小笠原諸島は前線が通過している。
今日1日は曇りで推移するようだ。
最高気温は25℃になるという。
目が覚めたら6時ごろ。
昨夜は、1時ごろに寝たので、なるべく長く寝ておかないと、またメニエールになってしまいそうだ。
とは言え、もう目覚めてしまったので、行動開始することにしよう。
まずは朝食のヨーグルト。
そして、副業ブログをさっさとやってしまうことにする。
昨日、プロ奢られヤーが「結婚して子供を育てない人って何をやるつもりなんですか」なんて言ってたようだが、こと乃公に関しては、やることがいろいろありすぎる。全然金にはならないのだが。
そして、今日もプランクをやることにしよう。
20秒を3セット。これだけでも結構疲れるのだ。
さて、10時も近くなったので、いい加減外に出るなら出ることにしよう。
外は晴れているが、それほど日差しが強いわけではない。
昨日などは、雨の予想だったほどなのだ。
そして、大神山公園の裏から例の四阿に行く道を歩くと、タマナやタコノキなど熱帯植物が生い茂っている。
これこそが小笠原の風景だ。
そして、例の四阿で回顧録を作ることにする。
今日は、2016年2月の上旬となる。四国に行ったり、福井に行ったり、大物が揃っている。
そんなことをしているうちに、11時になったようで、ぽわんちゃんのPocochaの配信が来た。
考えてみれば、Pocochaと言うのは、ただ単に配信するだけのような気がするのだが、いったいどういう言うビジネスモデルなんだろうか。
というか、どこに「金を払う価値」を見出して、このようなビジネスモデルが成り立っているのか。
要するに「若い女の子とを話せる」というのが価値になっていると言うことだろうか。
そのうち、昼になったので、昼食に行くことにしよう。
とはいっても、なにぶんにもおがさわら丸のドック入り期間中でもあり、ほとんどの店がやっていないのである。
しかし、地元向けの五六助弁当はやっていたので、ここで弁当を買うことにする。
噂に聞いた通りの大盛りである。
ただし、「ヤマト運輸が値上げしたので、ご飯の量を減らします」と書いている。
小笠原の物価は、輸送料に左右される。
ところで、2019年に一緒だった人が、北多摩のコンピューターセンターに勤めているのだが、なぜかLINEが入ってくる。
曰く「サーバー落ちたよ」。
いや、そんなこと言われても、どこのサーバーなのかわからないのだが。というか、業務上必要なら業務用のメールで送ってよ。
そう思ったら、今度は職場の一等兵23-2が会社のグループウェアに「専用回線が一時的に落ちた」と書いている。なるほどそのことか。
ただ、その障害は、すぐに治ったので、しばらく様子見とすることにする。
ともかくも、今度は港の近くの屋根のあるベンチで回顧録をつけることにしよう。
こちらのベンチとテーブルの方が、作業はしやすいような気がする。
まるでスターバックスのテーブルと椅子のようだ。
しかし、絶景の中で我ながら何をやってるんだろうと思ってしまう。
周囲では、親子連れが何組かいるだけ。
小さい子供は大泣きしている。
そんな昼下がりの父島。
こちらはと言えば、2016年3月12日の福井旅行から帰ってきたところで疲れ果ててしまう。
やはり、このような作業はある程度までしかできないものだ。
そして、激しい日差しの中を帰宅することにする。
やはり、寝転がったりできる分、社宅の方が過ごしやすくはある。
帰宅して、ぐったりしながら何もしない。
そのうち、だんだん外は暗くなってくる。
せめて、回顧録でもつけようか。
三江線を旅行したときの事は、既に書いてあるのでこれはスキップする。
それで、やっとのことで3月下旬まで突入する。
そのうちに、またぽわんちゃんからPocochaの案内が来た。
聞くことにしよう。
もはや、食事時の一大イベントとなってしまった。
これに加えて、プランクを20秒3セットしながら聴く。
メニューは、いつも通りの非常食のわかめ、ご飯・キャベツ・ツナ缶・スープ。
スープの方だが、すでにトマトスープの方が1箱だけになってしまった。
次におがさわら丸が来るまで。あと10日程度なので一応枯渇する事はないだろう。
そしてまた回顧録へ移行する。
今日は、2016年4月初めまで行くことができた。
そして、風呂に入ることにしよう。
上がったら、23時近くになっていた。
もう寝ることにしよう。
今日の決死出演は4名。
明日はイロハシャッフル。