さて、まさか名古屋で京アニ事件の模倣犯が出るとは思わなかった。
そして、それを全く重く見ていない名古屋市長も名古屋市長である。
「表現の自由」以前に「重大犯罪」が予告されたのだが、そっちはどうでもいいのか。こっちの方が余程やびゃあだろ。
ネトウヨに称賛されて舞い上がってる場合じゃないぞ。
「表現の不自由展・その後」で展示されている「平和の少女像」を、河村たかし名古屋市長が即刻展示を中止するよう求めると発表しました。
記者が現場から情報更新中です→https://t.co/zXHSR51rmD pic.twitter.com/0aM26DHVts
— ハフポスト日本版 (@HuffPostJapan) August 2, 2019
さて、その名古屋では実際に市電の車庫で放火事件が起きたことがある。
それは昭和26年、名古屋市電でも最後まで残った高辻車庫でのことである。
2月3日の朝日新聞名古屋版朝刊の社会面では、中段あたりで「車庫事情通の放火か」という見出しで写真なし4段で報じている。
どうやら、名古屋市電の高辻車庫で、2月2日金曜日の宵3時半頃、火災があったらしい。
火元は、車庫の真ん中に止めてあった1309であり、この電車は全焼し、周囲の電車も7両が半焼した。
状況からは放火と推測された。
その根拠としては、以下のようなものだった。
①車庫の各列の電車のレバーハンドルが抜き取られており、その列の後ろの電車が出られないようになっていた。
②出火場所が外部からは容易に発見しにくい場所だった。
③中央からの出庫で延焼を図っている。
④抜き取られたレバーハンドルが名鉄堀田駅の便所で発見された。
以上のことから、内部者の犯行ではないかと疑われた。
また、この「堀田駅の便所にレバーハンドルが置かれていた」という事実を「便所なら汚いから洗って指紋も流すだろう」という推測がなされていた。
また、複数人による犯行ではないかと疑われた。
そしてその日の夕刊。
見出しは「市電車庫(高辻)に放火」。
そして事件発生の旨が報じられている。
・・・が、ちょっと待って?
事件は既にこの日の朝刊で、まるで初めて起きた事件ではなかったように報じられている。
これはどういうことなんだろう?
時系列的に朝刊で事件の経過を報じ、夕刊で事件の発生を報じる、なんだか順番が逆じゃないか?
このようなことは、浅草の青酸カリ事件の時もあった。
このようなことはなぜ起きるのか・・・?
ともあれ、この夕刊で写真入りで深く報じられたところでは・・・
2日の宵3時半頃、市電の高辻車庫で電車が燃えていたのを巡回中の警察官が見付け、3時45分頃消し止められたのだという。
車庫内は禁煙であり、電車はポールを落としており漏電は考えられず、火元となった1309号電車からはボロ切れが発見されたのだという。
これは放火しか考えられなかった。
その日の始発電車の運転手など宿直者11名から事情を聞くなどしていた。
この事件の解決が報じられたのは週が明けた2月7日水曜日の朝刊となる。
高辻車庫の炊事夫が犯行を自供したのだという。
その28歳の炊事夫は、幼少の頃脳膜炎を患い、その後放浪癖が出来て無断欠勤することも再々であったという。
高等小学校を卒業して名古屋市内の工場で働いていたが計器を盗んでクビ。その後は職業を転々とした末に昭和23年に高辻車庫に入ったものの、頭が弱いせいか運転手も車掌もできず、炊事夫になっていたのだという。
その頃の名古屋市交通局の採用体系がどうなっていたかは分からないが「運転手も車掌もできないなら炊事夫」といった人事慣行はあったのだろうか。
いずれにしろ無断欠勤の多さも相まって、車庫の中では低く見られていたのは確かであろう。
犯行の日・・・というかその前日だろうか。
4時半に出勤すべきところ遅刻したので出勤しにくくなり、そのまま広小路まで出てパチンコをして300円使ったのだという。
そして1時頃車庫へ行くと従業員がみんな寝ている。
よし、電車に火をつけてみようかな。
瞬く間に燃え上がる電車を後に、東郊通りを南下して名鉄の堀田駅へ。
堀田駅から名鉄で新名古屋へ行き、国鉄の名古屋から大阪行きの普通列車に乗って、あてもなく東京~大阪を2往復。
そして碧海郡明治村和泉(現:安城市和泉町)の兄嫁の実家に立ち寄った所をお縄になった、ということらしい。
見出しは「容疑一号に炊事夫」??
そんなことは既に朝刊の時点で報じられていたことで、いまさら新しいニュースのように報じる事でもないような気がする。
それとも、昭和20年代までは朝刊より夕刊の方が先に印刷されて配達されてたとか?
ただ、朝刊と違うのは、朝刊が「明治村の兄嫁の家でお縄」となっていたところ、この夕刊では「5日夜に犯人を割り出し、6日朝に昭和区村田町(現:円上町)の自宅から昭和署に任意同行」となっている所である。
放浪癖があることはここでも報じられており、24歳になる妻が高辻車庫の裏手あたりにある夫の実家にいたので聞いてみると「明治村の兄嫁の家にいる」ということだった。
山下清同様、脳膜炎を患って放浪癖が出始めた、というタイプだったようである。
ことについでに、犯人を割り出した日の夕方、その高辻車庫では戦時中の焼夷弾が発見されたのだという。
とんでもない副産物去った。
・・・ということで、ダークツーリズムへ行ってみましょう。
あいちトリエンナーレのあった愛知県美術館の前は栄バスターミナルになっている。
高辻へは、頻繁に出ている基幹バスで行けるということであるが、冷房の効いたそのバスターミナルの中から出ているわけではなく、広小路の更に先の17番乗り場から出るという。
栄始発なら別に中から出発でもいいじゃんという気もするのだが・・・
(決死モデル:チームPメイ)
ところで、コスプレ大会をやっているということは先述したが、何もビキニのまま街を歩くことはないだろう。いくら肌色の0分丈のスパッツ履いてるからと言って・・・
それとも、そういうカルチャーなのか?
そして高辻に到着。
バス停は「高辻(北)」と「高辻(南)」に分かれており、高辻交差点の南にある市営高辻荘にちなんで南で降りる。
(決死モデル:チームPウメコ)
高辻車庫の跡地は現在市営住宅になっているが、そのことがちゃんと説明板に書いていた。
この東郊通から電車が出入りするようになっていたようである。
名古屋市電は昭和49年3月31日に全廃された。
その時最後まで残っていたのが、安田車庫とこの高辻車庫であり、最後の電車がこの高辻車庫に入庫したことをもって、名古屋市電76年の歴史が終わったのである。
何なら市営高辻荘の中庭的な高辻南公園に「名古屋市電の歴史此処に終ゆ」ぐらいの碑が建っててもいいのではないだろうか。
さて、ここに来てしまうと用件はそれだけになってしまうので、後は次の用務先に行くことにしましょう。
次は、赤池にある「レトロでんしゃ館」へ行くことにしましょう。
鶴舞公園まで基幹バスで戻り、鶴舞からは地下鉄鶴舞線で赤池へ。
乗った車両は名鉄車だった。
そして地下鉄日進工場の中にあるレトロでんしゃ館へ。
館内は親子連れで賑わっており、一抹の寂しさを感じる。
(決死モデル:チームYジャスミン)
こちら側は名古屋市電の連接車2000型、向こうは地下鉄の「黄電」100系となる。
手前の売店では地下鉄やバス関係のグッズも売っている。
売れ行きは結構いいようである。
また、市電の方向幕が伸ばされて展示しており「稲葉地」「沢上町」「八事」「名港」など、懐かしい?行先が並んでいる。
懐かしいなどとは言っても、自分は名古屋出身でもなければ、そもそも廃止の時点で生まれてもいない。
余談ながら、ジャスミンはTRS48の中の中の人唯一の「名古屋キャラ」である。(ただし、より正確には知多市)
こちらの地下鉄100系は、昭和32年の開業時の車輛であり、15mの好ましい形をしている。
子供の頃の「でんしゃのほん」で名古屋の地下鉄というと、必ずこの車輛だった。
ただ、名古屋のローカルニュースでは、この「黄電」は、「冷房が入っていなくて暑いことで知られていましたね」と散々な評価であった。
平成に入ってすぐまで稼働していたというが、この好ましいスタイルの車輛はどこかの地方私鉄で引き取り手は無かったのだろうか。
車内に入ると、まるで丹頂型の電話ボックスのような金属感を感じた。
ちなみに、個人的には誕生型の電話ボックスも全く知らない世代である。
そして今度は市電の方に行ってみようか。
市電は、いずれも名古屋市電らしい張り上げ屋根の1400型、2000型、そして連接型の3000型の都合3両が保存されている。
いずれも中を見ることが可能であり、当時の吊り広告が展示されている。
昭和30年の名古屋まつりの広告には「せいぜいご利用のほどをお願いいたします」と書いている。
「せいぜい」というのが名古屋弁の味を出している。
そして、全廃の広告も出しているが、最終区間は矢田町4~今池~市立大学病院~新瑞橋~昭和町つまり現在の地下鉄桜通線の今池~桜本町と、車庫に入る支線として大久手~安田車庫と、市大病院~高辻車庫~金山橋が残っていたようである。
では、事件で最初の火元となった1300型とはどんな車両であったか。
Wikipediaによれば、昭和4年に竣工した大型車で、その大きさゆえに入れる路線が限られていたので、全車高辻車庫に集められ、工員輸送に活躍していたのだという。
戦災で被災した車両は無かったという事であったが、昭和26年に前述の放火事件に遭っている。
結局、車両の新性能化が進むまで活躍しており、実に昭和46年まで減益だったのだという。
ちなみに、保存車両はない。
そんなこんなでレトロでんしゃ館を堪能し、後は帰るだけにしますか・・・
と思ったら、愛国さんが円頓寺会場にあるトランプのハリボテをお気に召さない御様子。
#あいちトリエンナーレ の会場でもある円頓寺商店街の展示物の一つ。
同盟国の大統領を愚弄する作品が芸術??
通常、作者名が書かれてる欄は「匿名希望」でさらにステッカーまで。
まるでどこかの国。
気分が悪い。。円頓寺商店街 @endoji_koushiki #表現の不自由展 #津田大介 pic.twitter.com/vqX8XINuU8
— SYU-HENKIKI・KOUJI (@SYU_HENKIKI) August 2, 2019
行く予定は無かったが、ここまで話題になっているのであればちょっと行ってみるか・・・
これはさすがに撤去になっていないようだし。
かつて名古屋欠損バーも行われた赤池からであれば、鶴舞線で丸の内で降りれば一本である。
という事で、丸の内で降りて円頓寺商店街へ。
堀川に架かる橋を渡ると、アーケードの付いた商店街では七夕まつりをやっていた。
青空カラオケ大会をやっている所に、そのトランプのハリボテはあった。
(決死モデル:チームR園田)
これを見て・・・ 何の批評性を感じるかと言うと、特に感じなかった。
面白いとも思わなかった。どうせ面白くないだろうと思って、最初は予定に入れなかったほどだ。
たぶんトランプ本人が見ようと、ゴリゴリの共和党員が見ようと、特段の感興は起きないのではないだろうか。
それをなぜ、日本人が先回りして「同盟国の大統領に申し訳ない」だのと忖度しなければならないのか。
そこまでアメポチになれる神経が分からない。あんたらそのくらいの情熱で自国民を守れますか?っていう・・・
そして屋台で牛串なんか食ってると、何やらマーチングバンドが近づいてくる。
曰く「ポッカレモン消防音楽隊」。
何でこんなネーミングになってるの???
地方公務員法では「私企業との隔離」は謳われていないのか???
公式ページを見る限りでは、以下の通りとなっている。
名古屋市消防音楽隊は昭和33年に発足し、昭和62年にはカラーガード隊「リリーエンゼルス」が結成されました。(中略)平成28年4月からポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社とネーミングライツ契約を締結し、「ポッカレモン消防音楽隊」の愛称で活動しています。
へえ・・・ そうなのか。
しかし何でネーミングライツなんだ。そんなに金に困ってるのか。
ただ、個人的な欲を言うと、カラーガード隊たるもの、白いストレッチブーツで、もう少し太ももボーンなギリギリまで短いスカートであってほしいな・・・みたいな。
さて、後はもう本当にやることがないので帰ることにしますか。
円頓寺商店街の浄心通側から名古屋駅に行くバスでもあればいいかな・・・ と思ったが、30分に1本で、それも出発地が結構遠い。
遠い所から来るバスは渋滞などで到着時間が読めない。そうなると、バス停の前のコメダで時間を潰していても暑い中で待たされるだけである。
かといって、国際センターから桜通線に乗る・・・?
と思って泥江町の交差点に行き、右を見ると名駅が見えるではないか。
こんなに近い所だったの!?
(決死モデル:トルソーさんのファラキャ)
ところでこの泥江町の交差点、「ひじえちょう」と読むのだという。
名古屋市電の停留所名にもあったようで、沖積低地を意味する「泥地」からきているのだそうな。
結局、名駅まで歩いて戻ることにした。
そしてあとは新幹線で帰るだけ。
その前に、名駅の名店街でラーメンでも食って帰ることにした。
しかし何だって名古屋で博多ラーメンなんか食わんといかんのか。
そんなこんなな名古屋弾丸旅行。