昭和8年「我が代表堂々退場す」の時は、中華民国は満州非承認の急先鋒であり、なおかつ中国大陸では局地的な戦闘が勃発していたとは言うものの、全面的な戦争に至っているというわけではなかった。
その舞台となった盧溝橋の歴史は非常に古いく、金代の1192年に完成している。
そして13世紀に「東方見聞録」をものしたマルコ・ポーロは、この盧溝橋を「世界中どこを探しても匹敵するものがないほどの見事さ」と表現したというほどの橋である。
爾来七百幾星霜、科挙に赴く受験生が渡ったかもしれないし、宦官が渡ったかもしれない。
そして元代、明代、清代ときて中華民国の時代となり、中国も外圧という形ではあり、非常な痛みを伴いつつも近代国家の道を歩んでいくことになる。
中華民国になって26年目、すなわち民国26年7月7日の晩、謎の発砲が起きる。
日本軍はこれを中国兵の仕業であると難詰した。
このいざこざは思いのほか大規模な戦闘に発展することになった。
これが日中戦争の始まりである。