12月23日は欠損バーのクリスマスパーティーがあり、ほぼフルメンバー揃うことになる。
【12/23クリスマスパーティ】16時〜、17時45分〜の回にはまだお席ございます☆
残りわずかですのでお早めに!!https://t.co/xgG3pk3FQE— 欠損BAR ブッシュドノエル公式 (@bucheden0el) 2018年12月20日
何しろフルメンバーなので、神田駅に近い場所での開催となる。
どうせ神田での開催ということであれば、いつか行こう行こう思ってた九段の「しょうけい館」(傷痍軍人史料館)にも行ってみようと思う。
今回決死モデルとして傷痍軍人の格好をしてもらうのはチームY楼山。エースの投入である。
ところで、しょうけい館の前(東側)に、やたら味のある日本家屋がある。この建物は空襲にも耐えてこの地に建ち続けていたのではないだろうか。おそらくは向こうの靖国通りを都電が走っているのも見ていたかもしれない。
では中には行ってみることとしましょう。
入場は無料となっており、2階構成となっている。
入ってすぐの場所は、水木しげるに関する資料が展示されている。
昭和30年(1955年)2月に法人化された日本傷痍軍人会の会員数は実に35万人であったという。その中で最も有名だったのは、漫画家の水木しげるではないだろうか。
水木しげるは「ゲゲゲの鬼太郎」で有名となっているが、本名は武良茂といい大正11年(1922年)生まれで昭和17年に20歳で徴兵検査で乙種合格(甲種でなかったのは近眼のため)、その翌年に召集令状が届き鳥取第40連隊に入隊。そしてラバウルに出兵することとなったという。
自伝でもある通り兵役生活ではマイペースな性格もありビンタの嵐であったというが、似顔絵の才能を買われ、可愛がってくれた上官もいたのだという。
そしてニューブリテン島で左腕を負傷し、麻酔なしで切断手術をすることになったのだという。
そしてその後の活躍はNHKの朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」で向井理が演じた通りである。
ただあれも2010年で震災前の話になる。ずいぶん昔になったもので・・・
日本における義肢のはじめは、明治32年(1899年)に大阪に設立された「奥村済世館」であるという。
それをさかのぼる数年前の日清戦争の時点ではすでに「恩賜の義肢」が下賜されている記録が残っているという。
その後の日露戦争でも義肢の需要は増大し、乃木希典将軍自ら「乃木式義手」を考案したとは言うものの、世界的なレベルには遠く及ばなかったと言われている。
また、TRS48のメンも付けるであろう肩義手も展示されている。どこまで可動だったかは定かではないが・・・
1階の主だった展示はここまでで、あとは文献などの資料室があるだけ。
それでは2階に行ってみましょう・・・
2階は、召集令状(赤紙)や千人針から戦争・受傷、そして戦後の傷痍軍人としての生活・・・ という順番に時系列に展示されている。
戦前・戦中と戦後を分ける仕切りの代わりに、野戦病院のジオラマが作られている。
今、憲法9条の改憲論議が勃興しており、9条護憲は現実的でない云々の意見もあるが、一度ここを見学してみてはどうかと思う。
「現実」のためにこのような傷痍軍人をまた何人も作り出すのか。そしてあなた自身が傷痍軍人になる覚悟はあるのか、と。
さて、戦後のコーナーになると、傷痍軍人としての生活のコーナーとなる。
戦後、陸軍省と海軍省が解体され、それぞれ「第一復員省」「第二復員省」となり、それが間もなく合併され「復員庁」となり、これが内務省社会局と共に現在の厚生労働省の母体となっている。
そう考えると、帝国陸軍と帝国海軍の系譜を受け継ぐ組織は厚生労働省である、ということもできるかもしれない。
傷痍軍人として働けなくなったら、軍人恩給に頼るしかない。しかし戦後の情勢はそれすら思うとおりにならなかった。
それを示す、復員庁の地方機関である地方世話局からの葉書も残っているので、あえて全文掲載することととしたい。
拝啓盛夏の候となりました御機嫌如何で御座居ますか 偖て四、五、六月分の御留守宅渡し並給与清算は本月中に到着する様送金の予定でしたが中央より資金の交付がありませんので交付のあり次第(二十一年度予算が成立後交付されると思います)御送付いたしますから予め御諒承下さい普通の常態では資金の交付がないと云う事は有り得ない事で殊に現今の様な生活の苦しい時に於いては尚更中央としては心配して居ると思いますが其れが出来ないのが被占領下の現実の国の姿ですからどうぞ御辛棒下さい
右御連絡いたします
六月十五日
第一復員省と第二復員省が合併し復員庁が発足した正にその当日である昭和21年6月15日のことであると思われるが、「被占領下の現実の国の姿」という一文があまりにも重すぎる。
こういう事であれば、米軍に直接取りに行く考えをする人もいただろうか。
そして、戦後の繁栄の中にあってもなお、戦争の時の苦痛に耐えながら人生を義肢で歩む傷痍軍人の手記などが展示されていた。
また、義足も展示されていたが、サスペンダーのように肩から掛けるような方式のものもあったようである。
いずれも、ソケットが皮膚に遭わず出血することもあったという、技術的にはお粗末なものであったのは確かのようである。
この他、義足置きを作成し片足でも漕げる自転車や、傷痍軍人療養所の駕籠や車いすも展示していた。
さて、見るだけ見たら、欠損バーが始まるまで神田駅前のルノワでブログ書いたり溜まったメールを出したりしながら時間を過ごしますか・・・
メールを書いていると、何やらスマホのアラームがうるさい。
何事かと思ったら既に欠損バー始まってる!?!?!
13時だと思ってたら12時だった。変わっていたのは場所だけではなかった。
急いで会場へ行くことに。
幸い、10分程度の遅れで済ますことができた。
今日は何と琴音ちゃん、ぽわんちゃん、あもりちゃん、桜ちゃん、リブちゃん、LISAさん、こみみちゃんと、7人が総出でお出迎えしてくれる。
全員バーテン姿だった。
割とよく会うMOON BASE時代のガチフェチ伊東さんも来ていてくれた(相互フォローなので名前出してもいいだろう・・・)。
マカ:今日は傷痍軍人の記念館で義手とか義足をいっぱい見てきたよ。
琴音:へぇ~、本当に好きなんですね。
もちろん、大好きだよ!!!
そんなこんなで、1日券を35,000円で買いたかったが、この後も色々用事があり、後ろ髪を引かれる思いで会場を後にしたのだった。