国分寺への来意

さて、プールで水泳も終わり、今度は恋ヶ窪駅まで行ってみますか・・・
恋ヶ窪駅と言えば・・・?

「女子鉄アナ」久野知美さんが「恋(駅)ダンス」を踊っていた場所である。

とかく流行りものを軽視する男ども(というか、鉄オタになるような男は流行についていくようにできていない?)と違い、さすが女性は流行りに敏感である。
ところが、久野さんと来たらyoutubeにアップしてすぐに消してしまった。
そして再アップしたら、星野源の唄が入っていないバージョンになっていた。

これはどうやら、公式の方が「営利目的でなければ自由にアップしていただいて構いませんよ」という許諾を出したものの、久野さんの場合、所属するホリプロのアカウントにアップするという、れっきとした「芸能行為」とカウントされたため・・・ と推測する。 “国分寺への来意” の続きを読む

奄美空港とバリアフリーと

奄美空港でこんなことがあったようで・・・

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【義手と義足の昭和史】(5)義足なんか盗んでどうするの?

平野啓一郎「かたちだけの愛」でいう「南千住のセンター」、GIMICOさんが言う「南千住のテーマパーク」であるところの、現在の義肢装具サポートセンターの経営母体である鉄道弘済会は、昭和7年に誕生している。
またJRどころか日本国有鉄道もなく、「鉄道省」というお役所だった時代のこと。 “【義手と義足の昭和史】(5)義足なんか盗んでどうするの?” の続きを読む

保険の更新

梅雨のシーズンですね。

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【義手と義足の昭和史】(4)昭和30年、毛穴まで表現できるようになったんです

義手と義足の昭和史」今回は昭和30年代に入りたい。
とは言っても昭和30年2月20日の記事なので、日本の年度で言えばまだ昭和29年度が続いているというあたりである。 “【義手と義足の昭和史】(4)昭和30年、毛穴まで表現できるようになったんです” の続きを読む

【義手と義足の昭和史】(1)国際的孤立の中で

自分が初めて「義手」を見たのは、かなり幼い頃である。
地元の産業団地のような所で、何かの博覧会をやっていたのである(後年のつくば博を小さくしたようなの)。
つまり昭和54~55年頃。
白い着物を着たおじさんの片手は、金属のフックだった。
つまり傷痍軍人さんだったのだが、これが強烈なインパクトとして残ることになる。

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Livedoor wikiの頃

TRS48が発足して間もない頃、livedoor wikiでホームページを運営していたことがある。
つまりは、ミレニアムの頃の「切り切り国」以来のdevoteeサイトという事。

sgutsさんのビデオのレビューらしきものや、2011年の「切断女の夜」に関する記事は、そこそこ人気を頂いたような気がする。
ただ、リアルバレを恐れておっかなびっくり運営していたこと、 何をやりたいのか自分でも分かっておらず迷走したこと、何よりTRS48にコンテンツ力がないことで、「知っている誰かに見られているのではないか」という被害妄想に駆られるなど、ストレスが増大したことにより、「切断女の夜」に関するコンテンツ以外は全て削除することにしたのだった。

そういう時代もあったということ。

 

昭和29年のロリペド事件

2020年の東京オリンピック・パラリンピックも近づき、障害者スポーツひいては障害者そのものに注目する機運が高まっている。
切断障害もまた、先日の上智大学の切断ヴィーナスのショーなど、「魅せる義足」への転化など、身体の障害に対する世間のパラダイムを変えようとする試みは続いている。
その時は、出演者の方の一人からも、「また来てくださいね」と言っていただき有難く思った。

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パラリンピック陸上日本選手団発表

「福祉ではなく競技である」と言われて久しいパラリンピックではありますが、日本ではまだまだ人材難のようです。

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他山の石以て玉を攻むべし

かれこれミレニアムの頃。

趣味の友人が、何と「おもらしフェチ」だというのだ。
後年の「性癖偏差値」で言えば彼は62。当方の68には及ばないまでも、なかなかの偏差値の高さである。

その友人が言うには、2ちゃんねるで炎上しているDQNがいるというのだ。
2ちゃんねると言えば当時が全盛期で、ネオむぎ茶が西鉄バスジャック事件を起こしてすぐの頃である。

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