いつか終わる無常感

小笠原諸島Bonin islandsは前線が通過した。
今日一日はほとんど曇りで推移するようだ。
最高気温は28℃になるという。

目が覚めたのは2時過ぎ。
昨夜は21時ぐらいには寝てしまったが、それにしたって早すぎる。

今日は車運転するので、寝れる時は寝ることにしよう。

そう思ったら、コの字型に折れ曲がった大規模な集合住宅に住んでいる。そして、何故か他人の家のミキサーを拝借して、バナナスムージーを作っている。バレないうちに洗って返すという夢。
そう思ったら、小笠原丸のチケットのために職場の全員で行列に並ぶが、乃公おれだけ間違ったところに並ぶという夢。
今度は、故郷にいた頃の部活動の連中が大挙して小笠原に泊まりに来るが、一番嫌だった奴と乃公おれが1番最後に起き、その嫌だった奴が何の気に入らないことがあったのかリモコンを足で押さえつけてとわせようとしない。こちらは決死の宿洗いをしていたようで、メンを袋に詰めるという夢。
そんな3本立ての夢から目が覚めたら、5時半過ぎだった。

まず今日やることは、イロハシャッフルに先立って楼山を新しい顔にすることである。
そう思って倉庫部屋で楼山の顔を探す。

記録によれば「ベタ網」というジャンクで手に入れた顔の網にあるようなので、探してみるが、ベタついているだけではなく顔が汚れている。
まるで口元に下品なホクロがあるように。

それで、洗ったり磨いたりしてみるのだが、全然汚れが落ちない。
仕方がないので、新品をおろすことにする。
本当な楼山は残機が少ないので、こういうことはしたくないのだが・・・

その楼山なのだが、ヤフオクで購入する前の所有者が、ちょっとした魔改造をしていたようだ。
ゴーオンジャーの戦闘スーツは本来全身を覆っているが、それを太ももだけ見えるようにしたのだ。
ご丁寧にパンツまで表現している。
そしてまたご丁寧に、上からでもそれがわかるように台座を鏡張りにしている。

弊喜び組的には頭部以外に用はないのだが、ここまで頑張ったものを撮らないというのもどうかと思ったので、一応撮っておくことにする。
かれこれ10年以上前ではないだろうか。
こうしてやっと日の目を見たわけだ。

ともかくも残機は4になった。ただしそのうちヤフオクで送られてはくるのだが。

そしてイロハシャッフル

ここから先しばらくは、この陣容で決死して行くことになる。
6月の弾丸上京もこのメンバーで行くことになる。

父上も母上も起き出して、洗濯や朝食の準備を始めている。

ところで、昨日は乃公おれがいない間に、戸棚やら倉庫やらをあれこれ片付けをしていたらしい。

それで、倉庫部屋に関しては、父上が物の配置をA4用紙に書き出すなどしていた。
人の家に来てまで、よくもまあこんなことを…とも思ったが、まぁ役に立ったという実感を与えるのも親孝行なのかもしれない。

そのうち朝食となる。
ピーマンとツナ缶の炒め物、もやしと春菊のナムル。

今日はレンタカーで島の裏の方を回ることにする。
父上と母上は、すでにバスの1日乗車券で小港まで行ってしまったようなので、満足しているようなのだが。

それに先立ち、決死できる機会も少ないだろうから、朝の散歩がてら決死しておくことにする。
昨日と違って、生協もっている。

戻ったら8時になったので、みんなでレンタカー店に行くことにする。
お馴染みのガンジーさんのところだ。

向こうもこちらも顔を覚えているようで、「今日はご家族と一緒ですか」と言う。
「今日は天気が荒れなくてよかったですね」と言うので、むしろ天気が荒れて雨が降ってくれれば水不足も解消したんでしょうけどという話。

ともかくも出発する。

奥村の教員住宅のところを左に曲がり、夜明け道路に入る。

そして、最初は旭平展望台。
海を一望のもとに見渡すことができる。

そして、次は国立天文台の電波望遠鏡。
敷地に入ると説明も書いている。同じような電波望遠鏡は水沢・鹿児島入来・石垣島にあるという解説も、そこに書いていた。

その次は、首なし二宮金次郎のところに行く。
母上は、二宮金次郎の首を切った米兵について「馬鹿だね」と言う。まぁ確かにそれしか言いようは無い。
そして、海軍の詰所跡も見る。何に使っていた建物かは不明。

その後、中央山の展望台へ。
中央さんの展望台からは母島も見えるし、大村の市街地も見える。

後はもう戻るだけであるが、お土産に小笠原コーヒーを買いたいと言うので、USKユースケコーヒーに寄ることにする。時間にして9時40分過ぎ。
今日は船が入るわけでもなく、ってないかと思ったら「10時過ぎにオープンしますので」と言う。
そういうことであれば、駐車場の日陰で待機してから10時に行くことにしよう。

そして10時になったのでUSKユースケコーヒーへ。ここで小笠原コーヒーを頼む。
ただし、お土産用に売っているわけではなく、それが買えるのは佐藤商店さとしょーに入った時だけだという。
ともかくも、鶏の声を聞きながら、コーヒーを飲みながら、時間を潰すことにする。
母上にGoogleフォトへのバックアップ方法を表示するが、なかなか覚えてもらえないので、やり方を写真に撮って送ることにする。

そして10時半過ぎたので、店を出ることにして、次はコペペ海岸に行くことにする。

母上は、大喜びでサンゴを拾い集めている。

1時間近くそんなことをやって満足したのか戻ることにする。
都道の左手に濱江丸を見ながら。

昼食は外で食べようということになったが、そもそもってる店がほとんどない。
チャラ日和のおにぎりと、キャミ婆の店だけだ。

結局キャミ婆の店で食べることに。

その後、生協で今晩の食材を買うことにする。
本当であれば小祝のタッパーに入った肉が買いたかったのだが、今日はっていないようだ。

そして、父上はコペペ海岸がよほど気に入ったようで、海水パンツを改めて持っていきたいと言う。

果たして、帰宅して買ったものを置いて、改めてコペペ海岸に行くことにする。
父上はスパッツ型の海水パンツを履いている。
そうくるとは思わなかった。

こちらは日陰でiPhoneでもいじっているが、バッテリーの残量が15%ぐらいしかない。

父上も母上もコペペ海岸を気に入ったようだ。

1時間程度で充分堪能したようで、戻ることにする。
そしてレンタカーを返却してミッション終了。

その後、81美容室に行こうと思うが、しばし充電できるだけすることにしよう。

折悪しく、父上と母上は買い物に行きたいと言う。
もっとも、お互いが鍵を持てばいいだけなので、それで行くことにする。

ともかくも81美容室に巉嶼ざんしょを走らせる。

そしてカットになるわけだが、床屋談義はドック中の話。
美容室の人は島の人に呼ばれて食事をしたり静かで楽しかったようだ。
そして、6月6日の便で帰るようだ。ただ、住民票がなく帰りのおがさわら丸の予約は片道だけで違和感を持たれたようだ。

また、その後に来る人は、あの怖エコちゃんだという。
ただし他の人もいて2人体制だという。2人体制にするんであれば、3月にそうしてくれたらいいのに。
「そうなんですよね。学校の卒業する年の担任の先生は、着付けなんかもありますからね」
内地の大規模な学校と違って、とかく注目される立場だろうから気合が入るようだ。

そして40分ぐらいでカットが終わる。
太陽は雲に隠れていた。

そしてまた、福祉センターの図書館に行き、本を読むことにする。
「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」は、小林正人と井手峻の章。
個人主義を貫くというのは、いかにその場所に精通していなければならないかということがわかる。
上の言うことに逆らうが、最後は自分自身で責任を取るという覚悟ができていないと、ここまで個人主義を貫けるものではない。

時間は16時半を過ぎていた。
また、iPhoneのバッテリーも10%を切っている。
さっさと帰ることにしよう。

二見港には共勝丸が停泊している。
何の作業もしていない。

そして 帰宅する。母上は夕食の準備をしている。
今日は焼肉にするようだ。

そして風呂に入れと言う。
本当は終い風呂の方がいいのだが。
風呂の中では日記をつける。

その後夕食。
新しいホットプレートは、油がはねるから台所で使うという。
久しぶりに焼肉を食った。

これで明日という現実に備えないといけない・・・

そしたらまた北海道支社の生涯学習ニキから怒涛のメッセ。
網走の方で何かイベントがあって総本社の副シャチョサンが来たのに北海道支社からは誰も出さないので北見支店長だけ出て云々とか。
それがそのうち北海道支社での仕事の話になって、「もうまともな人間だと認識されるのをやめたい」なんて言ってる。
まあ最近の我が社が「まともな人」に依存して人員を合理化してきた報いがここにきて噴出したということなのかもしれない。
それであれば「まともな人」を降りるというのは、ある意味当然の帰結と言って良いのかもしれない。
こちらだって昔から직맹でシャチョサンに「そんなに人を減らしてたら業務が遅滞するかも知れませんがそれでも許容しますか」と聞き続けているのだ。

いつの間にか寝入っていた。

今日の決死出演は5名(累計5名)。

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