江戸の仇を長崎で

日本付近は高気圧に覆われている。
五島列島も1日中好天に恵まれる予想となっている。

今回のゴールデンウィークの旅は、1日に1つはダークツーリズムを入れることにしている。
それで、今日もダークツーリズムから始まるのであるが、5月1日の東京のダークツーリズムの伏線をここで回収すると言う形になる。

まずは、東京での事件についておさらいしておくことにしたい。

昭和30年3月5日に東京の銀座で事件が発生し、7月12日に別の男性が誤認逮捕されるに至った。
そして流す23日にこの男性の勾留期限が切れて釈放となり、その後この男性は誤認逮捕であったことが判明する。

では、真犯人はどこへ行ったのかと言うことである。

それは、昭和30年9月27日の長崎民友で報じられている。

東京支社からもたらされたニュースで、3月に銀座で強盗殺人を行った犯人が、長崎県内に潜伏しているのではないかと言うのである。
それが本当だとすればかなり物騒な話ではあるが、この男は、長崎県福江島の出身なのである。

この男の特徴として、身長は5尺5寸5分程度、体重は16貫程度と説明している。
今なら「身長165センチ、体重60キロ」となるところであろうが、当時は尺貫法である。

そして、バタ屋仲間のコメントも紹介されているが、「ズケ」をいくらでも食べることができるのだと言う。
「ズケ」とは、食堂の残飯を煮たお粥であると言う。
想像するだけで身の毛がよだつが、これが昭和30年と言う事だったのであろうか。ただ、見出しにもなる位なので、この当時としても考えられないようなことだったのであろう。

「マーフィーの法則」でもないが、悪い予感ほど当たると言うもの。
2日後の昭和30年9月29日の長崎民友では、その悪い予感は当たってしまったことを報じている。

福江島の隣の奈留島で、商店に強盗殺人が発生したことを報じている。
被害にあったのは、その店を1人で切り盛りしていた53歳の老婆であったと言う。

ちょっと待って。老婆といっても53歳なのか。そしたら個人的な話であるが、自分自身もあと数年で「老爺」になってしまうではないか。
平均寿命も短かったであろう時代、年齢感覚はそんなもんだったと言うことなのだろう。

ともあれ、発見されたのは9月28日の朝7時ごろ、隣に住む大工によってであった。
また、現金70,000円が消えていたと言う。

手口としては、かの銀座の強盗殺人と同じで、頭を割られて殺されていたと言うもの。
同じ犯人と言う線が強かったが、この時点では確定していなかった。

誰が犯人かはともかく、捜査は粛々と続けられていた。
翌9月30日の長民友では、その辺が報じられている。

侵入経路としては、便所の窓だったのではないかと言われている。
便所の窓のところに、りんご箱が積まれていたのだ。

大体にして、このような田舎になると、小金持ちと言えば大体は雑貨商と相場が決まっている。

また、被害者の「53歳の老婆」は、それまでに夫を3回も変えて、年には似合わない若作りをしていたのだと言う。
それで、福江島に住む別れた夫も疑われたのだが、こちらはアリバイが証明されて白となった。

銀座の事件の犯人がどれだけ容疑が濃いかと言うと、この男の妻はこの奈留島出身だと言う点であった。
ただ、こうしてさんざん報道されまくって、警戒も強くなっている五島列島で、そんな大それたことはできるのだろうかと言う事は疑問視されていた。

翌昭和30年10月1日の長崎民友では、奈留島の強盗殺人の容疑者が、ほぼ銀座の事件の容疑者と同じであることを報じている。

それは、奈留島の漁民によって、先日の新聞で報じられた「丈5尺5寸5分、目方16貫」の男が、奈留島で目撃されたことが証言されたのである。

そしてその漁船員に、「今夜の海は荒れているか、向島に渡れるか」と聞いたのだと言う。

はて「向島」とはどの島のことだろうか。
Google マップで検索する限りでは、五島列島に「向島」なる島は無いようだ。
長崎県内に範囲を広げると、諫早の近くにはそのような島があるようだ。
ただ、強盗殺人を犯して逃げる先として、そのようなマイナーな島を選択するものかどうか。

あるいは、持ち主不明の船で福江島に渡ったのではないかと言う見立てもなされていた。

しかし、これだけ大々的に報じられても、犯人が捕まる事はなかった。

犯人逮捕の報が入ったのは、それから1年近くたった昭和31年7月19日の読売新聞である。

どこで捕まったかというと、奄美大島の名瀬である。
沖縄は復帰前であり、パスポート無しで行ける日本の果ても果てだった時代である。

逮捕の端緒としては、農事試験場の裏で喧嘩が発生したのだと言う。
殴られている男を調べてみると、それは前の年の3月に東京の銀座で強盗殺人を犯した男であると言う。
つまりそれはその9月に五島列島の奈留島で強盗殺人を犯した男でもあると言うことである。

そしてまた、なぜ殴られていたかと言うと、飯場に忍び込んで毛布などを盗もうとしたからだと言うのである。
この男も悪運も、ここで尽きたのであった。

しかし、銀座で事件が発生してから1年半近くと言うもの、どのように逃走していたと言うのか。

3月5日の事件を起こし、3月11日には妻子と一緒に長崎に到着していたのだと言う。
そしてここで妻子と別れ、4月は福岡県甘木市や久留米市にいたのだと言う。
そして5月から6月にかけては大分にいて、詐欺事件も起こしたのだと言う。
そして7月には、大胆なことに東京に舞い戻って色を探していたのだと言う。疑われていないと言う確信があったのだろうか。
そして9月には、故郷の五島列島に舞い戻って、奈留島で前述の強盗殺人をやらかした。
そして昭和31年に年が変わり、3月には鹿児島に行ったようである。

それでは、今日は旅の初めからダークツーリズムと言うことになる。

昨夜博多港を出発したフェリーは、上五島の島々を細かく停まっていく。

宇久島が3時55分、小値賀島は4時40分、かなり早い時間となる。
宇久島に至っては、フェリーターミナルに仮眠スペースがあるのだと言う。

小値賀島到着の時点でも、まだ外は全然明るくなっていないが、この時点で大部屋はかなり人がいなくなってしまった。

終点の福江島まで行きたいのであれば、飛行機なり別の交通機関があるわけで、この船の輸送のメインは、こうした上五島の島々と言うことなのであろう。

5時台になり、中通島の青方に到着した頃には、すっかり明るくなっていた。
そしてまた、客室にもほとんど人がいなくなっていた。

ダークツーリズムなので、新聞記事から文章を音声入力でする作業をするが、ほとんど目立たずに作業することができた。

6時台に入り、そろそろなる時も近づいてきたので、朝食とすることとしたい。
朝食は、自動販売機のカレーヌードルである。
カレーヌードルを食べると、なんでこんなに幸せになれるんだろうか。
仕事で徹夜案件をしてた頃も、よくカレーヌードルは食べていた。

さて、船は港に入ろうとしている。
ここで一発、港に入ろうとするところを決死したい。

撮れたには撮れたのだが、なんだかぶれているような気もする。
それで消してしまった。

ではもう一発…と思ったら、消したもの以上に売れたものしか取れない。
それもそのはずで、遠くにいる時より近くにいる方が、相対的には動きは大きいのだ。
さっき消してしまったことを後悔してしまった。

ともかくも、奈留港フェリーターミナルに到着。
置いている時刻表を見ると、福江島方面には1日ろっぽん出ていて、8時25分と言うのもあるらしい。
さっさと行ってくれば、これにも間に合うのではないだろうか。
はっきり言って、奈留島で見たいものといえば、奈留高校にあるユーミンの歌碑ぐらいのものだ。

とは言っても、福江島に早く着いたとして、福江島で見たいものもあるわけではないので、まぁゆっくり行くことにしよう。

港の周辺には、海上タクシーがあったり、廃棄物運搬船があったりする。
島なので、交通のほとんどすべては船なのだ。

ところで奈留高校といえば山の上にあるので、坂道を上って行かなければいけない。
それがなかなか良い坂である。

現在は奈留高校だけではなく、小中学校もこのきつい坂の上にあるようだ。
というか、小中学校を併設しなければならないほど、奈留島も少子化が進んでいると言うことなのだろう。

目指すユーミンの歌碑は、校門を入ってすぐ左側にあった。

碑文の歌詞はユーミン本人によるものらしい。
なるほど、1950年代から60年代生まれの、少しおしゃれに意識のある女性だったら、このような丸い字を書くかもしれない。

ところで、今日はゴールデンウィークの真っ只中であるにもかかわらず、高校生が学校に来ている。
部活動か何かだろうか。

それはともかく、その高校生の一人一人が、こちらに挨拶をしてくるのである。
これは、北海道の赤井川村でも、八丈島の大賀郷でもそうだった。
聞くところによれば、このような事は、防犯の効果ももたらしているらしい。
つまり、自分は怪しい人だと見られていると言うことなのだろう。
なるほど、君たちは正しいよ。

ともかくも、坂を降りてフェリーターミナルに戻ることにする。
ちょうど、若松島へ行くフェリーが出発しようとしていた。

次に福江に行くフェリーは10時50分であり、チケットの発売は10時半からだと言うので、フェリーターミナルでのんびりしていることにしよう。
Wi-Fiは使えるようだが、電源を使っていいと言う雰囲気ではないので、充電はせずおとなしくしていることにしよう。

果たして、少し大きめの高速船がやってきた。
10時半になったので、800円で切符を買って、福江を目指すことにする。

あ、そうそう。奈留島上陸の時点で長崎県五島市は収鋲となる。(収鋲率:長崎県42.9%、全国52.0%)

この「ニューたいよう」、ちょっとしたマス席がある上に電源が取れる。
これはありがたい。

しかしだんだん眠くなってきたので、寝ることに。
目が覚めた頃には、もう福江港に着こうとしていた。

そして桟橋に降りる。
福江と言うのはかなり大都会だ。

さて、これから16時半の長崎行きの船の出港まで何をしていようか。

別にフェリーターミナルでぼんやりしていると言うわけにもいかない。
しかし、弊喜び組の要員がもう園田とスマレしかいないのだ。
昨日消尽し過ぎたかもしれない。

とりあえず、路線バスでどこかに行って往復する感じにしようか。
候補としては、南西の角の「小浦」、西辺の「荒川」、北西の角の「三井楽」、南辺の「富浦」がある。
小浦だと、1番バスに乗っている時間が長いのだが、帰りが16時15分に到着と、かなりタイトになってしまう。
また、三井楽が1番本数が多いのだが、この中では最も人口も多く、なんだか芸がないような気がする。

結局、12時25分に出発し、14時17分に戻ってくる荒川にすることとしよう。

ところで、この計画を練ったときの自分の字が、まるで老人の字になっている。

ともあれ、そうと決めたらまずは腹ごしらえをすることに。
フェリーターミナルの2階の食堂では、五島うどんというのがあるようだ。
五島うどんと言うのは、秋田の稲庭うどんのような細いうどんのようである。
これで肉うどんを1つ平らげる。

ところで、運賃表によれば、荒川までは940円であると言う。
では、1日フリー切符はいくらなのか。
それは1000円であると言う。
だったら買いだ!

買う時に、深刻に言い含められたのは、「バスに乗るときは必ず整理券をとってくださいね」と言うことだった。
フリー切符なのにそんなに深刻なことなのだろうか。
また、五島市の人はこのフリー切符は使えないらしい。JRのジャパンレールパスのような観光目的のものと言うことか。

そしてバス乗り場へ。
この福江港ターミナルが、福江島最大のバスターミナルとなるわけだが、バス乗り場には番号があるわけではなく、1カ所だけとなっている。

12時25分の荒川行きは、数人客を乗せて出発する。

福江の市街地は、かなり大規模であるが、シャッターも多い。
本州の下手な地方都市よりも賑わっているのではないだろうか。

ほどなくして、バスは草原風景を行く。
そして山道となる。

途中「二本楠」と言うバス停で、小休止となる。
ここは、ちょっとしたジャンクションのようである。

ここから先は、バスは坂を下ることとなる。

ほどなくして、海が広がる。
既にもう西海岸なのだ。

そして、終点の荒川に到着。

目の前には入り組んだ海岸線の隙間から海が広がり、バスの待合所には足湯がある。
福江島唯一の温泉となっている。

ここで決死をするが、青空とバスと足湯がうまいことファインダーの中に収まり、おそらくは決死撮影史上最高の会心の写真となったのではないだろうか。

一応タオルを持ってきているので、足湯に入ることにする。
これぞまさに路線バスの旅。
もっと路線バスの旅が流行してもいいのに。

13時35分が来たので、後は単純往復で戻ることに。
この先は何をしようか。
コインランドリーで洗濯をするのも良いのだが、コインランドリーと言うものが福江島にはあまりないようだ。

結局、福江フェリーターミナルに戻ることにした。
お土産売り場では、なさつま揚げが売っている。
お試しセットを買って食べてみると結構うまい。

後はもう体力の限界なので、副業ブログでもつけつつ16時半の長崎行きの船を待つことにする。
副業ブログも今や、音声入力の時代である。
音声入力なしには、もう何もできない。

ところで、長崎行きのジェットホイールは、予約するだけではなくて窓口で乗船券と交換しなければいけないのだと言う。
そのことに4時前に気づいて、窓口で乗船券と交換する。

そしたら、通路側しか空いていないと言う。
それでも良いので、どうにか座席にありついた。
むしろ、通路側の方がトイレに立つには都合が良い。

果たして、ジェットフォイルがやってきた。
聞きしに勝る腰高なスタイルである。
これから1時間45分の間、このジェットフォイルに乗っていくわけだ。

ちなみに、このスマレの決死を以ってハ群馬まで消尽してしまったので以降の決死は無し。

船内はほぼ満員となっている。

ところで、ジェットフォイルの中で放映しているテレビでは、ウクライナ情勢について報じている。
曰く「第三次世界大戦」の「選別センター」だのと穏やかではないことが報じられている。
ウクライナ情勢は一体全体どのようなことになるのか。
というか、このロシアのウクライナ侵攻はどのような形で幕を引くのかだ。
やはり「ポツダム宣言」をプーチンが受け入れるシナリオしかないような気がする。そしてロシアは国家主権を一時的にでも喪失するのだ。

ところで、トイレに行きたくなったので行くことにしよう。
船内はシートベルトが必要であるとは言え、別に飛行機のように離着陸の前のようなトイレに入ってはいけない期間があるわけでは無いようである。

入ってみて驚いた。ウォシュレットがあるのだ。
これはすごい。

トイレから戻って、引き続きテレビを見ていると、ゴールデンウィークも後半になっており、Uターンラッシュも始まっているようだ。

こうやって音声入力でブログをつけていると、まるで自分の脳内にあることをそのまま文字化するような感じになっている。
音声入力を初めて試みた頃は、清瀬に住んでいた頃で、2004年位だっただろうか。
例文を読んで個人の癖をつかむところから始めなければいけなかった。
いかに自分が北奥羽方言が抜けないかということがつくづく分からされた記憶があった。
やはり技術の進歩と言うのは凄いとしか言いようがない。

ジェットフォイルは、途中奈良尾島でいくばくかの客を乗せて長崎へ向けて出発する。
どうやら、長崎→福江→奈良尾→長崎という三角で運行してるようだ。

長崎までの1時間以上は、スマホの電波も入らないので、iPadに入れたPDFで、明日のダークツーリズムの文案を練っていることにしよう。
考えてみれば、これだって「技術の進歩」なのだ。

2008年、全日空の飛行機に乗ってシカゴに行った時は、iPad等というものはなかったので、「熊本県警察史」をプリントアウトして機内で暇つぶしに読んだのがあった。

ところで、スマホの電波が強くなっていく。
それとともに、だんだん陸地が大きく見えてくる。
三菱造船のドックが右手に見え、いよいよ長崎への到着となる。
18時は過ぎたものの、まだまだ外は明るい。
さすがは日本の西の端であると言うべきか。

そして長崎港フェリーターミナルに到着。
夕暮れ時とは言えまだ明るい。
ちょっとここは歩いて大盛りで有名な店に行ってみようか。
それは、長崎駅前にあるのだと言う。

ビュンビュン走る市電やバスを横目に自分は歩いていく。

そして「キッチンえきまえ」へ。
ここではトルコライスの名物であると言うので頼んでみると「時間もらうけんね」と言う。
まぁ別にこちらは日記付けでもしてれば良いので構わないのだが。

そう思って副業ブログでもつけようと思った矢先、トルコライスがやってきた。
想像したほどの時間感覚ではなかったようだ。

そして、聞きしに勝るボリュームのトルコライスを開けて店を出ることに。
ラジオではサカナクションがユーミン特集だと言う。

「ひこうき雲」をやっていたところで店を出る。
外はすっかり暗くなっていた。

さて、ホテルに行こう。
路面電車で大波止へ行って降りる。

大波止の近くのコインランドリーのついたサウナに入ろうと思ったが、どうせ明日バスで帰るので大枚はたいてまでコインランドリーを使うこともないだろう。
それで、新地中華街の近くのホテルに直行することにした。

今回泊まるのはカプセルホテルである。
その事が、今回の予定を難しいものとした。

と言うのは、ハ群まで消尽してしまったら、全員を洗いに出してイロハシャッフルするのだが、今回は個室では無いのだ。
それも洗いは40人全員ときている。

仕方がないので、タオルを買った袋に40人を詰め込んで、共用スペースで大急ぎで洗うことにする。
そしてそれを、カプセルの中で乾かす。

後は、大浴場に入って、日記でもつけることにしよう。

宿代をケチったせいで、なかなかハードなものになってしまった。

ちなみに、今日は沖縄地方が梅雨入りらしい。
早いね。

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