秋川収鋲

梅雨前線が相変わらず関東付近を横たわっているが、過ぎ去るだけだので、今後雨が降ると言う事は無いようだ。
最高気温も32℃まで上がると言う。

北朝鮮KCTV「録画報道:装飾家畜を大々的に育てる」より🇰🇵
見出しには「畜産経験」と書いているので、それを本業としていない事業所が畜産に乗り出すといった趣旨のニュースなのだろう。
まずは南浦市農村経済委員会にて。
ここはヤギの種畜場らしい。

こちらは恵山鉱物生産事業所。
従業員の食料のために、自分たちでヤギを飼わなければいけないらしい。
ところで左端のヤギのおまわりさんのようなのは何なんだろう。

例によって5時台に目覚める。
やはりこのエアーベッドの姿勢が理想的なのだろうか。
とは言え、昨日のような寝不足による倦怠感と言うのは御免被りたい。

今日は、檜原村の方に収鋲に行きたいが、出発は8時59分の新京成線で良いと言う。
それであれば、比較的ゆっくりである。

副業ブログや副産物ブログの下ごしらえなど。

そして8時59分の新京成線の中の人となる。
程なくして八柱で降りる。

そもそも、檜原村とはどのようなものであるか。
先日、八戸にダークツーリズムに行った時に昭和30年のデーリー東北をコピーしてきたが、そこに檜原村に関する記述があったので、ここで参考にすることにしたい。

昭和30年6月10日のデーリー東北には、以下のようなことが書いてある。

この当時で、すでに東京は人口7,800,000人を数えても世界第3位となっていたと言う。
その東京都に「中世期の村」「いまだに電灯もなく」「迷信と悪習が横行している」村として、檜原村は遠く八戸の人々に紹介されている。

その檜原村には、どのような演習があったのか。
曰く「寅の日の播種はいけない」
曰く「正月の17日と申の日に山仕事をすれば怪我をする」
曰く「村議会議員の選挙の告示日が三隣亡だったので立候補者がいなかった」
曰く「村議会選挙では誰も4番目の交流なかったので、仮の4番目を立ててすぐ降りてもらうことにした」
いくら東京に近いとは言え、人里離れた山奥であればそのような感じだったのだろうか。

また、血族結婚も多かったようで、50人のクラスに2人か3人の精神薄弱児がいたのだと言う。

そんな檜原村は、五日市の駅と「G自動車」のバスで結ばれていたと言う。
G自動車とは、昭和38年に京王帝都電鉄系の西東京バスが発足する前身の1つである五王自動車のことである。

そして新八柱から武蔵野線に乗る。
首尾よくコーナーに座ることができた。

車内では副産物ブログをつけるなど。

別に仕事を一生懸命やってるわけでもないのに、来年の自分の人事のことが頭をよぎる。
自分の行きたい所に現在いる人は、まだ1年目なのだ。
しかし、明るい材料があるとすればその人は定年を1年残している。
関東地方出身で引っ越し代が出るうちに関東に戻りたいという意志があれば、1年目でも来年自分が行ける目はあるかも知れない。
もっとも、自分の願いが叶えば欠損バーなどしばらく行くことはできないということになる。
かといって、そこ以外に行きたいと思える所も無いのだ。
おそらくは文句言われながらグダグダ仕事するだけ。

そんなこんなで西国分寺に到着。

西国分寺での乗り換え時間はさほどは無かったが、折よく青梅行きが来た。
最初はギリギリ座れる程度であったが、立川からガラガラになりコーナーに座ることができた。

そして拝島に到着。
拝島は駅ナカが充実しており、スイーツの店やらドラッグストアやらが入っている。
さすがは青梅線と八高線と五日市線と西武拝島線が交わるジャンクションなだけはある。

拝島は、五日市線の起点となる。
ここから五日市線に乗り換える。
五日市線は30分に1本だけのダイヤのようだ。

五日市線の0キロポストで決死した時に、どこかのおじいさんが一心に時刻表に見入っていた。
こちらは気にせず撮影することにしたが、このおじいさんは「あなた今こちらにカメラを向けたけどねぇ、私の常識が間違ってなければ、それは盗撮と言わないのかねぇ」なんて面倒なことを言い出さない人でよかった。

11時02分の武蔵五日市行きに乗ると、多少パリピな感じの社会人男女のグループが大挙して乗ってきた。

果たして、武蔵五日市に到着。
駅は、親子連れや若者グループで賑わっている。
全然山奥に行くと言う感じではない。
いや、山奥だからこそ休日賑わっているのか。

で、その賑わい方というのが尋常ではない。
藤倉行きと言うバスに乗るのだが、これは乗り切れるのだろうか。
比較的若い客層が多く、おそらくは30歳前後と言う男女がバスを待っている。
これは何かのグループなのだろうか。

ところで、今日目指す小林家住宅のモノレールは、発車の1時間前までに電話で予約しないと出て来れないと言うので、電話をして予約することにする。
こちらは満員と言うこともなく、すぐオーケーしてもらった。

結局、増便が出ることになり、そちらに乗ることになった。
バスは五日市の市街地を抜けて山奥に入っていく。

どんどん深山幽谷の趣を増していく。
比較的立派な日野原診療所を過ぎると、どんどん人跡未踏となっていく。

途中のバス停の降車ブザーが鳴る。
運転手が「天光寺を見られるんですか」と聞くと、そのアラサーのパリピグループはそうですと答える。
「それならば天光寺の前で止まります」とサービスをしてくれた。

アラサーパリピグループはほとんどここで降りた。
星はガラガラとなり、終点の藤倉を目指す。

終点の藤倉には、数件の家があるだけの停留所だった。
それでも、公衆トイレや待合室が整備されている。
ハイキングなどで、それなりに需要はあるのだろう。

さて、ここから先、モノレールの駅までは1.5キロあるのでそこを歩いていくことにする。
秋川源流のせせらぎを横に、ひぐらしが盛んに鳴く山道を歩いていく。

その間に、音声入力でブログをつけていく。

…と、モノレールの駅の近くにキャンプ場兼カフェがある。
Google マップで、ここにカフェがあるのはわかっていたので、ここで昼食としたい。

ここはインド料理が得意なようで、カレーを頼むことにした。
何の変哲もないようなカレーでも、1400円と観光地価格である。

秋川源流のせせらぎを聴きながらカレーを食べる。

この時点で、13時を過ぎていた。
モノレールの出発は13時20分なので、急いで乗り場に行かないといけない。

乗り場に行ってみると、ほとんどのお客さんは既に乗っていた。
運転する人は、モノレールについて説明をしている。
…というか、もう乗り場を締め切っている!?

「あの、すいません、予約させていただいてたんですけど」
ギリギリのところで、開けてもらった。

普通の席はもう満杯のようで、運転する人の隣に座らせてもらうことになった。
ギリギリであったが、ケガの功名である。

さて、モノレールを出発する。
ミカン山のモノレールのようなモノレールに乗るのは初めてであるが、ものすごい勾配である。
まるでジェットコースターのようだ。

こんなにたくさんの人が乗っていて、壊れたりしないんだろうか。
もしここでエンストでも起こしたらどうするんだろうか。

そんなスリルとともに、モノレールの中での13分間を過ごす。
予定では13分と言うことだったが、少し早く小林家住宅に到着。

いずれにしても、これにて東京都西多摩郡檜原村は収鋲という事で良さそうだ。(収鋲率:東京都93.5%、全国52.8%)

小林家住宅は、重要文化財に指定されていると言うことで、檜原村有数の観光地となっている。

案内のおばさんは説明をすると言うが、こちらは13時40分のモノレールで降りたい。

それで、ホームの方で待っていたのだが、13時40分が近づいてもなかなか動き出す気配がない。
やっぱりこれも予約してればよかったのだろうか。

もし13時40分のモノレールではなく、次の14時20分だとすれば、予定がかなり遅くなる。
別に帰れなくなると言うわけでは無いようだが。

仕方がないので、自分も説明を切ることにする。
説明のおばさんによれば、この小林家住宅に電気が通ったのは昭和33年なのであると言う。
昭和33年の頃、このおばあさんは小学校1年生であったと言う。
という事は、年代としては自分の母上と同じ位か。

しかし、観光ガイドだけあって「鬼滅の刃」を例にとって説明するなど、最近の情報は積極的に取り込んでいるようである。

そして、ひとくさりの説明が終わったところで「じゃあモノレールのおじさんを呼びましょうかね」と言うことになった。

時間にして13時50分ごろ。
下りのモノレールは、このようにひとくさりの説明が終わったら降ると言うことにしているようだ。

モノレールに乗ってみると、恐れていたほど勾配のスリルがあるわけでもなく、淡々と降りていく。

これで、モノレールの旅は終わった。
後は山道を降りて、バスで帰るだけ。

程なくしてバスは来た。
別に混むわけでもなく、そこそこの入りでバスは走る。

そして武蔵五日市駅へ。
檜原村から降りると、五日市でも大都会に見えてしまう。

武蔵五日市からは、東京駅に直通する「ホリデー快速秋川」号。
とは言ってもE233系の4編成なのだが。

車内は結構な入り。
遠足帰りとおぼしき小学生の集団もいる。

快速とはいっても、五日市線の中は各駅停車となっている。
2駅目が武蔵引田駅だった。

武蔵引田駅は棒線駅であるが、駅舎はなかなか良い駅舎である。
首都圏のローカル駅は、このような駅舎が多いように思えるが、これは東鉄局スタイルなのだろうか。

武蔵引田駅の周囲は空き地や農地が多い。
首都圏のまして「国電区間」の駅なら駅前に店の一軒もあってもよさそうなものだが。
再開発の予定が大人の事情で全然進んでいないようだ。

案の定といえば案の定、駅の近くの廃屋に近い家屋には「再開発反対」のような張り紙がある。

さて、ここからイオンモール日の出に向かって歩いて行くことにしましょう。
ここから1kmもない距離にある。

駅の近くには「公立阿伎留病院」という病院がある。
あきる野市の「あきる」とは、アイヌ語説があるのだが本当だろうか?

武蔵引田駅から大して歩かないうちにイオンモール日の出に到着した。
緑の森の中にあるイオンモール… といえば聞こえはいいが、その実まるで「草むらの中にある」といった方が実態に近いような気がする。

ともあれ、イオンモールであることには変わりはないので、大規模な店の中から幸せオーラが漂っている。

小作行きのバスには30分以降あるので、イオンモールの中の喫茶店でゆっくりしていようか。
幸い、充電する事もできる。
特にiPhoneのバッテリーは10%もない。

ここで写真を整理するなど。
小作行きのバスは17時02分なので、まあ16時55分ぐらいまではいることができよう。

結局、その時間までにiPhoneは31%まで回復した。
いい時間になったのでバス乗り場に行く。

…と、外は日が照っているのに結構な雨が降り出した。
バスは五日市や八王子などにどんどん出ていく。
さすがは首都圏だけのことはある。

いずれにしても、これにて東京都西多摩郡日の出町は収鋲としたい。
(収鋲率:東京都95.2%、全国52.9%)

果たして、数分遅れで小作行きが来た。
1日数本の系統で、この17時02分が最終となる。
それでも結構な数の客が乗っていた。

それも、中ドア後ろの席は充電ができるのである!
これはすごい。

ところで、この小作行きのバスは山奥の農村風景を行く。
畜産飼料用のサイロまであるとなるとガチである。

また、甲子園にも出た東海大菅生高校も近くにあるらしい。

秋川と多摩川の分水嶺を越え、下り坂となるとだんだん市街地が開けてくる。
そして小作駅西口に到着。

どうやら羽村市役所は、羽村駅以上にこちらの小作駅の方が近いらしい。
いずれにしても東京都羽村市はこれにて収鋲。(収鋲率:東京都96.8%、全国53.0%)
これで、東京都の島嶼部を除く全市町村を収鋲したことになる。

さて、ここから青梅線に乗りましょう。
ところで、小作駅というのは簡易ではない自動改札機があるのだが、それと同時に整理券発行機もあるのである。
どんな利用を前提にしているのだろうか。

また、ホームはすでにグリーン車の増結を前提として延長工事がおこなわれている。

そして立川行きが来たので乗ることに。
車内はガラガラ。それもそのはずで、夕方の上りである。

そして立川に到着。
時間はもう18時を過ぎている。

夕食はどこで食べようか。
階段を登ったところに神戸オムそばの店がある。
ここで食べてしまおう。

焼きそばとカレーセットで1,000円超え。

そして立川から西国分寺で乗り換えて武蔵野線に乗る。
武蔵野線でもコーナーに座れた。

あとはもう寝て過ごすだけ。

新八柱に到着し、全旅程を終了。
あとは八柱駅ビルのべローチェで副業ブログをつけるなど。

そして閉店の22時になったので、帰宅する事に。
最寄り駅に到着してからドラッグストアによる。
風呂掃除の問題があったのだ。
それで、使い捨て出来る紙の雑巾のようなものがあればいいと思っていたのだ。

結局、買ったのは「激落ちくん」と言うスポンジのようなものだった。
これできれいになるかどうか。

帰宅して、カッターナイフで掃除しやすい大きさに切ってから、使ってみる。
果たして、結構落ちた。これはいい。
そして、すぐに捨てられるというのがいい。

それを数日に分けてやれば、かなり綺麗になるはずだ。

ということで風呂に入ることにしよう。
KCTVの番組をまとめながら。

風呂から上がったら、0時を過ぎていた。
明日も早いのでさっさと寝よう。

今日の決死出演は9名(累計17名)。

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