晴れたる青空

大阪市の今日、5月18日(日)の天気は、概ね晴れで、最高気温は28℃、最低気温は18℃となる見込みです。
日中は晴れ間が広がり、気温が上昇して暑く感じられるでしょう。ただし、午後からは雲が増える可能性があり、にわか雨の可能性もありますので、外出の際は折りたたみ傘があると安心です。
また、南風がやや強く吹くことが予想されており、洗濯物が飛ばされないよう注意が必要です。
明日、5月19日(月)は、最高気温が26℃、最低気温が19℃と予想されており、引き続き暖かい一日となるでしょう。
この時期は気温の変化が大きいため、体調管理にご注意ください。

大阪・上本町のホテルで目が覚めたのは7時過ぎだった。
昨夜は2時近くまで寝ていたので、このくらいでも別に構わないだろう。

しばらく朝の情報番組を見ている。
ウルグアイの「世界一貧しい大統領」が亡くなってどうたらとか。

さて、8時半も過ぎてしまったので、いい加減行動を開始しなければいけない。
今日の行動のリミットは16時までだ。
16時ちょうどの新幹線で東京に戻るのだ。

ということで、まず朝食を新梅田で食べたいので、上本町とは逆方向の環状線の鶴橋方面に歩いて行くことにする。

そして鶴橋駅に到着。
焼肉店の多いことで知られるこの界隈も、どこもっていない。

大阪環状線のホームに行くと、ちょうど大和路快速の加茂行きが来ていたので飛び乗る。当然座ることはできない。
とは言え、大阪環状線はすべての駅が対向式ホームなので、進行方向右側のドアに寄りかかっていれば間違いは無い。

そして、大阪駅に到着。新梅田の「大阪屋」で朝食が大阪に高速バスで到着したときのデフォルトなので、今日もここで食べることにする。
ここは相変わらず朝から酒飲んでる人でごった返している。

朝から満員の店内で食べ終わったら、阪急電車で行くことにする。
まずは阪急の園田へ。

なので、特急ではなく各駅停車に乗ることにする。
しかし、阪急神戸線自体が駅数が少ないので、快速での準急だの急行だの特急だの準特急を設定すること自体がよくわからないのだが。

ともかくも園田に到着する。決死に出るのは仮面ライダー555出身の園田真理。

園田は何の変哲もない街並みである。これを以って兵庫県尼崎市は収鋲とする。
ともかくも決死にしこくん仕事が終わったら、次の目的地に行くことにしよう。

引き続き各駅停車に乗って西宮北口にしきたへ。
降りたホームの外側には、今津南線に接続する線路がある。昔は平面交差だった場所だ。

なぜ西宮北口にしきたかというと、かつて阪急ブレーブスの本拠地であった西宮球場の跡地に阪急西宮ガーデンズがあり、そこには阪急ブレーブスのよすがを伝えるギャラリーがあるからだ。

動く歩道を経て入ってみると、なんというか阪急の文脈のショッピングモール。

案内の人も、なんだかサンダル履きの外国人旅行者みたいな奴は受け付けてくれそうにないが、親切に応対してくれた。
阪急ブレーブスの展示のある西宮ギャラリーは5階であると。

それでエスカレーターを登って5階に行ってみると、すっかり親子連れの憩いの場になっていた。
それでも優勝した時のレリーフなどが飾ってある。
あとは当時の西宮球場や西宮北口にしきたの平面交差も。
ところでスコアボードは、西宮球場がなくなる少し前の電光掲示板になった頃のようだ。

さて、来意を果たしたのであとは別の所に行くことにしよう。

西宮北口にしきたの駅に戻って上りに乗って塚口へ。
塚口からは伊丹線に乗り換えることにする。昔ながらの7000系が往復している。

ほどなくして阪急伊丹に到着。
この阪急伊丹というのも、阪急デパートの文法で建設されている印象。

ともかく、ここから先、JRの伊丹まで行って川西池田まで行くことにしよう。
ということで伊丹の町並みを歩いていく。

そして忠霊塔が見えて、その左にすぐJRの伊丹駅が見えてくる。

伊丹からJRに乗って川西池田へ。

川西池田からは、阪急の川西能勢口とペデストリアンデッキでつながっている。
昔であれば能勢電で行ったところであろう。
途中、阪急デパートがある。

ともかくの川西能勢口へ。
ここから阪急に乗って県境を越えた先の池田へ。
ここで昼になった。

ここで、小林一三の記念館に行きたいが、その前に昼食とすることにしよう。
一体全体この池田という所は、何か名物では無いのだろうか。
Google マップで検索してみると、カレー屋が数件あるようだ。
ということで、カレー屋に行くことにしよう。

ということでたどり着いたのは、燻製カレーと言う店だった。
数人しか入れない狭い店内は行列店である。

10分以上待ったところで、カレーにありつくことができた。
ポテトサラダやら、フライドオニオンのかかった手の込んだカレーであり、テレビ番組の取材や有名人のサインも多いようだ。

食べ終わったら、しばらく歩いて、小林一三の記念館へ。
ここは入館料300円となっているようだ。小林一三の業績や茶室や旧居の跡などが展示してある。

吉田茂やら森繁久弥やら、各界の著名人が、小林一三の業績を称えるなどのコーナーがある。
また、小林一三のコレクションした美術品の解説DVDのナレーションは宝塚出身の檀れい。

また、阪急電鉄に関する展示もあるのだが、古いポスターだけでなく、箕面有馬電気軌道の社紋まであったのは発見だった。

また、小林一三日記を売っており、明治期から昭和32年まで克明に書いているというのだが、読めばさぞ近現代史の克明な資料になるだろう。いっその事Kindleで売ってはどうかと思うのだが、そういう計画は無いのだろうか。

そして、見るだけ見たら、また坂を降りて池田駅へ。
この先は、高槻や茨木など、京都線沿線の市町村を回れるだけ回りたいところであるが、時間的に許せるかどうか。
とりあえずYahoo!路線で調べてみると、水無瀬まで行くと14時38分。16時の新大阪からの新幹線には一応間に合いそうだ。

ということで、十三で京都線に乗り換える。特急に座ることができた。
摂津市・茨木市・高槻市と、京阪のような命名センスの駅名が続くが、それもそのはずで、ここは「新京阪」である。

高槻市から各駅停車というか準急に乗って水無瀬へ。
一応これで大阪府三島郡島本町は収鋲したということになるが、正直水無瀬駅の周辺には何一つないのだ。

仕方がないので、JRの島本駅のほうに行こう。
ちょうど新幹線で新大阪に行く用事もある。
こちらの方なら、楠木正成に関係する史跡もある。

それも、折よく阪急バスが来るのだ。
バスは街路樹の街を行く。
腐っても大阪で、よく整備された街並みである。

そして島本駅前に到着。
駅前の公園は「桜井駅」というのだそうで、鎌倉幕府を打倒した楠木正成が親子の決別をしたのがここなのだという。
また、ここには明治天皇の御製があったり、麗天館という古い木造建築があったりする。
なるほど、ここにくればかなりのものが収鋲できるということになる。

それも見終わったので、島本駅から各駅停車に乗って新大阪へ行く。

新大阪以降でやることというのは、日記とにしこくん仕事を追いつかせるということである。
これだけで旅行自体がバタバタする。本当にこれでいいのかと思ってしまう。

ともかくも16時ちょうどののぞみ244号の中の人になる。

中ではとにかく日記を追い付かせたいが、なにぶんにも音声入力なので、隣の人が寝てからにしよう。

そして、隣の人が寝たのを見計らって日記を追い付かせていく。
しかし今日は書くことが多すぎる。

東京に到着する頃には18時過ぎ。
そこから夕食を食べてPOWANに義理立てしに行くことにするか・・・

ともかくも、18時過ぎに東京に到着。
東京駅は巨人と中日のユニホームの人でごった返している。中日戦があったらしい。

中央線は、後ろの車両はガラガラだった。
そして難なく新宿に到着。

今やもうスタジオALTAも無い。
歩いているとかなり膝が痛いのだが、どうしたらいいだろうか。

どこで食べようかと思ったら桂花ラーメンの隣にタイカレー店が新たにオープンしたらしい。
スマホの充電もできるというので、コーヒーでも飲んで長居しようかと思ったら、コーヒーとかお茶のメニュー自体がなく、尚且つ高いカウンターだけ。
それでタイカレーだけ食べたくらいにして出ることにする。

その後、区役所通りのローソンで20時まで時間を潰す。

そして20時になったのでPOWANへ。
もう1人お客さんがいた。
大阪に行ったのに万博には行かなかったとかそんな話。

また、ひなちゃんはポイ活をしていて云々とか。

そして21時になったので帰る事にする。
総武線の黄色い電車に乗って秋葉原へ行き、秋葉原からTXで。
しかしおそらくはもうバスも無いだろう。

守谷を過ぎるとほぼガラガラだった。
そして23時ごろにつくばに到着。

あとはタクシーで帰る。
大体1,700円ぐらい。

あとは風呂に入って寝ることにする。

今日の決死出演は4名(累計20名)。

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