸送があった頃はこの駅と保土ヶ谷駅で貨車の受け渡しをしていたのだという。

そしていずみ野線を分岐する二俣川へ。
決死モデル:トルソーさんメア

横浜市旭区の中心である二俣川はまた、神奈川県民にとっては「運転免許試験場」の代名詞ともなっている、例えば東京であれば「府中」、千葉であれば「幕張」、埼玉であれば「鴻巣」、大阪であれば「門真」、北海道であれば「手稲」というあれである。

ここからはいずみ野線で湘南台を目指す。
とはいえ、住宅地の中で大して面白みのある路線ではない。

程なくして湘南台に到着。
相鉄の湘南台は地下駅構造になっている。
決死モデル:チームWBノノナナ

コンコースには相鉄のゆるキャラ「そうにゃん」のパネルが置いてあり「そうにゃん台」としてアピールされている。

ホームに降りてみてすぐ分かったのだが、星野源の「時よ」のPVはこの湘南台駅で撮影されたものだった。

それでなくても相鉄は小湊鉄道同様、ドラマやMVの撮影協力に積極的なのだという。
ここからは小田急江ノ島線に乗り換えるが、同時に横浜市営地下鉄に乗り換えることもできるという一大ターミナルと化している。

そして小田急に乗り換え。
ちなみに湘南台駅の所在地としては藤沢市ということになる。

もちろん急行や快速急行も停まる。
ただし「えのしま」は停まらない。(大和には止まる)

ここから江ノ島線で藤沢を目指す。
神奈川の公立高校ではトップの湘南高校もこの界隈にあり、石原慎太郎などを輩出している。

なにぶんにも藤沢市内の移動なので、すぐに到着する。
小田急の藤沢駅はスイッチバック構造になっている。

向こうの東海道線のホームの売店は80系のハリボテとなっている。
往年であれば沼津行きの湘南電車が発着していたであろうか。

こちらはと言えば、藤沢~片瀬江ノ島のローカル列車を待つのみ。

最近の小田急は、新宿から江ノ島線に入る運用は藤沢止まりになっていることが多いような気がする。
かつてであれば、小田原行き(6両)と片瀬江ノ島行き(4両)が相模大野で分割していた。
複々線化してからは特に、輸送量も多くなりなおかつ面倒な併結をする必要もなくなったということであろうか。

そして片瀬江ノ島に到着。
駅舎は竜宮城を模したものとなっている。
決死モデル:チームY宇崎

新宿からの特急が直通する片瀬江ノ島は観光地であり、観光客でごった返している。

江ノ島もまた、湘南台同様に3社の鉄道事業者が乗り入れる地域となっている。
それも、それぞれがバラバラに駅を立地しているという特徴がある。

モノレールの江ノ島駅は、それらの中でも最も山側に属する駅となっている。

江ノ島からすると小田急は藤沢や相模原や新宿を結ぶもの、江ノ電は鎌倉を結ぶもの、そして湘南モノレールは大船を結ぶものと棲み分けられている。大船であれば東海道線も横須賀線も停まる。

ただ、小田急も江ノ電もある便利な環境にありながら、あえてモノレールが建設されたのは、三菱重工がモノレールの売り込みをするためだったという。
そのような意図で、弘前電気鉄道も三菱系になったという経緯があったはずである。

かれこれ10年以上前になるが、仕事で関係のあった三菱重工の工場を見学する機会があった。
その時にやはり大船から湘南モノレールに乗り、湘南深沢で降りて行った記憶がある。

そしてモノレールは大船に到着。
決死モデル:トルソーさん霧島

江ノ島からの観光客、そして山がちな鎌倉市内の住宅地からの客を吐き出す。

「拝島市」「津田沼市」に並ぶ実在しないターミナル都市の一角をなす「大船市」は実際は鎌倉市内にある。ただし駅のすぐ北側は横浜市栄区となる。栄区は根岸線の本郷台を中心とする区であり、本郷台駅の近くにある神奈川県立柏陽高校は横浜南部学区のトップ校であり長野パラリンピックのスキーで金メダルを獲得した大日方邦子選手も卒業している。ちなみに大日方選手はその後中大法学部に進学しNHKに入局するという文武両道の才媛でもある。

・・・それはともかく、根岸線に乗って次行きましょう。

そして新杉田で降りて、今度は金沢シーサイドラインに乗り換える。
決死モデル:チームPメイ

この路線は、金沢区の埋め立て地の交通の便のために平成元年に開業した新交通システムであり、横浜市立大学医学部や八景島シーパラダイスへ行く時に利用する路線として知られている。

なにぶん埋め立て地の交通の便のために開業した路線なので、全線が海沿いとなる。
乗るとさほどの混雑もなく座れる程度。

そして終点の金沢八景に到着する。
とはいえ、京急の金沢八景からは離れた所にあり、この20年以上仮駅という状態である。
決死モデル:チームTエリー

これは、用地買収が進まないからだとのことであった。

京急の金沢八景に行くには、しばらく歩かないといけない。
周辺は、かつて漁村であったであろう面影が残っている。
釣り客もそれなりにいる感じである。

そして国道16号線を渡り、京急の金沢八景へ。

20年以上放置されていた用地買収もここへきてうまくいったのか、新駅の建設が進んでいる。

ここから京急に乗る。
そして品川から都営浅草線となり新橋へ。

ここで、築地市場の代わりにできるという豊洲の新市場へ行ってみることにしたい。

新橋からゆりかもめに乗り、豊洲市場駅を目指す。
終点の豊洲の1つ前になる。

そして豊洲市場へ。
決死モデル:トルソーさんファラキャ

この築地市場の問題も一体どうなることやらで・・・

 

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