笈を背負って出港

今日12月26日はボクシング・デー、聖ステファノの日、スロベニア独立記念日、日本プロ野球誕生の日。

ここからは公開部分。
13時も過ぎたので、さっさと準備をして出なければいけない。
今日は持つ物が多く、冬用の服装、イソジンや鼻うがい、직맹に寄付するパソコン、それにお土産も買わなければいけない。
それで、前もってリストアップしたのだ。

結局、大リックとナップサックを別々に持つようになってしまった。
それに加えて、食料とパソコンを別々に持つわけである。
そして、お土産も買わなければいけない。

結局、社宅いえを出たのは14時半ごろだった。

まずは、まるひに行ってお土産物を買う。
직맹、父母宅、三日月、POWANである。
都合、4つ荷物を持っていくことになる。

二見港に行くと、すでに乗船は始まっており、混雑のピークは過ぎていた。
後は乗船券に引き換えて乗るだけ。

今日のベッドは2等寝台の452番の上。
上なので楽だ。

荷物を置いたら、7階のデッキに出ることにする。
いつものように、子供たちが「元気でねー」と叫ぶ感動的な風景。

そして15時、定時に出航する。

見送りの船からは「良いお年をー!」なんて言ってくる。
やはり季節柄であろう。

一連の感動的な劇場が終わると、7階のデッキのギャラリーたちはそれぞれに自分たちの部屋に戻っていく。

船はそれほどは入れていない。

ベッドに戻り、最近借りた「さよなら、野口健」を読むことにする。
著者は、一時期野口健のマネージャーを務めていたが、現在は袂を分かった人。
登山家としては3.5流と言われ、ネトウヨと化してしまった「自称アルピニスト」の悪口を期待する下世話な興味で読み始めたのだが、丹念に取材された本を見ていると、あの野口健も野口健なりに純粋さがあり、ひたむきさがあり、良心の呵責があったことも見て取れる。

そんなふうにベッドの中で読んでいたら、17時も過ぎている。
夕食のために、7階のラウンジに行くことにしよう。

しかし、船が結構揺れており酔っている。
とても夕食を食べる気にならなかったので、カロリーメイトを食べた位にして戻ることにした。

そういえば、決死するのを忘れていた。
ここは外洋の上で、電波も入らないので、にしこくん仕事もできない。
結局、4階のロビーで決死

後はベッドに戻って、読書の続きをすることにした。

で、本についてなのだが、野口健の事務所というのは、ブラックな労働環境だったようだ。
著者はそれなりに事務処理能力があるだけに、無理難題を頼まれてもどうにかこなしてしまう。そして、そのことが却って周囲を疲弊させてしまう。
しかし、天才的な実行力があるのは確かだったようだ。
また、環境をテーマに活動していることもあってか、小笠原とも接点があるようだった。

読み終えて感じたのは、この本は過度な批判も称賛もせず、つとめて客観的に自身が仕えた野口健を伝えることに心を砕いている。
ただ、スタッフ等々も「この人は、自分がいなければやっていけない」というDVされても離婚できない嫁のような心理に陥っているように思えた。
とかく、野口健は、そういう磁場を持った人物であるのは確かのようだった。
また、調整能力や事務能力の高い著者でありながら、一旦その千葉に取り付かれてしまうと、辞めてては戻りを繰り返し、家族を養うに困るところまで身をやつしてしまうものなのだ。

読み終えたところで、次は何の本を読もうか。
「実録 満鉄調査部」を読むことにしよう。
この本は、前々から持っていて、いつか読破しようと思ったのだが、そのたびに挫折してしまっていた。
満鉄の本とはいっても、鉄道のことを書いた本ではなく、むしろ関東軍と植民地支配がどのようにしてなされたかといったあたりに重きが置かれている。鉄道マニアの読む本では決してない。

そのうち、21時になり、4階のレストラン「父島」が解放になったので、そちらのソファー席でハイボールでも飲みながら、遅い夕食を食べながら読むことにする。

・満鉄調査部には、日本で「アカ」として目をつけられていた人物も次々と入社して活躍したようだ。満鉄にはそのような風土があったのだと言う。
・その満鉄の基礎を作ったのは、初代総裁の後藤新平。たった2年の在職期間で、その後の満鉄を形作るものを決定的に作ったのだという。まるで9ヶ月しか在職しなかった札幌農学校のクラークのように。
・その前に後藤新平は台湾民政長官の任にあったわけだが、その時にモットーとしたのは「旧慣尊重」であったという。いきなり日本の色に染めるということをしなかったわけだ。これは現代でも、いろいろなところで応用できると思う。組織を率いる立場になった時、誰かを教える立場になった時、上から押し付けるのではなく、その人その人の特徴を見て、そこに合わせていくのだ。
・そもそも、なぜ満鉄が国鉄ではなく株式会社なのかというと、それは国鉄であることがポーツマス条約に反することだったからだという。それでも、総裁が政府任命であったり「国策会社」であることには間違いはなかった。

ベッドで読んでいるうちにそのまま寝てしまった。

ここまでの決死出演は2名(累計19名)。

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