鬱々と収鋲

伊豆諸島南部は高気圧の縁辺にある。
今日一日は晴れか曇りで、波は3mになる所もあるようだ。
最高気温は24℃になるという。

新宿の靖国通りの快活はいつも冷房がきつい。
それで、冷房を切っていたのだが、2時過ぎ、3時過ぎと断続的に起きてしまう。

結局、目が覚めたのは6時半ごろだった。
予定では、6時57分の中央線で行こうと思っていたので、かなりの遅れとなる。
本来は、三鷹市では三鷹事件の記念碑、小金井市では、西武多摩川線の新小金井駅を収鋲したかったところであるが、これでは無理そうである。

昨夜入ってきた北海道支社の生涯学習ニキから「本社にこんなことを言ってやったぜ」のメールは鬱々とさせられる。
確かに、本社の担当課内の調整不足で迷惑を被っているのは確かだろう。
しかしこんな苦情じみたメールを全国から浴び続けることになろうとは、精神的に持つのかどうか。
こんな状況が全国で発生しているから、みんな管理職になりたくないのだ。
事実、責任感というのものに厳しい人に限って、係長にとどまりたがっているという状況になっている。
22−1だって今年も係長伍長)のようだ。24−1だって「軍曹はやだねえ」なんて言っている。生涯学習ニキだって「支店の課長は嫌だ」と言っている。
そのみんなが嫌がることをやっているということを、もっと評価してほしいものだ。

ともかくも、快活を出て朝食とすることとしよう。
今日は松屋にする。
豚カルビ定食なので、結構時間がかかる。

食べ終わり、靖国通りに出るが、やはり新宿の朝と言えばゴミ収集車である。
それと共に、新宿で飲み明かした若者がそれぞれの家路へ急ぐ。
それが土曜日の新宿の朝の風景だ。

そして、新宿駅から中央線に乗ることにするが、特急の行き先は甲府とか松本だけではなく、安房鴨川とか鹿島神宮なんてのもある。さすがは土曜日の新宿だ。

折りよく、中央特快の高尾行きが来たので、それに乗ることにする。
これに乗れば、三鷹には2駅で到着する。

ほどなくして三鷹に到着。
ここから、三鷹電車区のほうに線路沿いに歩いて行く。

いわゆる「電車庫通り」を歩いていると、ちょっとした公園に行き当たる。

ここに、「三鷹事件50年記念碑」がある。
これは、1999年に、JR東日本労働組合によって建立されたものである。

労働組合によって建てられたものであるだけに、共産党がどうたらとか、イデオロギッシュな文言が並ぶ。

撮るだけ撮ったら、暑い日差しの中を武蔵境駅に歩いて行くことにする。
この辺まで来ると、むしろ武蔵境駅の方が近い。

昭和24年に陰惨な「国鉄三大ミステリー」があった所は、今では閑静な住宅地となっている。
ただ、「開成交通」というタクシー会社は、木造モルタルの建物で木の扉で、電話番号は「四五〇三」という自動化前の番号であり、もしかしたら三鷹事件を知っている建物かもしれない。

そして、武蔵境駅に到着。
予定では、徒歩の時間を多めに取っていたので、当初の計画に間に合うことができた。

西武多摩川線のホームに行くと、程なくして是政行きが来る。
今でも残っている101系。
次に降りる新小金井駅の駅舎の位置を考え、一番最後に陣取ることにする。

程なくして出発。
実は西武多摩川線の線路は中央線と繋がっているらしい。なんだかんだ言って大手私鉄なのだ。

多摩川線の電車は高架を降り地平の線路へ。
程なくして新小金井に到着。

1駅だけではあるが結構な人数の客が降りる。
また、武蔵境行きとすれ違う。

新小金井駅は、私鉄にありがちな隅っこに駅舎があり、そこに構内踏切がああるタイプの駅である。
駅舎はそれほど古いわけではない。

そして。小金井市の住宅地の中を東小金井駅へ歩く。
ちょっとした昭和感があり、閑静な住宅地でありながら高齢化は進んでいるのだろう。
街ゆく人も高齢化している。

そして20分も歩かないうちに東小金井駅へ。
よほどこの辺りに住んでる人でなければ利用しないような駅であろう。

そして、中央線の東京行きに乗る。
どうにか座ることができた。だから、三鷹で中央特快の追い越しがあるが、そのままこの電車に乗って行くことにする。

果たして東京に到着。
東京駅では、職場と手話サークルにお土産を買っていくことにする。
今回は「東京いちごホイップラング」というお菓子を買っていくことにする。
手話サークルに対しては、東京ばななの何か変種のようなお菓子を買うことにする。

そして、3・4番線に行くと、京浜東北線が来たので乗ることにする。

浜松町に到着すると、小便小僧はチェックの服を着ていた。

まだ10時にもなっていないが、今日は忘れ物を取りに行かなければいけないので、早めに切符売り場に行くことにする。

乗船券に引き換えた時は「お忘れ物は届いていません」ということだったが、改めて昨日来た電話番号に電話をかけ直すと、担当者の名前を言われたので、その人に確認するとすぐに出てきた。
ということで、忘れ物問題は一件落着。

ということで、船に乗り込むことにする。
今回の寝台は453−12。上段となる。

今日はSNS周りで忙しい。
それもそのはずで、収鋲では色々と回ったので、一々それをにしこくん仕事としてアップすることになる。

そして11時、おがさわら丸は竹芝桟橋を出港する。

こちらは7階のラウンジに陣取ってブログでもつけることにする。

また、東京湾にいる間は、30分おきぐらいににしこくん仕事を投稿していたいので、7階のラウンジに陣取っていることにする。

それで、昼食はここで食べてしまうことにする。
焼きうどん、鮭おにぎり、サラダ、コーンスープ。
鮭おにぎりには梅干しが入っていなくてよかった。

そして、しばらくKindleで、ニーチェの「この人を見よ」を読んでいる。
Twitterで知ったのだが、ニーチェが発狂してから書いた本だということで、目次が「私の賢明である訳」「私の怜悧である訳」「私の良書を書く訳」などと、いかにもな項目になっている。
よくもまあここまで自らを褒め称えることができるものである。
もはや統合失調症で我が社を辞めるに至ったメンヘラできん坊46歳のレベルまで達している。

船のほうは、1時間位で東京湾の真ん中あたりに達したら、電波が通じなくなったので、もうベッドに戻ることにしよう。

そして、しばらくしているうちに寝入ってしまった。
それもそのはずで、昨夜は実質3〜4時間ぐらいしか寝てないのではないだろうか。

その間、村役場の人とどこかの公園の大きな階段で会議をするが色々と責められてしまったり、小笠原高校がなぜか野球で甲子園に出て、石川の星稜高校と対戦したりする夢を見た。

次に目が覚めたら、16時半ぐらいだった。
船はかなり揺れている。ベッドでおとなしくしていた方が良さそうだ。

そして、しばらくiPadにAirDropするなど。

その後、Kindleでダウンロードしたまま読まないままになっていたリーマントラベラー東松寛文氏の「自分の時間の作り方」を読むことにする。

そのうち、18時になったので、夕食に行くことにしよう。
4階のレストランであるが、行列もなく食券を買うことができた。

ということで、もはや恒例になってしまったかき揚げそば。
そして今回納豆を付け加えることにする。
外はまだギリギリ明るい。八丈島の沖合を通過するあたりだろうか。

食べ終わってからも、腹ごなしのためにしばらくソファー席でゆっくりしていることにする。
さっきの「自分の時間の作り方」を読みつつ。
要するに、仕事と旅行の両立をさせ方なのだが、仕事で余分な時間を作らないようにしている工夫が主であった。
この中には、乃公おれ自身が既にやっていることも含まれていた。

結局、18時50分過ぎにベッドに戻ることにする。

ベッドの中では「昭和天皇 最後の侍従日記」を読む。
この本はその名の通り、昭和天皇の最後の侍従であった小林忍の日記である。
昭和天皇の侍従の日記と言えば、入江相政の日記が有名であるが、昭和10年から昭和60年まで続くあれに比べると分量が少ないので、読みやすくはある。

そのうち、寝入ってしまった。
なぜか仕事で使う文章を400字詰め原稿用紙に書き、それをWordで読み込んでOCRするという夢。
こんな簡単なすぎる仕事はやってていいんだろうかという罪悪感を抱えつつ。

再び目が覚めたら、0時半を過ぎていた。
薄暗い4階のロビーで今日の日記をつけることにする。
喉が乾燥して非常に痛い。竹芝桟橋のファミリーマートで買ったスーパーサイダーファイバーを飲みつつ、喉を潤す。

ところで、そのロビーにあった新聞には、カープの大瀬良が本拠地でノーノーを達成したというスポーツ新聞があった。
カープは交流戦が苦手でパ・リーグ専門のスコアラーまで置いたほどだが、相手はロッテであると言う。

後はもう寝ることにする。

今日の決死出演は6名(累計28名)。

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です