人生で唯一、本気で自殺を考えた時

竹内結子が自殺したという。

自分語りになるが、ここでこれまでの人生で唯一、本気で自殺を考えた時のこと。

池袋の駅で西武秩父行きの特急の空席表示を見るたびに、人生で唯一、本気で自殺を考えた頃を思い出す。
決死モデル:チームPユウリ未来戦隊タイムレンジャー出身)

まだヒラだった頃で、研究開発系の部署から本社管理部門に異動になった。 確かにそこは出世コースだった。しかし当時は「研究開発で通用しないと烙印を押されたのだ」というショックが大きかった。 事実、研究が苦手な脳筋系の同期や先輩は、こうした管理系の部署で残業をい厭わず出世していった。

そのような挫折感のまま、事務的な「文系仕事」を深夜までやらされた結果、精神を病んでいった。
また、「良い(上下)関係が成り立っていればパワハラも許容できるはずだ」といわんばかりのカルチャーも鬱を加速させていった。

今思えば大した話でもないが、当時まだ伝説の欠損系SNS「MOON BASE」があり、チャット大会をやろうということになった。それが「21時からやりましょう」と言うのだ。 そんな時間はまだ仕事している。
この当時、自分ではそんな周囲や世間を「沙婆」と呼んでいた。

毎朝出勤する度に西武池袋駅で見る特急の「西武秩父 空席」を見て、どれほど乗りたいと思ったことか…. 夏の蒸し暑さと共に、あの電光表示を思い出す。

結局、年明けに精神科を受診することにした。 医師は「ではまた来週来て下さい」と言う。しかし自分には明日も仕事があるのだ。
「来週じゃないんですよ!僕は明日どうしたらいいか分からないんです!」

上司にもメールを打った。
「このまま迷惑をかけ続けられない。別に遺書書いて靴揃えて首吊ることはないと思うが、いつ電車に飛び込まないとも限らない。自殺しちゃったらごめんなさい」
よほど慌てたらしく、課長と上司が家まで来た。

いわく、「マカがそんなに無能だとは思っていない。できることをすればいいんだ。この部署はもう今年で終わりにしてやる」
結局、さんざん医療費を使った挙句、1年間でエリートコースは外してもらうことに。

今思えば、自殺を考えたこともある程厳しい職場ではあったが、当時の上司を恨むこともない。
あの頃の教えが今に生きて「手の抜き所」を会得した面もあるので、いちがいに無駄な時間であったとは思わない。

余談ながら現在の放浪癖は、あの時のブラック部署から解放された解放感と、貯まりに貯まった残業代で近鉄特急に乗ってGWに大阪に旅行したのが最初かも知れない。

 

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