台風2号はすでに通過し消滅している。
しかし伊豆諸島北部〜南部にはうねりが残り、波高は3mであるという。
今日の東京での最高気温は27℃であるという。
創価学会の信者だと言われている会社の誰だかと、50代生涯学習ニキと、一緒にキャンプに行くことになった。
脇には、聖教新聞がうず高く積まれている。
そのうち、本社での後任者(女性)も、そのキャンプに参加すると言う。ちなみに生涯学習ニキと後任者に面識は無い。信者だったの?
受け身に思いながらもキャンプに参加していると、その信者の人が顔にパックのように豆乳でレタスを貼っている。
そう思ったら目が覚めた。
時間にして、2時20分ごろ。
また寝ることにする。
そしたら今度は、どこかの島で鉄道事業をやっており、それが軌道に乗り始めたら、なぜか二等兵23-3がいるという夢。
ちょうど6時ごろ目が覚める。
しかし、洗濯は父上が洗濯中。
ほどなくして朝食となる。
納豆ご飯、もやしとほうれん草のごま油を和えたもの、そして昨日の余りのマグロの刺身。
マグロの刺身は、やはり味が落ちている。
そして、8時半の電車に乗るべく、8時20分に出ようと思ったが、父上に言われるまで気づかなかった。
1人で生活できないのは相変わらずだ。
ともかくも、8時半の西武拝島線に乗って高田馬場を目指す。
今回は、折りたたみ自転車(艮瘋号)を持っているので、なかなかの大掛かりな旅となる。
一応、コーナーを取ることができたのだが、小川のあたりで席は埋まってしまった。
小平から西武新宿線に入ると、田無・上石神井と停車していく。
アナウンスでは「上石神井で各駅停車に乗り換えましても、田無でお乗り換えの各駅停車と同じ列車となります」と言っている。
確かに、各駅停車に乗り換えるなら、座れる率が高い方が良いに決まっている。
そして、意外に楽に艮瘋を持てているので、途中の駅近にスーパーマーケットがあったら、ヨーグルトを何個か買うことにしたい。
調べてみると、高田馬場の駅近くにピーコックストアがあるようだ。
高田馬場を降りて、重い艮瘋を抱えながら、ピーコックストアに行ってみると、ギリシャヨーグルトもふんだんにあったので、6つ買うことにする。
後は、おがさわら丸の冷蔵ロッカーに入れて運ぶだけだ。
そして、山手線内回りの中の人となる。
新宿から座ることができた。
さて、この先のおがさわら丸をどうやって過ごそうか。
と言うことで、青空文庫のページをAcrobatに読み込んでオフラインでも読めるようにしたい。
手初めに森鴎外の「舞姫」「高瀬舟」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をダウンロードすることにした。
さて、山手線は浜松町に到着。
ここから竹芝桟橋に行くのである。
途中、桟橋の前のファミリーマートで、野菜サラダと裂けるモッツアレラチーズを買うことにする。
すでに、700番台の乗船は始まっていた。
こちらは、乗船券引換証を乗船券に引き換える。
そして、2階のお見送りデッキで決死する。
そんなことをしていると、いよいよ400番台の乗船が始まるので、乗り込むことにする。
今回は、5階からの乗船だった。竹芝っていつもこうだったっけ?
今回のベッドは上段。
しかし、上段の方が頭が楽だ。
後は、出航の瞬間をデッキで迎えることにしよう。
11時になると、ターレットでタラップが引かれる。
そのタップを運転している女性は、なんだか欠損バーのエコちゃんに似ているような気がする。
そして、そのターレット引く女性や、荷物を運んでいた東海汽船の社員が、お揃いのタオルで「いってらっしゃい」と挨拶をする。
さすがに、4月2日の時ほどの事は無い。
ここからは、電波が怪しくなるので、いちどオフラインのメモに書いてから、父島到着後、Google keepにコピペすることとしたい。
そして、ベッドに陣取るが、向かいのベッドの人が「ここに自転車を置いておくと危ないですよ。荷物置き場に案内します」と言ってくれる。
申し訳ないことをしてしまった。
それと、ヨーグルトはロビーの所の冷蔵コインロッカーに入れることにする。
やはりおがさわら丸は「生活の足」なのだ。
そして、昼食のモッツァレラチーズを何個か持って7階の「ラウンジ母島」へ。
まだ12時には早いので、ゼロコーラを飲みながら、さっきダウンロードした森鴎外「舞姫」を読むことにする。
しばらくすると、12時が近くなったので、非常食のわかめご飯にお湯を入れて昼食の準備とする。
そして、パクチーのサラダをまず食べる。コンビニサラダなんて久しぶりだ。
ひと通り食べ終わってデッキを見ると、テーブルが1つ空いていたので、そこに座り直して、引き続き「舞姫」を読むことにする。
森鴎外なので、京大の入試に出るような明治文語文である。
読んでみて思ったのは、格調高いイメージ分5分ではあるが、男同士の人間関係のめんどくささと、手が離せない時に限ってチャンスがやってくると言う間の悪さを感じた。
ところで、13時半現在、まだ房総半島からの電波が届くので、仕事関係のメールも入ってくるのだが、裏筑波特殊支店からの機器点検の出張の人が同じおが丸に乗っているようだ。
それより、今日の分の副業ブログをまだつけていなかった。
電波のあるうちに付けてしまおう。
どうにか4つつけることができた。
外は晴れているものの、かなり風が冷たくて、低体温症になってしまいそうだ。
そしてベッドに戻り、スマホを充電しつつ、今度は森鴎外「高瀬舟」を読むことにする。
時間にして、14時半ごろであるが、だんだん揺れが激しくなってきた。これがうねりというやつだろうか。
ベッドの中で読んだ「高瀬舟」であるが、京都で流刑を申し渡された罪人を大阪まで送る「高瀬舟」に乗る役人と、その船に乗る罪人の話である。
流刑がどうたらとかいう話なので、江戸時代以前の話となる。
役人の中には、なんでその罪人が罪を犯したのか聞いてみたいものもある。
主人公が、その話を聞いてみると、それは現代にも通じる貧困・介護疲れからくる自殺幇助とも言うべき近親殺人であった。
その罪人の生き方に触れるにつれ、何と自分自身が世俗への欲にまみれて生きているかを悟っていくというもの。
ちなみに、この「高瀬舟」は大正5年に出されたものであり、明治23年に出された「舞姫」とは違って、大分読みやすい文体ととなっている。
引き続き、ベッドの中で宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読む。
有名な作品であるが、これまで読んだ事はなかったのだ。
読んでみて感じたのは、貧困な日常、乱暴な子供の世界、そこからなぜか、銀河鉄道の中の人となる。
幻想的でなおかつ、悲しい話としか表現のしようがない。
現在、東北楽天イーグルスの応援歌で、「桜の果実(山形)を愛でる頃、銀河鉄道(岩手)は願い乗せ」と言う歌詞があるほど、岩手県を代表する文学となっている。
ちょっと、またデッキに出てみようか。
16時半が過ぎて、ロビーではiPhoneの電波が3つぐらい経っていたので、GPSの位置を見てみると、三宅島と御蔵島の間ぐらいとなっている。
デッキに出てみると、なんだかポツポツ雨が降っている。
しかし、空は半分位青空が見えている。
天気雨なのか、はたまた船の波しぶきなのか判然としない。
もし波しぶきだったら、iPhoneやiPadにかかった飛沫は塩分なので、錆びてしまうではないか。
ところで、このおがまるには、学校の生徒らしき一団が乗っているのだが、まさか小笠原中学校の修学旅行の帰りだろうか?
いや、それはないはずだ。
そうすると、小笠原高校が修学旅行に行っており、その帰りとかだろうか。
竹芝桟橋でダウンロードした青空文庫の本は全部読んでしまったので、読む本もないままに、iPhoneに入った「佐藤栄作日記」を読む。
昭和28年1月6日の日記には「朝鮮(原文ママ)の李承晩は言うほど反日ではなく、民族統一の方便として反日を使っているだけのようだ」と言う。
李承晩は李承晩なりに現実的に世界情勢を見ていたのだ。
ちなみに、昭和28年の1月なので、まだ朝鮮戦争は休戦前である。
しかし、あまりに船が揺れるのと波しぶきがひどいので、またベッドに戻ることにする。
ベッドの中では内田百閒「東京焼尽」を読む。
これは数ある終戦日記のうち内田百閒のそれである。
昭和19年11月1日以降のものは収録されている。
昭和19年の年の瀬ともなると、国民生活もどんどん逼迫してくる。
そんなことをしていると、すでに18時も過ぎている。
日のあるうちに、デッキで夕食としたい。
それで、いつもの非常食のわかめご飯・ツナ缶・スープを持って7階のデッキに上る。
そして、お湯を入れて波しぶきを浴びながらご飯ができるのを待つ。
ところで、18時半ごろともなると、一体どのあたりだろうか。
GPSの電波を拾うまで天美で決死したら、どうやら八丈島のあたりのようだ。
進行方向右側には、見事に八丈島が見える。
なんとなれば、青ヶ島まで見えないだろうか。
しかし、青ヶ島までは船で2時間かかったはず。
ここから2時間という事は、完全に日が沈んでいるはずだ。さすがにあきらめることにしよう。
またベッドに引き返して、引き続き「東京焼尽」を読む。
昭和20年に入ると、生活の逼迫はどんどん切実になっていく。
そのまま寝入ってしまった。
今日の決死出演は4名(累計30名)。