ここ最近、堀ちえみはネット上の中傷に悩まされており、最近それに対して賠償の判決が出たのだという。
犯人は奈良県の45歳の女だったとのこと。
理由は「スチュワーデス物語」の主役に抜擢されたことが気に入らなかったのだという。
それもこれも昭和58年のことである。
爾来38年間、そのことを恨み続けてきたということ。
そういう人もいるんだね。かなわんかなわん。
それはともかくとして、上記のように堀ちえみとは「スチュワーデス物語」であり、堀ちえみはドジでのろまな亀だった。
しかし、フェチブログである拙ブログで「私的devotee史」として取り上げる以上、「スチュワーデス物語」の主人公は堀ちえみなどではなく、片平なぎさ演じる新藤真理子その人である。
本件で記述するに先立ち、まず新藤真理子のプロフィールをWikipediaから抜き書きしてみたい。
新藤 真理子(浩の元婚約者)
演 – 片平なぎさ
新藤商事の社長・久之の一人娘。25歳。3歳からピアノを始め、ピアニストを目指してパリのコンセルヴァトワールに留学。彼女のピアノの評判を聞いてエクサン・プロヴァンス音楽祭を留学先のパリから聴きに来た浩と出会い、二人は付き合い始める。19歳の時ウィーンの音楽コンクールで優勝。
しかし、スキーに行った際に浩と衝突し、両手の指を粉砕骨折したために義手となり、夢を諦めざるを得なくなった。以来心が荒み、浩への憎悪から浩に生涯の責任を強迫したり、千秋への嫉妬に狂って嫌がらせをしたりする。
義手は、浩の前でよく両手袋を歯で引き外して彼に心理的プレッシャーを与える。ちなみに真理子の義手は細かい動きや素早い動きは無理なようだが、“ワイングラスを持つ”“電話をかける”などのごく簡単な動作はできる。
しかしその後、イタリア・アッシジで結婚式をあげる直前になって浩に憎しみからは何も生まれないと諭され、「あなたを憎み続けることに疲れた」「(千秋から)あなたを取り上げる楽しみも無くなっちゃった」と浩への憎悪や千秋への嫉妬に生き甲斐を感じていた自分の愚かさを告白し、浩との婚約を解消する。
愛車は、赤いBMW。思い出の曲は、ショパン作曲「木枯らし」。フランスのマルセイユの街が好き。
・・・といった次第であり、片田舎の小学生であった自分は、この新藤真理子が歯でロンググローブを外しながら、
「私の両手をこんな義手にしたのは浩、あなたよ!」
と迫るシーンだけは覚えている。
当時既に、Dr.スランプアラレちゃんの首が外れるところや近所の洋品店のトルソーにも何か特別な思いを持ってしまっていたので、スチュワーデス物語の新藤真理子の義手なんてさぞや… と思うところではあろうが、実際はそうは思わっていなかった。
小学生だった自分は、
「両手がないなんてかわいそうだなあ」
「新藤真理子は怖いなあ」
「でも両手を切る原因を作ったのならこんなに怖くても仕方ないなあ」
ぐらいのもので、意外にも後年のフェチに結び付く印象はなかった。
…いや、その時はそう思っていただけだった。
「スチュワーデス物語」は意外にも自分のフェチにも陰は落としていた。
あれ以降、イブニングドレスのロンググローブを見ると、「何か」を期待してしまう自分がいるのだ。
あの手は生身の手なのかなあ… なんて。
そもそも、礼装において手袋というのは、どんな意味があるのだろう?
やはりWikipediaで調べてみると、以下の通りであった。
白い手袋はすぐに汚れるのでたくさん所有し頻繁に取り換えなければならなかった。そのようなことができた裕福な白人女性の手は青白く、日焼けした黒い手は労働者階級に所属することを意味したため、貴族の証である美しい白い手を保持するための手袋は優雅さと真の女性の象徴となった。女性は外出の際、手袋をはめるのがエチケットであった。現代でも礼装には欠かせないものとされている。
手が労働者階級の証というなら、貴族階級の高貴な女性はいっそ、手など切り落としてはどうだろう?
手など使わずとも上げ膳据え膳でお大尽な生活、それこそが正にセレブ女性のあり方ではありませんこと???
ともかくも、ロンググローブに包まれた両手って、ミステリアスですよね。
ところで、この「スチュワーデス物語」ラストに少し違和感があるのだが・・・
先述のWikipediaの記述を改めて抜き出したい。
結婚式をあげる直前になって浩に憎しみからは何も生まれないと諭され、「あなたを憎み続けることに疲れた」「(千秋から)あなたを取り上げる楽しみも無くなっちゃった」と浩への憎悪や千秋への嫉妬に生き甲斐を感じていた自分の愚かさを告白し、浩との婚約を解消する。
ちょっと待って、村沢教官って加害者なんだろ?
加害者のくせして何を上から目線で諭してんの?
最近の言葉でいえば「マンスプレイニング」?
たとえば、池袋で上級国民が母子を轢き殺した件で、被害者参加制度による直接の対面が行われたが、そこで90歳の上級国民が教え諭すように「憎しみからは何も生まれないんだよ」とか遺族に言い出したらどうする?
それと同じだろ?
ほぼ確実に上級国民宅が全焼するだろう。
そして村沢教官の命も真理子の意を受けた殺し屋に(略
さて、せっかくだから「スチュワーデス物語」放映当時(昭和58年)のスーパー戦隊シリーズ出身のメンで決死したいではないか。
当時のスーパー戦隊シリーズというと「科学戦隊ダイナマン」になる。
〽️ダイダイダイダイダイナマン〜
ダイダイダイダイダイナマン〜
爆発 爆発 科学戦隊ダイナマン〜
うん。懐かしい。
ところが、弊喜び組にはダイナマン出身のメンはいない。
その周辺だと昭和57年なら「大戦隊ゴーグルファイブ」、昭和59年なら「超電子バイオマン」。
いずれも完全に「現役」で見ている。
で、そのあたり出身のメンというと、ゴーグルファイブ出身の桃園ミキがいる。
桃園は、弊喜び組に拉致されたために両腕を○○され、好きだった新体操ができなくなってしまった気の毒なメンである。
ともかくも、今回の決死撮影では桃園に出ていただきましょう。
「スチュワーデス物語」の頃の羽田空港から最も変わったのは、京浜急行が羽田空港のアクセス交通機関として機能するようになったと言うことではないだろうか。
ちなみに、「スチュワーデス物語」はまた、京浜急行の羽田線が羽田空港のアクセス交通機関として使えなかった頃の羽田空港駅を移している数少ない媒体なのでもあると言う。
この放映当時の羽田空港は、沖合展開工事の真っ最中であったが、昭和63年に現在のA滑走路が供用開始、平成5年には国内線ターミナルビルが移転して新しくなっている。
そして平成16年には、第二ターミナルが完成し、ANAはそこから発着するようになっている。
そしてまた、バスターミナルは関東各地に発着しており、バスタ新宿すらも凌ぐのではないかという巨大なバスターミナルになっている。
さて、決死するだけしたら、ここから帰ることにいたしましょう…