「人間機関車」浅沼稲次郎を偲ぶ旅

先進国で唯一、平均所得が下がるなどの状況でありながら、ここまで安倍政権が支持を集めているというのはどういう事だろうか。

よく聞く意見としては「野党には政権を任せられない」というものである。
民主党政権時の、野党時代に比べてトーンダウンした外交政策、労働組合を支持母体とする政党とは思えないほどの貧弱な雇用政策など、素人っぽさは確かに目を覆うものがあったのは否めない。
それでも、震災時には「枝野寝ろ」など、一定の評価はあったのではないだろうか。
別に、民主党(今でいえば立憲民主党?)に肩入れするものではないが、日本には強力な野党政治家がいないのではないだろうか。
過去を見渡しても、そのイメージに合致するの浅沼稲次郎が最後ではないだろうか。

昭和35年6月19日、「安保!反対!」の国会外のデモの怒声をよそに、日米安保条約は自然成立。
その前年に訪中した社会党の浅沼委員長は、北京で「アメリカ帝国主義は日米共通の敵」という発言を残し、国内で反感を買うこととなっていた。

そのような情勢の中で10月12日に日比谷公会堂でNHKの主催で行われた自民、社民、社会3党の党首演説会で演壇に上がった浅沼を、右翼少年が刺殺したのである。
その17歳の右翼少年・山口次矢おとやは未成年であるにもかかわらず最初から実名報道されている。

その後国会で行われた池田首相の追悼演説で「沼は演説百姓よ よごれた服にボロカバン きょうは本所の公会堂 あすは京都の辻の寺」と謳われ、「人間機関車」と渾名されたほどの馬力と、社会党共産党の意見を調整できるだけのバランス感覚を兼ね備えていた。
もし社会党が政権を取ったら、浅沼が総理大臣になっていたかもしれないと言う程の偉大な野党政治家であったという。

今の日本では、それだけの野党政治家が誕生しうるだろうか。
「長い物には巻かれよ」という忖度にまみれた今の日本では、そのような骨太なリーダーは出て来ようが無いのではないか。

今日の「事件現場を歩く」は、そんな浅沼稲次郎の足跡を辿ってみたい。
度し難き基地外フェチ野郎の自分でも、リベラルの血は流れている(と思いたい)。

まず、近所の図書館で「人間機関車・浅沼稲次郎」を借りる。
この本に関するレビューは改めて書くこととしたい。
決モトルソーさん霧島

そして、北千住でプールへ行ったのち、昼食を食べて、日比谷線で日比谷公会堂を目指すこととしたい。
食べるということに関しても浅沼にはエピソードがあったようで、Wikipediaによれば、

その巨漢に違わず食欲は天下一品であった。東京タイムズの政治記者だった早坂茂三は著書の中で、記者として浅沼の遊説に同行した際、記者団に用意されたカツ丼が人数の倍も置かれており、これに気付いたある記者が「ヌマさん、他に大勢来るんですか?」と聞くと、既に60代だった浅沼が「えっ、君ら一つで足りるのかい?」と言い、カツ丼2杯、味噌汁、漬物を惜しげもなく平らげたと明かしている[10]

とのことで、その浅沼にちなんでかどうかはともかく、東武北千住の構内の京都勝牛でご飯食べ放題の牛カツを食べることにしたい。

その後、遭難の地である日比谷公会堂へ。
おそらくここは昔とは変わっていないであろう。
決モチームWBノノナナ

表の通りから見る塔屋のようになった建物は「市政会館」であり、公園側から見たこちらが日比谷公会堂になるようである。

さて、次は浅沼が眠る多磨霊園へと赴きたい。
多磨霊園は西武多摩川線の多磨駅から歩くことになるので、東京駅から中央線で武蔵境へ行き、武蔵境から西武多摩川線に乗り換えることになる。

この多摩川線は現在でもローカル線然としていて、単線となっているが多磨駅は交換設備がある。
ただしローカル線らしく、跨線橋でつながっているわけではなく構内踏切である。
決死モデル:トルソーさん丸尾

西武鉄道の路線の中では離れ小島となるこの多摩川線は、明治の末頃に多摩川の砂利運びの鉄道として開業する。確かに、終点の是政駅は多摩川に近い場所にある。
これが西武鉄道に合併されるのは昭和2年のこと。

さて、駅を出るとやたら目立つのが石材店とお茶屋である。

多磨駅は多磨墓地への参拝客がメジャーな利用層となっているようである。
また、そのお茶屋の多くは、ガラス扉に「○○家」と書いてある。
これもまた、この多磨墓地前のお茶屋の一つの様式であろうか。

さて、そんなお茶屋群を通り過ぎると巨大な多磨霊園となる。
多磨霊園は大正12年、東京市の市域拡張と共に造成された霊園であるという。

有名人が多く眠る墓地であるだけに、事務所には有名人のお墓リストが備えてある。
そして五十音順にリスト化されていて、調べるのに便利になっている。
今日の決モは、殺された経験があるチームR園田

目指す浅沼稲次郎の墓は18区ということで、多磨駅側の入り口からはやたら遠い所にある。
それにしても見事な桜であることよ・・・

浅沼の墓は、霊園の北東側にある。
一度カメラも何も全てしまって手を合わせた後、撮影に入るがこの通りのド逆光である。
ここに眠る浅沼が、そのダミ声で「そのお人形さんは何かね? 簡単には撮らせないよ」と言っているようだった。

墓名碑も、目を凝らさないと読めないくらいである。

兎も角も来意を果たし、後は帰るだけとなった。

なにしろ霊園の北側だけに、附中の免許センター側を走るバスの方が便利なのである。

バスは、免許センターへのアクセス手段であるだけに、武蔵小金井駅から1時間に数本という便利の良さである。
決モチームWB小津麗

墓マイラーは覚えておいた方がよいであろう。

今まで全く分からなかったが、今日は国会前で森友問題解明を迫るデモがあるのだという。
この様なデモは、それこそ60年安保で、安倍首相の祖父である岸首相以来であり、これは歴史の偶然であろうか。

 

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