1923年9月1日に発生した関東大震災から、今日で100年を迎える。
この節目を前に、松野官房長官は「関東大震災の朝鮮人虐殺と言うのは記録にない」などと言っていると言う。
当時の警視庁も、色々と記録を残しているのは明確なのだが、どうしてもこのように言い張らなければいけないと言うのは、ほぼ確実に国内の保守派の反発を恐れてのことをだろう。
まかり間違って「虐殺という歴史があった事は非常に遺憾」なんて言ってしまうと、おそらくは「松野の反日発言」などと言われかねない。
安倍派の集団指導体制15人の1人としては、それは絶対に避けたいだろう。
関東大震災100年という節目なので、公開記事として残しておくことにしたい。
案の定、ネット上では、関東大震災における朝鮮人の虐殺を示す資料が山のように出されている。
これは、都立中央図書館にも、当時の子供たちの作文として残されてもいる。(2019年9月3日のエントリー)
ともかくも、当時の子供たちが共通して朝鮮人に持っていた感覚は「朝鮮人は怖い」ということ。
怖い、だから身を挺して守るしかない。
相互理解がないと、ここまで凶悪な大虐殺すら引き起こしてしまうのだ。
そしてまた、農民一揆で殿様を転覆させたことのない日本人は、団結した強い力の行き先は、強者に向かうという事は全くなく、弱者に向かうのだ。
昨日の池袋、西武のストだってそうだった。
ナショナルセンターを超えてストに連帯しようとした全労連系の組合に、どれだけ冷笑が浴びせられたことか。
おそらく、弱い者がさらに弱い者を叩く日本の庶民の歴史は、また繰り返すのではないだろうか。
そんなことを考えながら、関東大震災100年目の朝の散歩をする。
今日は奥村方面に行くが、福祉センターの向かいには「平和の鐘」がある。
小笠原諸島は戦時中激戦地となったが、ここ父島でも捕虜の人肉食事件が起きている。
福島の処理水放出で、日中関係がさらに悪化しており、国交断絶やら戦争やらを煽り立てる声もある。
残念ながら、日本人はまるで成長していない。
そんなことを考えた朝。
ここまでの決死出演は1名(累計37名)。