本日(4月5日)の小笠原諸島(小笠原村)は、朝から晴れて気持ちのいい天気となっていますが、午後にかけては次第に雲が広がる見込みです。これは、太平洋高気圧の縁を回る湿った空気が流れ込みやすくなっているためで、特に昼過ぎからは上空の気圧の谷の影響もあり、雲が出やすい状態となります。最高気温は20℃、最低気温は18℃で、過ごしやすい陽気が続くでしょう。雨の心配はほとんどありません。
ブーゲンのマスターが「朝食だよ!」ドアをドンドンするので、起こされたのは7時25分。
さっさと起きて朝食を食べなければいけない。
いつもの洋食の朝食セットであるが、焼き魚とご飯で和食の要素もある。
食べ終わったら、さっさと荷物をまとめなければいけない。
のんびりやっていたら、9時も過ぎてしまった。
しかし、リュックサックとスーツケースで持っていくにはかなり多い分量だ。
こういう時は、当座使わない荷物はゆうパックで送ってしまうことにしよう。
それで、買い物袋に入れて郵便局に行くことにする。
箱は郵便局で売っている。
特大ではなく、大で充分入れることができた。
そしてアプリで運び出しの手続きをしてから出す。
これでだいぶ楽になった。
そしてまたブーゲンに戻り、いよいよ引き払う準備をする。
残った荷物をリュックとスーツケースに詰め込んで出発する。
最後、マスターに4万9千いくら払う。
宿泊代は4万2千いくら。それに3月17日に財布を忘れた分をツケにしてもらっていたので、それも払う。
そして職場に行くことにする。
仕事が残っているのだ。
まずもって、昨日全くつけていなかったメールをWikiメモに追いつかせることにする。
そして、昨日やっと業者から見積もりが来たので、これに関しては後任の所長に引き継いでいくことにする。
その次は、出て行く24-4・24-5 ・そして乃公自身の1月から3月までの有給に関する書類を異動先にメールで送る。
その次は、ゴム印を盛大に押ししまった。24-5の出勤簿を全部書き直すことにする。
最後に、業務用端末のアカウントを引き揚げることにする。
これで12時になった。
一旦昼食に出ることにしよう。
最初、海遊で麻婆丼でも食べようかと思ったら、そういう時に限って大学生のような一団が集団で海遊に来る。
ではどこで食べようか…と思ったら、そういえば今日は出港日なので、公園のところで「おあしす」が営っているのだ。
ここでビビンバ丼を頼むことにする。
公園のバスケットコートはすっかり完成しており、子供たちが遊んでいる。
さて、また職場に戻ってアカウントも引き上げとメールのあアーカイブをすることにする。
しかし、おそらくメールは数GBに達し、すぐにできるものではないような気がする。
これは後でDVDで送ることとして、まずは端末のアカウントが閉鎖に注力することにする。
と、24-7が来て「港まで自転車運びましょうか」と言う。
そういえば、13時過ぎているのだ。
自転車の引き受け時間は13時から14時までだ。
もしやってくれるなら、スーツケースの方を運んで欲しいと言い、もう出る準備をすることにする。
スーツケースの方から、辞令を改造した板を取り出し、決死の準備もする。
そして、スーツケースは残して出て行くことにする。
そういえば、船の中でジャンクタイムをしたいので、生協でポテトチップスでも買っていくことにする。
そうしたところで思い出した。
現業室に、24-2がいるはずで、挨拶ぐらいはしていくべきだった。
まだ13時半ごろなので、自転車の申し込みには余裕がある。
それで、職場に戻って挨拶をすることにした。
職場に行ったら24-6と24-7がいて、「行っちゃったんですか?それで戻ってきたんですか?」と。
ちょっと24-2にも挨拶していこうと思った旨を言うと、大笑いしていた。
ともかくも24-2に挨拶していくことにする。
そのついでに、後任の所長が来たので、予定になかった記念撮影をすることにする。
24-6 はレイをかけてくれた。
去年の今頃は、コミニュケーションができていない云々などと言われてしまったので、レイなんて作ってもらえないものだと思っていたので嬉しい。
ともかくも、レイをかけてもらったまま、巉嶼で去ることにする。
ありがとう、小笠原出張所。
そして二見港に到着し、まず最初にやる事は巉嶼をコンテナで送ってもらうことである。
4千2百いくらかかる。
まだほとんど客は桟橋には出ていない。
しかし、船客待合所には結構な人がいる。
手話サークルで一緒の人は「特等に乗るなら1番最初に乗れるので、一旦船に入って荷物を置いて行ったら」と言う。
そんなことができるんだったら、1も2もなく置いてくることにしよう。
まだ行列もできていないタラップから乗って7階を目指す。
そして7階に登ってカードキーで部屋に入る。
非常に広い部屋だ。これが特等か。
ともかくも、荷物を置いたら、また船を降りて桟橋に行く。
そのうちにサークルの人も集まり、職場の人もスーツケースを持ってきてくれた。
手話サークルの人は、みんなレイをくれた。
おそらく、今日出る人の中で、一番たくさんもらったのではないだろうか。
また、金剛杖のような草で編んだ棒までもらった。
手話サークルで来ている人の、小学校低学年の娘さんがレイをかけてくれた。それと、お誕生日のメッセージもくれた。
ところで、桟橋には24-1もいた。
乃公を見送りに来たのではなく、テニスサークルの他の人を見送りに来たのだろう。
さて、14時50分も近くなったので、船に乗り込むことにする。
そして、あの小学校低学年の娘さんのリクエスト通り、屋上に陣取る。
船のデッキの前の方では、何やらYouTuberかタレントかの撮影チームが出港を待っている。
何でも、特別の許可を得て入っているのだという。
そして、あれやこれやとしているうちに、笛の音が鳴る。
感動のクライマックスになるはずだったが、不思議と涙は出なかった。それよりも、バタバタしていた。
「いってらっしゃーい」の大声援とともに船が出る。
こちらも思いっきり手を振る。
ついに、この島を出ることができるのだ。
いずれ、この島を出る事はわかっていたが、その時にやろうと思っていたことがあった。
24-1には散々いじめられたので、船から職場が見えた時、バカヤローと叫んでやろうと思った。
しかし、そんな気にならず、「ありがとう!」と叫んでいた。
24-1への復讐は、あの業務査定の時に終わっていたのだ。
後は、みんなの健康と多幸を祈るだけだ。
あの三日月山も、これで最後なのだ。
さて、後は電波のあるうちに部屋に戻ってしまいたい…と思ったら、カードキーを忘れてしまった。
7階のラウンジだったら、ワンチャン開け方を知っているかと思ったら、4階に行ってくださいと言う。
仕方がないので、4階まで行って開けてもらうことにする。
ともかくも、この702号室に陣取ったので、何をしようか。
特等室というのは、正直言って一般のホテルの部屋と指して変わりないが、シャワーではなくバスルームがあると言う事は特筆に値するだろう。
そして、特等の客には専用ラウンジというのがある。
ちょっと行ってみようか。
ここもカードキーでないと開けることができない。
入ってみると、マッサージチェアが2台あり、ドリップコーヒーを入れることができる。
ともかくも、これまでのおがさわら丸の旅と全く違う旅だ。
ともかくも、電波が入らない間はそれこそヴィーナス児の小説でも書いていることにしよう。
電波が入らなくても、プロットぐらいは寝ることができる。
そんなことをしていたら、18時が来たので、4階のレストランに行くことにする。
レストランではステーキを食べることにする。何しろ50歳のバースデーだ。
後はもう部屋に帰ってしまおう。
ベッドに寝転がりながら充電して、やっぱりヴィーナス児の小説を書いている。
全然描けているように思えないが、結構な大作が描けている。
そのうち眠くなってしまった。
一度寝て次に起きたのは22時ごろだった。
そこからまた起きて、またヴィーナス児の小説を書いている。
1時間過ぎ、2時間過ぎてしまった。
いい加減、日記を書いてしまうことにしよう。
結局、3時すら過ぎてしまった。
生活パターンがかなり破壊されている。
ともかくも、寝れる時に寝る。
今日の決死出演は5名(累計32名)。