第430回水泳 ~給料日の毒殺~

公務員さんは夏のボーナスだそうで・・・

消費税10%になろうとしている時にボーナス増加とは何事か・・・ という気もしなくはないが、そもそも法人税を大企業が何のかんのと理由を付けて払い渋っている穴を消費税で埋めよう、というだけである。
文句があるなら経団連に言った方がまだ筋が通っていると思う。
経団連の会長は「痛みを分かち合いたい」みたいなことを抜かしてたはず。
結局、そのようにしてただ単に痛みを押し付けたいだけなのである。
そして、それに対して下々は何の文句も言おうとしない(少なくとも、労働組合に結集して勝ち取ろう、という志向には至っていない)。

・・・というのはともかく、今回のプールはダークツーリズムも兼ね、「日本初の青酸カリ毒殺事件」の跡を追ってみたいと思う。

それは今を去ること84年前の昭和10年11月21日のこと。
浅草雷門前の明治製菓喫茶部で、浅草橋駅に近い柳北小学校の校長が毒殺され、職員の給料3335円48銭を持ち逃げされたという事件が発生した。

ただし、その犯人は翌22日の朝刊が出る頃には既に捕まり、三面記事のトップに躍り出ていた。

それは浅草六区の近くの運動靴屋さんで、校長の勤めていた小学校にも出入りしていた26歳の青年であり、事件発生からものの12時間後の夜11時、なじみの連れ込み旅館に立ち寄った所をお縄になったのだという。

発覚からたったの12時間でなぜ逮捕に至ったか。
それは、この犯人が犯罪を企てたのは初めてではなかったからである。

犯人の運動靴店の近くの小学校の教員の身分証を偽造して借金をしようと思ったら失敗し、それを教員が咎めたら「これを世間にバラしたら承知しないぞ」と脅迫されたということをある巡査があらかじめ知っており、この毒殺事件の発生時に「もしかしたらあいつか?」とひらめいたのだという。

ただ、このような捜査方法は、この場合上手くいったからよかったとして、「疑わしい」だけで数多くの誤認逮捕も生んでいたのではないだろうか。
どのような事例にも敷衍できる一般的な捜査方法ではないのは確かであろう。

さて、同期としてはお定まりで「遊ぶ金欲しさ」であった。
元々、犯人はそれなりに学校の成績は優秀で、大正10年に開校した府立第七中学校の一期生として入学している。この府立七中は後に学制改革で東京都立墨田川高校となり、王貞治も受験して不合格となり滑り止めで早稲田実業に行ったという逸話もある名門校である(「濹東を歩く」(2019.6.8)も参照)。

それが次第に遊里の味を覚えて入り浸ったのがすべての始まりだった。

そしてその日の夕刊。
あくまで夕刊である。

この時に、浅草での事件発生を伝えているのだが、なんだか時系列が違くないか?
だって朝刊で犯人逮捕を伝えてるのに・・・

このような事は、他の事件でも割とよくあることで、何で朝刊で事件の進展を伝えてるのに、夕刊では事件の発生を伝える? というようなことはよく見ることができた。
これは何でなんだろう。

ともあれ、経緯としては、柳北小学校の校長が給料日である21日、部下である教職員49名に渡すべき給与3,353円33銭を浅草区役所から受け取って、風呂敷包に入れて小学校への道を急いでいた。

それに先立って、区役所に行った時に電話があった。
「柳北校の校長先生、お電話が入ってますが」
「私に?」

「・・・お電話代わりました」
「私は別の学校にいた時に生徒としてお世話になったものです。ひとめ先生にお会いしたくてお電話を差し上げました」
「私は忙しいのだが、今でなければいけないのかね?」
「5分で結構なんです。どうかお話を聞いてください」
「ではきっかり5分だよ」
「ありがとうございます!」
「では明治製菓にしよう」

果たして犯人と校長は明治製菓の喫茶部で落ち合った。
2人は紅茶を頼んだが、校長は「少し苦い。色が変だな」と言う。
「それは大変ですね。ボーイを呼んで捨てさせましょう」

「おーい!これは腐ってるみたいだぞ!取り替えてくれ」
そんなことを言っている間に校長は「うーむ!」と唸って倒れてしまった。

そして店の人が解放する間に、犯人は行方をくらましてしまった、ということであった。

昭和22年まで存在した浅草区の区役所は、現在浅草六区の浅草公会堂となっている。
つくばエクスプレスの浅草駅から降りるのが最も近いが、それにしても「浅草駅」を名乗るのはやめてほしい。銀座線や東武の浅草駅とはかなり違う場所にある。
いっそ「浅草六区駅」としてはどうかと思うのだが。

さて、それはともかく、ここで給料を受け取った校長は、六区の盛り場を南へ歩いて行ったはずである。
49人分の月給と言えばかなりの額。緊張しながら歩いていたのではないだろうか。

そして、明治製菓の喫茶部というのは現在の雷門前の浅草文化観光センターとなる。
決死モデル:トルソーさんラ・バルバ・デ

向こうにはアサヒビールのウンコタワーや、東京スカイツリーも望めるが、あいにく今日は梅雨空で視界が悪い。

一度入ってみようか。
内部は外国人観光客が多い。さすがは国際的観光地・浅草である。

1階は各国語でパンフレットが置かれており、案内員がひっきりなしに案内している。
そして2階に上がると、立ち席のスマホ充電スペースがある。

ここからだと雷門も見える。
84年前、この風景の中で犯罪は敢行されたということになる。

今や当時のボーイや女給も16歳だとしても今年100歳。目撃者や関係者の存命の可能性はかなり薄いのではないだろうか。

さて、ここからプールへ行くことにする。
都営浅草線でも浅草から蔵前、浅草橋と2駅分乗ることになる。
当時であれば都電に乗ったであろうか。
ちょうど、22番がこの通りを日本橋〜南千住を結んでいたようである。

さて、ついぞ校長がたどり着くことのできなかった柳北校は、2001年に統合されて現在は閉校している。
しかし、大正15年に震災復興建築として建てられた校舎は現存しており、体育館の跡に「柳北スポーツセンター」がオープンしている。
決死モデル:チームRハナ

今日はここのプールで泳ぐことにしたい。ここのプールは夏季のみの営業である。
とはいえ開館は12時30分とのことで、しばらく待つことに。

その後開館して入ったが、何だってまたプールのある3階まで階段を上らないといけないのか・・・
そして、プールは4階ときている。

更衣室からプールまでの時間のロスは、表定速度の計測の上でも痛い。
しかしどうにか泳ぐことにする。

水温が多少冷たいが、貸し切り状態なので例の機械的泳法で泳ぐことにした。
しかし10日以上空いたせいか体力が鈍っており、それほど「機械的」仁は泳ぐことができなかった。

都合、0.7kmを24分で泳ぎ、表定時速は1.75km/hとなった。

 

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