いよいよ「いってらっしゃい」

小笠原諸島Bonin islandsは高気圧に覆われている。
今日1日は晴れか曇りだという。
最高気温は28℃になるという。

母島の民宿で目が覚めたのは6時過ぎ。
常務はすでに起きている。
今日がPOWANの小笠原Bonin islands旅行の最終日なのだ。

こちらはといえば朝っぱらからChatGPTで障害女子の生成。
もはや中毒(n回目

そして瞬く間に時間は溶け、7時半になったので朝食。

朝食はごく一般的な洋食の朝食。
パンをふんだんに食べれたのはよかった。
ぽわんちゃんはヨーグルトなど乳酸菌系は食べれないとか。

さて、この先を何しましょうということで、9時からは都道最南端、その後鍾乳洞で11時から大漁寿司で昼食、そしてははじま丸で帰るということにしよう。

そして9時前、食堂に集まる。

そしていよいよ有償運送で都道最南端に行ってもらうことにする。
6人が乗れるワゴン車がちょうど予約することができた。

都道最南端などとはいっても、たいした距離ではない。
10分もせずに到着した。

ここでは、記念写真を撮ったくらいにして引き返すことにする。

ついでに、決死撮影もしていたら、伊東さんが「後ろの小学生たちが不思議そうに見てたよ」と。
そりゃまた失礼しましたっと。

後はもう、引き返すことにする。
これまた10分ぐらいで漁協の売店の前に着いてしまったので、結局9時40分過ぎにはもう着いてしまったと言うことになる。

母島Hillsborough islandでは、漁協の売店が1番大規模な店なので、ここでしばし買い物。

次は、すぐ近くの清見ヶ岡鍾乳洞に行くことにする。

そのためには、観光協会に行ってヘルメットを借りなければいけないと言うので、一旦港観光協会に行くことにする。
そしてヘルメットを借りて鍾乳洞に行くことにする。

その鍾乳洞は、仏教寺院の裏手にあるようだった。
考えてみれば、父島Peel islandには仏教寺院は無い。

そしてみんなで鍾乳洞に入ってみる、一般的にイメージする鍾乳洞のように、水の滴り落ちていると言うわけではなく、乾燥している。
なおかつ、ガジュマルの根っこが鍾乳石を突き破って根を張っているのだ。

ただし、鍾乳洞見物としてはこれで終わってしまった。
ヘルメットを返しがてら、また港の観光協会に行くことにする。

これで、11時に昼食を食べるしかやる事はなくなってしまったが、大漁寿司で本当に良いだろうか。
港に貼ってあった広告を見て、ぽわんちゃんが「この88という方がいいんじゃない?」と言う。
確かに、こちらであれば10時からっているので、既に店はっているのだ。

ということで、みんなで88カフェ。
ガパオライスやタコライスなどそれぞれ頼む。
いよいよ旅もこれで最後だ。

ははじま丸の時間が近づいてきたので、港に行く。

昨日の貸し切り漁船の船頭さんは見送りに来てくれた。
これで、いよいよ母島に別れを告げる時が来たのだ。

そして12時、出航する。

桟橋には、鯉のぼりならぬ鯨のぼりを振った人も見送る。
さすがにおがさわら丸接続便なので見送りも豪勢なのだろう。
ただし、おがさわら丸と違って見送り船は無い。

そして、快調に北上していく。
ありがたいことに、スマホの電波が途切れる事は無い。

父島に近づくと、ハードロックが見える。
これが本当に最後の観光要素であろう。

荷物は1階の座席に置いていたが、ほとんどの時間をデッキで過ごすことになった。

そして14時、父島の二見港に到着。
おがさわら丸の桟橋では、すでに多くの出発客で賑わっていた。

そして14時半ごろから、700番台の客から乗船していく。
そして、500番台のみんなも乗っていく。

ほどなくして、デッキから手を振ってきた。
これでいよいよ終わりなのだ。

そして15時、船は汽笛を鳴らして離岸していく。

「行ってらっしゃーーーーい!」
当事者として声を限りに叫ぶ。

あー、ついに旅は終わってしまったのだ。

見送っていた全ての人たちも、それぞれの日常に帰っていく。

日常と言えば、こちらも1週間ためていた仕事がある。
そちらのほうに取り組まないと、来週もほとんど出張対応で潰れるので、今日やれる事はやってしまわないといけない。

公開部分は、一旦ここで切ることにする。

ここまでの決死出演は4名(累計15名)。

 

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