新しいバス駅のカタチ

3月23日に山田線の震災区間が三陸鉄道中リアス線として開業。

となれば行かずばなるまい。
ということで切符を買ってしまった・・・

切符自体は昨日献血に行った時に秋葉原駅で買ったんだけど。
東京都区内からBRT盛という、まるで往年の国鉄の「東京都区内~(自)磐城角田」とか「東京都区内~(自)瀬戸記念橋」みたいな切符となってしまった。一応これは「みどりの券売機」でも購入可能。
ところで、前回の「久宝寺~夕張」の切符は、JR野江駅の自動券売機では買えなかった。あれはどういうことだったんだ?
決死モデル:チームR持田

まあそんな愚痴はいいとして、今日も今日とて「はやぶさ55号」の中の人となる。
このはやぶさ55号は土日だけの臨時便のようで、仙台行きとなる。
つまり、大宮を出るともう終点の仙台ということ。

車内では色々やりたいことがあったのだが、最近の寝不足が祟り、いつの間にか車窓を眺めると長町を通過している。
こりゃやばいと降りる準備。

ということで仙台到着。
仙台駅には、仙台駅伝統の大時計を模したキャラクターがいる。
これは何だろう? ・・・ と思ったら、新幹線開業前の仙台駅の大時計を模した「トキムネくん」だそうな。
決死モデル:チームPさくら

仙台駅開業前の仙台駅は、昭和24~47年まであった。
仙台市電の写真には必ず出てくる駅舎の時計である。
つまり、井上ひさし「青葉繁れる」の主人公や、昭和39年の誘拐殺人事件を起こした大部屋俳優や、広域指定106号事件の少年犯人も知っているあの駅舎である。
その大時計は、八木山にある宮城県中央児童館に移設されたのだという。
新幹線開業前の駅舎がそれだけ親しまれていたという証左であろう。

さて、この仙台駅の2番線から小牛田行きのE721系に乗ることにしたい。

松島海岸を過ぎると、雨は雪になって行った。
沿線の田園地帯も雪化粧となっている。

そして小牛田に到着。
決死モデル:チームY間宮

同じホームで乗り換えることができるのは陸羽東線の古川や新庄方面だけ。
一ノ関行きや石巻行きは跨線橋を渡って別のホームから乗り換えることになる。
当然、柳津行きも跨線橋を渡ることになる。

小牛田から柳津に直接行く列車は、1日4本だけとなり、その中の1本が今回乗る列車ということになる。
柳津行きは1両だけのキハ110となる。

ベタ雪の中を、単行のキハ110は穀倉地帯を疾走する。

前谷地から気仙沼線に入り、陸前豊里あたりを過ぎると、雪は雨になっていく。どんどん三陸海岸に近づいていくことを感じさせる。
ところで、陸前豊里に交換設備があるというのはどういうことだろう? 1日4往復しかない仁であれば途中駅に交換設備など必要ないのではないか? と思ったが、実は4往復というのはあくまで小牛田からの直通であり、前谷地~柳津の区間運転はそれなりの本数あるようであった。

ちなみに、気仙沼線BRTは前谷地まで通ってはいるが、柳津~前谷地はノンストップであり、陸前豊里の住民は結局鉄道利用、ということになる。

ともかくも昭和52年の気仙沼線全通以前の終端駅に戻ってしまった柳津駅に到着。
決死モデル:チームTヤギー

柳津駅の列車ホームは棒線駅になってしまっている。
しかし、BRTのホームまではノンステップで移動できるように工夫されている。
このくらいでもしないと、震災以降のBRT転換に南三陸町や本吉町といった地元は納得してくれなかっただろう。

柳津のBRTホームは列車とノンステップで乗り換えできるだけではなく、建屋も付いている。
まるで白棚線の磐城金山のようなバス駅としての充実ぶりである。

そして薄暮の中をBRTは出発する。
基本的に、BRTは専用道を走る、しかしところどころ交換所があり、しんごうがある。どうやら駅間1閉塞というわけではなく、駅の間でも交換自体はできるようである。

そして暗くなるかならないかの時間に、志津川に到着。
ここが、東日本大震災で女性職員の「天使の声」で有名となった南三陸町の中心地である。
志津川はまだまだ復興半ばで、鉄建公団情緒あふれる駅からバス駅となってしまった志津川駅も震災8年が経過した今でもプレハブのままである。
この話は、思い出すだに涙、涙しかない。

湿っぽさを払拭するためにはオタクらしくバス駅の話をすることである。

この気仙沼線BRT、志津川の他にはバス駅は本吉にある。
本吉駅は、志津川以上に鉄道駅の面影を残したバス駅であり、なおかつ3分停車の予定のはずだったが、志津川町内では一般道を走り遅れていたので、すぐに出発することとなった。

そして峠を越え、ロードサイド型の店舗が広がると気仙沼の市街になる。

そして気仙沼に到着。
気仙沼は、もはや志津川方面も大船渡方面もBRTであり、鉄道駅としては終端駅になってしまっている。それも宮城県側から入ることができない。まるで滇越鐵路のように、岩手県側からしか鉄道で入ることはできないのだ。
決死モデル:チームR小沢

駅舎内の待ち客は、19:36の一ノ関行きの客が殆どのようであった。それもそうだろう。気仙沼から新幹線で東京方面へ行くとなれば一ノ関乗り換えが一般的である。
こちらは19:20の盛行きであるが、大して人数がいるわけではない。

盛行きのバスが、LEDの方向幕で「さかり」とひらがなで書いているのは、国鉄の急行「むろね」時代からの盛鉄局の伝統であろうか。

そして闇夜の中を、BRT専用道を行く。

県境を越え岩手県に入っても雪はまだ降り続けていた。

そして陸前高田市に入り陸前高田駅へ。
とは言っても、2017年に訪れた駅ではなく、あの時の「まちなか陸前高田駅」の場所に移っている。

その移転新築された陸前高田駅は、鉄道時代の駅舎を模したものとなっている。窓口も日中は営業しているようである。
とにかく、JRの「鉄道のままの方が良かった」とは言わせたくないという心意気が伝わってくるようである。

ただ、その心意気も未来永劫続くかどうかは定かではない。
BRTに慣れてくると、そのうち駅の窓口営業はもうやりませんということになるかもしれないし、専用線の維持もしなくなるかもしれない。

そして陸前高田市から大船渡市へ。
大船渡の市街地に入り、大船渡駅に到着。
「大船渡駅」とは言っても駅舎があるわけではなく、ただ単に上下線方面に屋根が付いているだけ。

そして盛駅に到着。
盛駅はJR東日本と三陸鉄道と岩手開発鉄道が乗り入れるという、一大鉄道ターミナルとなっている。
ただし、岩手開発鉄道はとっくに旅客営業をやめている(ただし旅客駅の駅舎はいまだに残っている。撤去するのが面倒なだけだろう)し、JR東日本はもはや鉄道は来ないので、つまりJRの盛駅は「バス駅」なのである。
これはもはや、草津温泉駅に比肩する「一大バス駅」ということができるだろう。
決死モデル:チームTアンヌ

ところでこの盛駅、ちょっと夕食でも・・・ と思ったが、全然コンビニが見当たらない。
結局は大船渡駅以下の単なる交通の結節点ということなのか・・・。

さて、三陸鉄道の盛駅に行きましょう。

盛駅は、JR(BRT)と三陸鉄道で別棟の駅舎となっている。
三陸鉄道の切符は、まるで食券販売機のような券売機で売っている。
ただし、1日乗車券や途中下車可能な乗車券は窓口で昼までに買ってください、ということになっているようだ。
子の券売機で売ることはできないのだろうか。いくら熱転写式とは言っても、2日ぐらいは持つだろうに・・・

さて、それはそれとして三陸鉄道のホームへ。
別に駅舎と三陸鉄道のホームを隔てるのはBRTだけなので、構内踏切だけでもいいような気もするのだが、律義に跨線橋を渡ることになる。

三陸鉄道は1両編成。
21:02に釜石に向けて出発。

あとはもう闇夜の中を釜石に行くだけである。

途中、三陸で対向列車待ち合わせのため3分停車がある。
決死モデル:チームP芳香ちゃん

「三陸」とはまた大きな駅名のような気もするが、昭和31年の「昭和の大合併」時に越喜来おっきらい村・綾里村・吉浜村が合併して三陸村が発足し、これが昭和42年に町制し「三陸町」となったものである。
しかしそれも平成13年に大船渡市に合併されてしまった。

三陸駅は日本鉄建公団により昭和48年、盛線の駅として開業したがこの時点で「三陸町」が発足しており「越喜来おっきらい駅」になることはなかったであろう。

それはともかく、三陸町内の駅を過ぎるといよいよ釜石市に入ることになる。

そして釜石駅に到着。

従来の釜石駅は、1・2番線が釜石線方面(遠野・釜石方面)、3・4番線が山田線方面(大槌・宮古方面)、5番線が三陸鉄道であったところ、中リアス線まで全通した現在となっては、三陸鉄道は大手を振って3・4番線を使えるのか・・・と思ったら、結局到着したホームは離れ小島である5番線であった。
いっそのこと5番線なんてなくして、3・4番線を三陸鉄道で使ってしまえばいいのに・・・ というわけにはいかないのだろうか。

ともあれ、今日はここまででおしまい。

ところで、本エントリのタイトルが「新しいバス駅のカタチ」になってるのは、明日でgeocitiesが終わってしまい、「八木橋裕子の物語」も雲散霧消してしまうからである。
どうなるヤギー!?

 

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