小笠原諸島は高気圧に覆われている。
今日1日は、晴れか曇りで推移するようだ。
最高気温は23℃であるという。
目が覚めたのは5時過ぎだった。
これなら、7時半のははじま丸の出港に起床事故と言う事は無い。
ただ、あまりに睡眠時間が短いと、またメニエールがぶり返してくることになるだろう。
Twitterを見ると、昨日、維新の梅村みずほが名古屋入管で虐待死したスリランカ人のウィシュマさんに関して「活動家が不法入国の外国人にアクセスして詐病が増えることになる」みたいなことを言って、大炎上している。
その演説している様子を動画で見たが、なんとも凛然と差別発言をまくし立てることよ。
凛然と無慈悲な発言をたれ流すことこそが、女性保守政治家の本領であろう。
ご本人によれば「猛烈な批判は覚悟の上」だそうなので、普通なら内容証明を送られるレベルの批判でも、甘んじて受ければ良いのではないだろうか。もとよりそれは「表現の自由」の範囲内のはずだ。
ところで、批判している方もなかなかレベルが高く感じる。
こーゆーのに比べたら、乃公など単なる罵詈雑言でしかない。
さて、7時も近いので、食料を積み込んで出発することとしよう。
最初は、カロリーメイトのほかに、非常食のわかめご飯とかスープも持っていこうと思ったが、そもそもヨーグルト等とは違って、賞味期限を気にする必要もなく、また、この先のおがさわら丸のドック入りに向けて、食料が枯渇しても困るので、持っていかないことにしよう。
母島にだってレストランの1つや2つあるはずだ。
二見港は通路を改修しているようで、所々カラーコーンで区切られている。
桟橋は既に空いていた。
しかし、風が強くてなかなか決死も難しい。
ところで、竹芝行きの桟橋から離れたところにあるこの母島桟橋は、まるで国鉄から分岐するローカル私鉄の駅のような面持ちすらある。
母島までは片道4980円かと思っていたが、島民は往復で5980円らしい。これはお得だ。
そして、7時20分ごろ乗船開始。
乗客は大体3人か4人。おがさわら丸もドック入りなのでこんなものなのだろう。
そして、後ろのカーペット席に陣取る。
iPadやiPhoneを充電しつつ、iPhoneのPDFの本を読むことにする。
この航路は父島を7時半に出て母島に9時半に到着すると言う2時間の航路であるが、その中間の8時半ごろにやたら揺れだした。
揺れている間、カーペットに寝転がって、iPadで「百鬼園戦前戦中日記」でも読んでいることにする。
特に昭和11年頃は、それほど長いわけではない。
二・二六事件に関しては「軍人謀叛の噂を伝う」で終わり。
とは言え、こんな貴重な航路で本ばかり読んでいると言うのをもったいないような気がするので、甲板に出てみる。
すでに、母島の島陰が見え始めていた。
特徴的な岩が見える。
Googleフォトで画像検索すると、「4本岩」と言うのだという。
遠くから見ると、2本しかないように見えるが、近くまで行けば八重歯のような岩があるらしい。
しかし、最近の画像検索と言うのは、目を見張るものがある。
おそらく、高給取りのGoogleのエンジニアが一生懸命頑張っているのだろう。
最近のGoogleは解雇騒ぎでいろいろあるようだが…
さて、だんだん母島が近づいてきた。
そしてははじま丸は着岸の準備に入る。
どうやら、右側から着岸するようだ。
港には、民宿などの人が出迎えている。警察もお出迎え。
乃公が泊まる予定の民宿の人もいる。
つまり、民宿の人の前で決死しているということになる。
到着すると、決死する暇もなく車に乗せられて宿へ。
宿は非常に清潔だ。
ここの民宿の主人は、大手銀行で勤めていたところへ、釣りやダイビングが好きで脱サラして民宿を始めたようだ。
確かに、いかにもな島の人という感じではなく、どこか都会ずれした感じはある。
さて、この先何をやるか。
何しろメインは明日。
昼までゴロゴロしていることにしよう。
そのうち、Pocochaの配信が始まる。
12時の昼食までは聞いていることにしよう。
何やら、リスナー全員でいいねを長押しして10万に達すると何かが貰えるらしいので、それに協力する。
しかし指が痛い。
そして、12時が近づいたので、配信のほうはこれで失礼させてもらって、街…というか集落に繰り出すことにする。
近くに、古びた、食堂というか寿司屋があったので入ることにする。
この寿司屋は、実はカツ丼が評判が良いのだと言う。
ただ、なるべく摂取する栄養としては、不飽和脂肪酸の方がいいと思うので、島魚の漬け丼にすることにする。
何しろ、漬けてあるので、それほど生臭みはない。
ここは、他にも建設、作業員らしき数にも食べていて、いずれもカツ丼を注文していた。
そのくらいカツ丼が評判が良いのだ。
また、壁には昭和の歌謡曲や洋楽のポスターのコラージュを貼っている。それなりに若さや意識の高さはあるようだ。
さて、食べるだけ食べたら、別のところに行くことにしよう。
それは、藁葺きで煉瓦造りと言う不思議な建物であった。
ロースと言うのは、母島にやってきた船の船員だったそうで、石材を指導するなど、母島の開拓に力を尽くしたようだ。
それで、母島から算出される石材は「ロース石」と言うのだそうだ。
そのロース石では、竈などが作られている。
中に入ると、母島の歴史など。
事実上の郷土資料館になっているようだった。
昭和55年頃のこのロース記念館前の通りの絵もあったが、今よりもっと俗っぽい感じの通りだったようだ。
さて、この部屋を見てしまうと、あとは見るものがない。
ということで、次に行きましょう。
集落を一周することにしたい。
ところで、住宅地は、おそらく築40年ぐらいと思しき、ニコイチの住宅が何棟も並んでいる。
おそらくは、ほぼ同じ時期に集中して建てたのだろう。
この住宅ができる前は、よほどボロボロの家が並んでいたのではないだろうか。
この風景は、島というよりは夕張あたりの炭住を思わせる。
そして、港の方に下りていく。
・・・とはいっても、所々に登り坂があったり、集落自体がアップダウンに富んでいる。
ちょっと農協の店に入ろうか。
何か小腹を満たすものが欲しい。
そう思って物色してみると、肉は父島同様冷凍肉なのだが、生協よりもこちらの方が、1人暮らしにとっては食べやすい分量になっている。
とはいえ、人口500人しかいないような島なので、品揃えは限られている。
とんがりコーンを買って、屋根のついたベンチで回顧録を起こしていくことにする。
そうすると、隣の席に主婦2名。
その会話が、重い病気の治療方針を話している。1クール目とか2クール目とか。どうやら、看護師と患者のようだ。
いやあの、医療情報を周囲の人に聞かせていいものか・・・
そうしていると、別の主婦も混ざって、単なるママ友会になってしまった。
なんというか、島らしいおおらかさなのだろうか。
こちらは、とんがりコーンを食べながら回顧録をつけていると、食べこぼしたとんがりコーンを鳥がついばむ。
なんの鳥かと思って撮影してGoogle画像検索したら、イソヒヨドリであるという。
最近のGoogleはすごい。
回顧録の方であるが、2015年中ば以降は決死撮影中心となって旅行記が増え、写真の数が多くなっていくので、なるべくコピペで済ませるようにしていく。
ただし、写真だけはアップロードの順番を間違えないように、順番にやっていかないといけない。
そして、2015年を全部終え、2016年1月に入ったところで、パソコンの電源が心許なくなってきたので、民宿に戻ることにする。
そして、今日の決死で出たメンを洗いに出す。いわゆる「宿洗い」。
これで全員消尽した。
民宿に戻ってiPhoneをいじると、会社のTeamsに何か入ってる。
二等兵23−5からで、「あんまり話し合いもせずに突っ走らないでください」と。
そりゃ申し訳ない・・・ あんまり同じことを繰り返していると、そのうち信用をなくしてしまうので、慎重に物事を進めたい。
そうかと思えば、鹿児島の吐噶喇列島で震度5弱の地震と。
能登といい木更津といい日高といい吐噶喇列島といい、随分地震が流行っているではないか。
そのうち巨大地震でもくるのではないだろうか???
そんなこんなで、18時ごろまで何もせずに過ごす。
さて、夕食に行くことにしよう。
今度は、ロース記念館の近くの「めぐろ」に行こうかな。
・・・と思って、行ってみたら「GW以降は5月いっぱい休みます」と。
ではまた大漁寿司へ。
今度は、評判の高いカツ丼を頼んで見ようか。
そう思ったら「夜は居酒屋なので丼物だけというのはやってないんです」と。
では、芋焼酎の水割りを頼んでからカツ丼を食べることにする。
そして民宿に戻ることにする。
そして回顧録をつけ続ける。
回顧録は、コピペできるところはコピペすることで、作業効率を上げることにする。
YouTubeのライブニュースでは、立憲民主党が維新との共闘を終了すると。
そもそも、なぜリベラル政党である立憲民主が自民党の二軍である維新と共闘するのか。むしろ遅いくらいなのだ。
そういえば、飲み物が心許ない。
すでに商店は全て閉まっているが、自販機ぐらいはあるだろう。
そう思って出ていくと、サントリーの自販機はあった。BOSSとか。
烏龍茶はあったので買うことに。
さっきまで回顧録をつけてたベンチは、地元のママさんがママ会をしていた。
終わればまた暗い中を三々五々帰るのだろう。
そして民宿に戻り風呂に入る。
回顧録の方は、単調な作業とすると疲れるので中断することにする。
あとはまた本を読むことにしよう。いい文章を書きたいなら、心に栄養が必要だ。
そう思ったらいつの間にか寝ていた。