廃墟に野暮用

本日(11月24日)の小笠原諸島の天気予報は、所により曇りで、最高気温は24℃、最低気温は21℃です。降水確率は60%で、午後9時まで波浪注意報が発表されています。

2時ごろ、5時ごろと断続的に目が覚める。
結局6時に目覚ましで起きることになる。
昨夜は1時ごろに寝たので、眠い。

今日は母島で廃墟巡りをしたいのだが、こんなことでは事故にでも遭ってしまうのではないか。

しかし冷房を受けてなくても部屋がひんやりしているようになった。
亜熱帯のこの島も冬は近い。

そろそろ7時も近いので、母島桟橋に行くことにしたい。

ということで巉嶼ざんしょを走らせる。

外は雨が降っている。それに財布に持ち合わせがない。
これは神様が母島に行くなと言ってるのだろうか。
しかし、ははじま丸ならカードでも行けるはずだ。

桟橋に着くと、小学生の男の子たちがひしめいている。
何かのスポーツの父母戦だろうか。

ともかくもチケットを買う。村民割引で6100円。
まだ15分前より前なので、カードで買うことができた。

乗船には早めに並んでおこう。そうでないとカーペットが取れない。

果たして乗船してカーペットは取れたのだが、小学生の子供たちもこちらに来るではないか。
椅子に座ってればいいのに。

ともかくも、定刻7時半に船は出る。
こちらは昨日に引き続き、事件関係の要約をしている。中にはあの不気味な事件もある。
このおどろおどろしさを、子供達の迷惑なほどの声がかき消してくれている。

9時も過ぎると、母島の島影が見えてきた。

そして9時30分、母島沖港に到着。
サッカーの子供たちもぞろぞろと降りていく。

前まで無かったものとして、レンタサイクルがある。これは観光案内所に申し込めばいいのだろうか。
いや、自分でアプリをインストールして、クレジットカードを登録して乗るらしい。へえ、随分いいものができたんだね。
どうやら村の観光協会が内地のそういう会社と契約したらしい。
早速借りることにする。

さて、この時間まで朝食は何も食べていなかったので、どこかでカロリーメイトなり、パンなり買うことにしたい。
ところが、見事にどこもってないのだ。
これでは飢えるばかり。

まあそれは昼食に期待することにして、最初の来意である廃墟に行くことにしよう。
我が社の母島出張所が戦時中まであったのだ。
これが今どうなっているか。現状を確認しないことには予算も降りないという。
だからいわば私費出張みたいなもんだ。

集落の住宅地をすぎて、元地を出た所に獣道のような道がある。
ここを行けば何かしらあるんじゃないかと。
少なくとも、iPhoneで撮ればEXIF情報は記録されるわけで、後々の参考にすることができるはずだ。

獣道のようなところは最初だけだった。
あとはもう「ここなら行けるんじゃないかな」と思うようなところをいくしかない。

地形図では小川が流れていたので、そこが一つの関門になるだろう。
まさかコペペと小港海岸の間とか、西島のような深い崖になっているわけではあるまい。過去に通った人もいるわけだから。
そう思ったら、件の小川らしきものはあった。
上流側に行けばどうにか通ることはできた。

そしてあとは笹をかき分けて行く。
腐った木を踏み抜くと足を踏み外してしまう。なかなか危険な道だ。
それでも崖側にはフェンスが設置している。

しばらく行くと、コンクリートのような建物。
これが昔の母島出張所だ。

見た感じ、崖下の診療所に崩れ落ちるとかそんな感じではない気がする。
撮れるだけの写真を撮っていくことにする。

さて、あとはどうやって帰るかだ。
なにぶんにも、通れそうだと思う所をかき分けてきただけなので、元来た道を戻れているかは分からない。
さっきの小川はどうやって通ってきたんだっけ?こんな石垣みたいな所あった?

ともかくも、どうにか戻ってくることができた。
あとは山を降りるだけ。まだ10時半過ぎ。

しばらく、沖港の船客待合所せんまちで待っていることにしよう。

ところで、さっき大漁寿司がってないように思えたのだが、88カフェはどうだろう?
行ってみるとってない!?
いよいよ16時に父島に帰るまで何も食べれないという可能性が出てきた。

観光案内所の人に聞いてみると、大漁寿司はっているという。であれば安心。

しばらく日記を書いて、昨日来の懸案だった事件史ブログも作成してしまうことにする。

そんなことをしていたら、もう12時近くなってしまった。
いくら船が出ている期間とはいえ、大漁寿司が閉まってしまったらどうしようもない。

行ってみると、外に行列ができている。
どうやら入れないらしい。

仕方がないので、他の作業員と一緒に外で待っているが、会話が降っている。
村長がどったらこったらとかいう話。やはり狭い村なので、そのような話になってしまうのだ。
そういうのに耐えられなければ、転勤族として、あちらこちら歩くしかない。

どうにか12時過ぎに入ることはできたが、もうご飯はないという。
仕方がないので、ざるそばの大盛りを頼むことにする。

食べ終わったら、また沖港に行く。
もう電動自転車は返すことにする。

後は、事件史ブログをつけながら待つことにする。

そろそろ13時半も過ぎたので、乗船名簿だけもらっておくことにしたい。
桟橋で既に並び始めている。

また、乗るところに荷物だけ置いている。
このような場所取りの仕方は母島のカルチャーなんだろうか。
人の住むところにカルチャーはできるものだ。

そのうちどんどん人が集まってきた。
13時50分ぐらいに乗船が始まった。

どうにかカーペット席をゲットすることはできた。そして電源の近くなので、スマホの充電をすることもできる。
もう5%も切っていたので助かった。

そして14時、ははじま丸は出発する。
試合を終えたらしいサッカー部の子供たちも乗り込んできた。

外海は結構うねっている。
こちらは事件史のブログをどんどん AI に要約させてアップしているが、サッカーの子供たちはだんだん グロッキーになって どんどん 寝てしまった。

そして 16時、父島の島影が見えてきて 到着と相成る。

どんどん日は暮れていく。
ちょっと 三角広場で 何かつまみながら ジャンク タイム と洒落こもうかと思ったのだが、 まず生協が休みだということと、 もう日は暮れようとしている。
さっさと帰宅して巉嶼ざんしょを洗って夕食の準備とすることにしたい。

18時までしばらく時間があるので、その間にも事件史のブログを更新していくわけだが、自分でやっていて 何ではあるが、事件 なんてやはり 恐ろしい。
それで、 YouTube でふじわらのみいのチャンネルを聞きながら 更新していくわけである。
ふじわらのみいは能天気なので BGM には最適だ。

そして18時が過ぎたので夕食とするまる非常食のわかめご飯・キャベツ・ツナ缶・トマトスープ・サラダバーグ。

そしてまた事件史ブログの更新。
そんなことをしていたら20時も過ぎたのでさっさと風呂に入ることにする。

22時過ぎに風呂から上がる。
明日は現実がやってくる。4か月とちょっと、まだ息は抜けない。

しばらく資料用ブログをつけることにする。
公開を前提とした事件史ブログが始まるとなると、この資料用ブログの意味合いも違ってくる。
父島にいるうちに誰昭と中日ニュースを全部終えてしまえればいいが・・・。

あとはもう、23時がくる前に寝てしまうことにしよう。
来るべき現実に備えて。

今日の決死出演は5名(累計25名)。

 

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