かつては国鉄バスの一大根拠地であった能登半島をバスで一周してみようと思う。
金沢~能登飯田夜間急行バス記念券?
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ということで、事前に千代田区の図書館で岩波写真文庫「石川県」「能登」をインプット。
昭和30年代前半の日本の事が紹介されている素晴らしい本である。
昭和30年当時、能登半島の鉄道と言えば穴水までしか開業していなかった。
昭和34年に鵜川まで開業、その後部分開業を繰り返し、蛸島まで全通したのは昭和39年という比較的新しい路線であった。
(決モ:チームTフジアキ)
ちなみに真冬の北陸へ行くので衣装も黒ストである。
さて、九段にある図書館から夜行バスに乗るにあたり、車内で食べる酒やつまみを買いたい・・・ ということで神保町の成城石井に行こうと思ったら、ほとんど神保町というロケーション。
結局、そのまま淡路町まで歩くことにした。
そして淡路町から丸ノ内線で東京駅へ。
東京駅からはグランドリーム金沢に乗ることにする。
(決モ:チームPさくら)
・・・が、成城石井で買ったウォッシュチーズが、結構アンモニア臭がひどく、バスの中で食べるにはちょっと不適切な感じがしたので、休憩の上里PAで捨てることにした。
高いチーズを奮発して買ったのに、つくづくもったいないことをした。
さて、酒を飲むだけ飲んだら、後は一路北陸を目指すことにする。
そして翌朝6時頃、富山駅に到着。
(決モ:トルソーさんのメア)
さすが富山は北陸だけに、大阪行きの阪急バスの便もある。
ところで、富山県というのは東京志向が強いらしく、北陸の朝日新聞は大阪本社が出していたところ、富山県だけ東京本社にしてもらったという程なのだそうな。
確かに、高校の進学実績でも、高岡高校や富山中部高校は公立高校の中では東大の進学実績がすごい。
都合よく循環線が来なかったので、とりあえず丸の内までは大学前行きに乗ることにする。
地鉄のバスは都営バスに似たような色合いだし、市内線の車輌は都電8000系にクリソツで、やはり東京志向の強さが見て取れる。
〽なんでなんでなんで~ どしてどしてどうして そんなに東京がいいんだろう~ 僕は泣いちっち 横向いて泣いちっち ・・・ って、そりゃ田舎は閉鎖的ですからね。固定した人間関係でカーストに気を使いながら生きるより東京の方がいいでしょうよ・・・ って、富山はやたら閉鎖的だとよく出身者が言っていた。
そんなところも東京志向に輪をかけることになるのだろうか?
・・・まあいいや。旅行に来てまで富山disは。
ここから2009年に開業した環状線に乗り換えることになる。
環状線は丸の内→西町の一方通行である。
富山は閉鎖的のようであるが、鉄道交通は元気なので素晴らしい。
環状線開業を機に新製された「セントラム」9000系で一方通行の環状線を行く。
そして西町でいったんセントラムを降りる。
西町は「にしちょう」と読むのだそうな。
(決モ:チームP芳香ちゃん)
さて、ここからは南富山駅を目指しましょう。
南富山までは結構距離があり、富山の市街地がいかに広いかを思い知らせてくれる。
地方都市の路面電車でここまで距離が長いのは、後は熊本市電の健軍町ぐらいのものではないだろうか。
兎も角も南富山に到着。
南富山は市内線の車庫もある富山地鉄の一大拠点で、研修センターもあるという。
(決モ:トルソーさんのファラキャ)
・・・と、西武レッドアローとセントラムのご対面がうまく撮れた。
昔であれば高山本線の方に笹津線というのが出ており、もっと賑やかであっただろう。
10年以上前、MOON BASEが盛んだった頃に富山在住のdevotee兼鉄ヲタの人と南富山まで来たが、笹津線で使っていた5000系を除雪用に置いていた。
今でも使っているだろうか・・・?
とりあえずいったん富山駅に戻り新幹線ホームへ。
(決モ:チームPメイ)
高岡に行くのに、別に新幹線など使うまでもなく、あいの風とやま鉄道で十分という気もするが、ただ単に新高岡駅を使ってみたいというだけの事。
新幹線であれば、富山から新高岡はたったの8分である。
在来線(あいの風とやま鉄道)でも20分強という距離である。
果たして新高岡に到着。
新花巻と同じで、在来線のホームは棒線駅になっている。
(決モ:チームR持田)
駅周辺は、「新」の付く駅の例にならい、何もない。
ただ、近くにイオンはあるようで、一定の旅客需要はあるようである。
ここから城端線に乗ることにする。
大湊線と違い、一応新高岡で北陸新幹線に接続しているので、JRの離れ小島路線にはなっていない。
程なくして城端に到着。
北陸特有のボタ雪が降ってきた。
(決モ:チームRハナ)
ところで、衣装のブラウスもかなりボロボロになっていて、着せるのがかわいそうな状態になっているのではないか?
ちょっと帰ったら換装を考えよう。
それでなくてもTRS48の決死撮影のはフィギュア野外撮影史上例を見ない過酷な現場なので・・・
さて、城端線単純往復で、今度は氷見を目指すことにしましょう。
高岡駅が今なおJR西日本の駅でいるのは、支線筋である城端線と氷見線が残っているからである。
少し前までは国鉄情緒の残ったいい駅であったものが、新幹線の開業ですっかり変わってしまった。
ところで、キハ40の意匠が忍者ハットリくんなのは、藤子不二雄が高岡出身だからである。
氷見線と言えば貨物専用であった新湊駅なんかは今でも残っているのだろうか。
時間があれば確認してみたかったが、今回は能登半島への旅を急ぐことにする。
ちなみに、藤子不二雄Aの方は氷見出身で、高校だけ高岡高校だったようである。
Wikipediaによれば、そのほかに氷見市出身の有名人は、京大アメフトの東海辰弥(東海由紀子の旦那)もだそうで、高校はもちろん高岡高校、京大へはアメフトやりたさに一番入りやすい農学部に入ったのだそうな。
京大農学部は工学部と一緒で二次試験に国語が無かったんだっけか・・・?
ちなみに、理学部とか医学部だと国語も二次試験まであって、古文は出ないけど森鴎外や泉鏡花のような明治文語文が出ていたはずである。
京大受験してみたかったな・・・
さて、そんな話はともかく氷見からバスで能登半島を目指すことにしたい。
氷見駅前にはバス停は無く、少し歩いた所に「氷見駅口」というバス停がある。
ここから「脇」という所に行くバスに乗ることにする。
富山県の私鉄は、戦時合併により全て富山地方鉄道だった時期があった。
これを昭和25年に呉西の鉄道(石動~庄川町の加越線)とバス事業を譲渡されて成立したのが加越能鉄道だったのだそうな。
そしてまた。富山新港開港前、新富山~新湊~高岡まで一貫して富山地鉄だった射水線の新湊以西を昭和34年に譲り受けたのが現在の万葉線である。
もちろん、万葉線は現在加越能鉄道から経営分離され、現在は加越能バスはバス専業となっている。
バスは富山湾を右手に見て走り、県境に近い「脇」という所まで行く。
脇はまだ富山県氷見市であり、ここから七尾駅へ行く北陸鉄道バスが富山県域へ路線を伸ばしていることになる。
(決モ:チームPみく)
脇からのバス運転手は話好きで、どうやら若い頃は東京で働いていたのだが、年を取って石川県に戻ってきたようであった。
「~でーぇー」という石川県の訛りがやはりこの人にもあった。
この界隈は「口能登」というようであるが、言語は金沢に近いようである。
ということで七尾に到着。
JR西日本の七尾線は、この1つ先の和倉温泉までで、その先はのと鉄道ということになるが、列車運行の系統は七尾からになっているようである。
七尾~和倉温泉の普通列車というのは、いわば箱根登山鉄道みたいな、路線と走ってる列車が別会社というやつか。
箱根登山の小田原~箱根湯本だって、1435mmの線路は無くなってるので、事実上小田急のようなものである。というか箱根登山って今は小田急のグループ企業か。
程なくして穴水に到着。
能登半島の鉄道の旅は、本当に短いものになってしまった。
(決モ:チームRナオミ)
能登線専用であった0番線には、急行「のと恋路号」で使っていた車両が今でも残っている。
ほとんど静態保存のような感じで残っているが、保存状態はかなり悪い。
そのうち老朽化で撤去なんてことになるのではないだろうか。
ところでこの穴水駅のある穴水町、大相撲の遠藤関の出身地であるということで、ずいぶん駅前で遠藤推ししている。
ところで、もう少し立派な四股名にならないのだろうか。単に「遠藤」?
穴水からは飯田高校前行きのバスに乗る。
「珠洲市」というのは昭和29年の「昭和の大合併」で珠洲郡飯田町を中心に大合併して発足したから珠洲市というのであって、あくまで町の中心としては「飯田」である。
それで、中心となる高校も石川県立飯田高校ということになる。
さて、能登線なき後のバスはといえば、能登半島の曲がりくねった道を走り、沿線の町々に止まりながらゆっくり珠洲を目指す。
あまりに長い行程なので、途中宇出津で5分ぐらいの小休憩がある。
(決モ:チームPユウリ)
何やら東南アジア系の人が集団でいたが、いわゆる「外国人研修生」というやつだろうか。
ちゃんと給料が出ていればいいが、この制度が「現代の奴隷制度」として根付かなければいいがと思う次第。
こういう制度がないと、日本経済はもはや立ち行かないのだろうか・・・?
そして日も暮れた頃、バスはやっと珠洲市に入り、能登飯田に到着する。
国鉄バスの能登飯田駅は、能登線が開業してもなおJTBの時刻表では「珠洲市の代表駅」であった。
(決死モデル:チームWB嵐山)
能登飯田の近くのショッピングセンターにフードコートがあったので夕食して、後は蛸島の方のリゾートホテルで泊まることに。