体重の推移は以下のごとし。
体重は+0.6kg(前回比-0.4kg)、10回平均で+1.0kg(前回比+0.0kg)となった。
かれこれ1週間プールに行かないままになってしまった。
秋田といい頚城といい、旅行中はおにぎりからゴーゴーカレーから盛んに食っていたのだが、さしたる体重の増加にならなかったのは僥倖であった。
僥倖というかストレスがなかったから太らなかったということか?
ということで久しぶりに泳ぐことにしたい。
ということで中央区のプールへ。
(決死モデル:トルソーさんのラ・バルバ・デ)
1週間というものプールに行っていなかったということ、そして肩が痛いので「機械的泳法」どころではない感じがする。
それでも休憩時間まで一生懸命力泳。
プール自体は空いていて、コースを独占することができた。
結局、0.55kmを17分で泳いで表定時速は1.94km/hということになった。
ところで、今日は村崎百郎が気違いに刺された日である。
2010年7月23日のことだった。
だからきっと自分は東京で働いていたに違いない。
あの時のことを薄ぼんやり覚えているが、「電波系」という単語を生み出すなど気違いを飯の種にしていた村崎が、その「気違いに刺された」というニュースを聞いて、「御本懐でございましょう」と、まるで暴漢に刺されて「板垣死すとも自由は死せず」といった板垣退助に対し、治療に当たった当時の愛知県病院長・後藤新平がかけた言葉のようなことを思ってしまったのだった。
それから9年が経ってしまった。
その気違いは横浜市青葉区に住んでいたという。
ということは田園都市線の青葉台とかあざみ野とかそっちの方となる。
そうすると、田都で渋谷まで出てきて、渋谷から副都心線で新桜台まで行っただろうか。
副都心線はこの事件発生の2年前、2008年6月14日に開業している。
また、村崎の住所は、ネットで拾ったのだという。
中央区のプールからは、新宿三丁目で乗り換えることになるが、2本続けて新桜台方面ではない和光市行きが来たので、小竹向原で有楽町線方面から電車に乗り換えないといけない。
考えてみれば、小竹向原というのは長大系統となってしまった各方面への重要なジャンクションとなってしまったのである。
ともかくも小竹向原からは新木場から来た飯能行きに乗り換えることに。
周囲は閑静な高級住宅街の面持ちを呈していた。
現場となった自宅は駅から非常に近く、「大島てる」にも登録されている。
Googleマップで見ると、デイサービス会社が入っているように見えたが、現在はその看板が外されていた。
思いがけずダークツーリズムをしてしまった。