どこで混線した?

今年のゴールデンウィークは、3年ぶりの「行動制限のないゴールデンウィーク」であると言う。
一応、東京で5000人以上が感染した最後はよりもまだ感染者数が多いのだが…

今回のゴールデンウィークは五島列島に行く予定であるが、1日に1つダークツーリズムを入れることにしようと思う。

出発日である今日は、銀座で発生した事件とすることにしたい。

まずは昭和30年3月5日の朝日新聞夕刊から。

この5日の明け方、銀座西7丁目の荒物雑貨商の主人がのようなもので頭を割られて殺されるという事件が発生した。

場所は、銀座の資生堂の裏手であると言う。
7丁目の資生堂なので、かなり新橋に近い方であっただろう。
あの「バー・メッカ」にも近いところである。

本来、自宅が泉岳寺のほうにあったようであるが、主人とその次女が店に泊まっていたようである。
そして、真夜中、物音に気づいたときには賊に入られていたと言うのである。

銀座7丁目は築地警察署の管内であったが、すぐに捜査が開始されることになった。

しかし、犯人は杳として見つからなかった。

この事件のニュースが、再び伝えられるのは、事件から4ヶ月以上が経った昭和30年7月12日の読売新聞である。

有力容疑者が、台東区の上根岸で捕まったと言うのである。
上根岸という事は、山手線の鶯谷駅の近くである。

自称セールスマンであると言うが、容器は否認していた。

ところで、印刷がやたら粗いように思えるが、それもそのはずで、2018年10月25日2018年10月25日にプリントアウトした読売新聞は、このように粗くしか出力できなかったのである。
機械的な不調があったのだろうか。
まさか、こうやってブログにアップされることに気づかれていてわざと粗くされたと言うわけでもあるまい。
事実、それ以降の読売新聞は正常に出力できているのだ。
しかし、ことこの事件に関しては、そのことが幸いすることになった。

現在の犯罪捜査やその報道には、「推定無罪の原則」と言うものがある。
容疑が固まって逮捕されるまでは、その容疑者は「無罪」として扱わなければいけないのだ。

まさか、その「無罪」の人を犯人扱いしてマスコミが大騒ぎするなど、言語道断のことである。
しかし、この昭和30年に発生したこの事件ではそれをいともたやすく破った。
もしかしたら、そんな原則があることすら理解していなかったのではないだろうか。
何しろこの当時の日本は、名実ともに「発展途上国」だったのだ。

そのまま様子場所時、昭和30年7月13日の読売新聞の夕刊では、まだ容疑者という段階のこの男に関してプロフィールを詳細に応じている。

なんでも「昼は紳士、夜はバタ屋」と言う二面性を持っていたらしい。
そして、「パチンコで暮らす都会の寄生虫」とまで断じている。

もっとも、この時代は「愚連隊」が猖獗を極めていた時期である。
学校に入り込んで先生や生徒から金を巻き上げるなど、そんなニュースも頻繁に報じられていたような時期である。
報道しだしたら遠慮はなかったであろう。

その10日後の、昭和30年7月23日の読売新聞。

この逮捕した男は、いくら調べても決め手となる証拠が見つからなかったようで、結局釈放せざるを得なかったようだ。
拘置期限が切れてしまったのだ。

それでも、白か黒かについては、心象的にも微妙な状況であったようだ。
黒である根拠としては、多くの人が証言していると言うことであった。
また、白の根拠としては、足紋や血液型が違うと言う科学捜査によるものであった。
こうしてみると、人の記憶と言うのはいかに曖昧であることか。

別の記事を見てみると、トニー谷の子供の誘拐事件で、子供が無事に帰ってきたことを喜んでいる写真が載っている。
この誘拐事件に関しては、2019年6月1日にダークツーリズムしている。

さて、収まらないのはこの誤認逮捕された男である。
警察やマスコミにしてみれば「では本ボシは誰だ」と、次の真犯人を追っていれば良い。

しかし、マスコミに犯人扱いされて、人生を壊された男性の人生が、元通りになるわけではない。
事実、親族の結婚までが破談になったと言うのだ。
それで、国家賠償まで請求しようと言う話になっていた。

昭和30年7月24日の読売新聞では、その点を報じている。

また、隣の記事では、東京都の職員が酔っ払いの人夫を殴り殺すと言うニュースが載っている。
何分にも発展途上国だった日本では、酔っ払いの人夫なんてろくなものではなかったのだろうが、それにしても虫けらのように殴り殺すとは穏やかではない。

そのまた1ヵ月後の、昭和30年8月11日の読売新聞でも、この銀座の殺人事件について報じている。
というか、殺人事件そのものよりも誤認逮捕の方が後引いていたようだ。

見出しもあろうに「どこで混線した?」
まるで、自分たちの先走った姿勢はまるで不可抗力のものであるかのようなニュアンスである。

ここで論じられているのは「似顔絵が似ていたので仕方がない」と言う事のようであった。
とにかく「自分たちのせいではない」と言うことが言いたいだけの、マスゴミ そのものの記事である。

確かに、前の記事でも、黒とした根拠は、目撃証言しかなかったのである。

事件から1年以上経った昭和31年4月24日の読売新聞では、この件に関して、国家が見舞金を送ることを報じている。

また、法務省はこの件をきっかけに、誤認逮捕された被疑者に対し補償することを法制化する考えでいたようで、近々に国会に法案を提出すると言う構えであった。

しかし、「法律」とはならなかったようで、昭和32年4月12日に、法務省の内部的な訓令である「被疑者補償規程」どうしてるん不完全ながらも結実はしたようである。

しかし、これが2010年に問題になった。
誤認逮捕された少年が、この規定に基づいて支払われた金額は、1日500円相当に過ぎなかったと言うのである。

それでもトゥーンこの事件による5人大ここは、日本の司法制度を1つ動かした事であることには間違いは無いようである。

さて、ダークツーリズムに思うことにする。

表参道からの地下鉄銀座線は、新橋に到着する。
新橋では、昼食を食べることにする。

特段、新橋で何を食べたいと言うこともないので、家系ラーメン店ですた丼を食べることにする。
地元のすた丼と比べて、味が濃すぎる事は無い。

そして銀座7丁目に赴く。
今日の銀座は、休日であるだけに歩行者天国となっていた。

場所特定のベンチマークである銀座の資生堂は、銀座7丁目の当時の位置にあった。
そしてまた、今なお警察の管轄は築地警察署であるようだ。

さて、ダークツーリズムが終わったら、23時の出発までは、一旦帰宅して旅行の準備を整えたい。

雨の中、帰宅はしたものの、やることといえば、オフトゥンでゴロゴロ寝ながら、この記事の新聞記事の解説を書くだけ。

そして日が暮れてきたあたりで風呂に入り、19時過ぎて出発の準備をする。
最近、カメラの調子も悪いので、予備のカメラもリュックに入れておくことにしよう。

そして新京成線に乗ったら、なんとふなっしーのラッピング電車となっていた。
なんでも、ふなっしーがこの世に降誕んして10周年になるらしい。

松戸駅に到着すると、多くの客が写メで撮っていた。

さて、夕食はどこで食べようか。
松戸駅のアトレで豚カツでも食べようか。
結局、千代田線に乗り換えることにした。
そうなると新宿あたりかな。

結局西日暮里で山手線に乗り換え、新宿へ。
夕食は結局桂花ラーメン。
熊本ラーメンなんてかなり久しぶりだ。
久しぶりに食べるとなんだか炭水化物の暴力だ。
麺が博多ラーメンより太いわりに茹で時間が少ないからだろうか。

兎に角もぽわんちゃんの店へ。

ぽわんちゃんの店は今日はれいなちゃんのイベントの日である。
れいなちゃんとは、2017年11月4日にぽわんちゃんと一緒にライブアイドルとして配信出演していた子である。
今度からぽわんちゃんの店で店長をやるのだとか。

今日はこのれいなちゃんの客でやたら賑わっていた。
ともかくも、ぽわんちゃんの店の店長問題が解決してよかったよかった。

そしていつもの22時45分が来たので店を出る。

あとはバスタ新宿を目指すだけ。
途中、ファミマで夜の食料を買い込む。
一応バスタ新宿にもファミマはあるが、あまりに混んでるのと、売店の延長なので品揃えが少なすぎるのだ。
あの店は「最後の最後」で取る手段である。

ともかくもバスタ新宿へ。

23時半発の大阪行き「ドリームルリエ17号」はすでに乗り場に入っていた。

あとは一路大阪を目指すだけ。
途中のサービスエリアに出るまでもなく寝入ってしまった。

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です