三江線を行く

廃線の危機に立たされている三江線に乗りに行くことにしたい。

ということで東京駅八重洲口から広島行きのニューブリーズ号。

ニューブリーズ号は中国JRバスと小田急バスの共同運行となっているようであるが、今回は小田急車。
決モチームRハナ

例えばこれがJR車だからと言って、ドリーム四国のようにプレミアムシートがあるわけではない。
広島ぐらいの長距離ならプレミアムシートを設けてもらえないだろうか・・・? いっそJRバスの単独運行で「プレミアムドリーム広島」とか、そんなのを。

兎も角もバスは夜の東名高速を順調に走る。

途中休憩は足柄サービスエリア。
決モトルソーさんラ・バルバ・デ

各地へ行く夜行バスが途中休憩している。
自分が確認した限りでは、高知行き(ドリームではなく)が休憩していた。
向こうは大阪行きのグランドリームであろうか。

足柄サービスエリアを過ぎたらあとは広島を目指すだけ。
焼酎を呷って寝ることにしたい。二日酔いにならない程度に。

次に目覚めた頃には大阪の吹田のあたりだった。
焼酎飲んで寝ただけに早い。到着まではまだしばらくある。

ということで西条駅に到着。
決死モデル:チームRスマレ

別にバスで広島まで行ってもいいのであるが、列車で行く方が早くて渋滞に会わないで済むので、列車で行ける所は行きましょうということ。
「はかた号」で九州に行くときも同様で、新宿から天神まで行くことは無く、必ず小倉駅で降りることにしている。

西条からは末期色の113系で広島を目指すことに。

それにしても貨物列車が多い。
やはり本州~九州間の物流の量は半端なく多いということであろう。

その中を縫うように、末期色の113系は行く。

瀬野には何とEF67がいる。
EF67ってまだ全機引退してないの!?
さすがに貨物街道だけあって、セノハチ越えの補機は残しておかないといけないということであろうか。

末期色の113系は朝の列車だけに、通学客というか部活の高校生?を乗せて広島へ向かう。

広島に到着し、芸備線に乗り換える。
決モチームWBミサメグ

キハ40は堂々5両編成である。関東鉄道のラッシュ時もかくやという長編成で芸備線を行く。
現在の日本のディーゼルカーで最も長編成ではないだろうか。
昔の国鉄であれば、10両以上のキハ58なんてのもあったのだが・・・
そのうち芸備線も広島口の電化の話があったりはしないのだろうか。
あ、いや、そういえば山口線の小郡~山口も5両編成だったかな。

いずれ、5両が必要なのはさっきの末期色同様、逆の広島行きの方であり、今乗るのは「送り込み」であろうから、ほとんどガラガラの状態で広島を出る。

下深川に到着。
ここで後ろの3両を切り離して、ここから先は2両で三次を目指すことになる。
決モチームRナオミ

なるほど。線路容量を圧迫せずに送り込む方法として、下り列車につないで送るというやり方だったのね。

下深川という駅は、掘割のような所にあり、さほど大きな駅ではない。
いずれ、ここが広島通勤圏の北の果てということなのであろう。

とはいえ、下深川から先も列車本数はそれなりに多く、中三田や吉田口で3~5分の停車時間があり、列車交換を行う。
決死モデル:チームR持田チームPウメコ

吉田口の駅の待合室には、地元の小学生が作ったと思しきカープの黒田のハリボテが飾っていた。内陸部にもカープの威光はある。

そして三次に到着し、三江線に乗り換える。
決モトルソーさんファラキャ

2両編成の車内はすでに満員であり、葬式鉄の雰囲気である。
客層としては鉄オタよりもハイキングのような中高年が多い。
ということで、まったく座れない・・・

三江線は噂にたがわぬ深山幽谷を行く。
さっきの中三田とか吉田口のような3分停車や5分停車があれば、写真を撮ることもできるのだが、そもそも列車本数があまりに少なすぎて列車交換すらない。

それでも「天空の駅」宇都井だけは写真に撮っておきたい。
運転士に聞くと、宇都井停車は30秒であるという。

それでも到着前にドアの前で構えておいて、到着と同時に車両の前へ行き、決死で撮影し、またキハ120に戻る!

そんなこんなで、写真に収めることに成功した。
後は石見川本まで行くだけである。

この辺りは列車が3~4往復しか来ないが、まったくの無人地帯である。
国鉄の赤字83線にも入っていたのであるが、代替交通機関が無いということで廃止を免れていたというだけである。
実は、現在のローカル線は当時の「赤字83線」以下の輸送密度しかない所が結構あるようである。

果たして石見川本に到着。
決死モデル:チームR園田

江津行きまでは1時間強あり、満員の乗客も、三々五々昼食をするなどしに石見川本から散っていく。

ちょうど昼となったこととて、自分も川本町内のどこかで昼食にしますかね・・・
ちょうど、駅から近い所に食堂があったので行くことにしたい。
地元客でひしめいたその食堂で、何か食べることにする。

江津行きが出るまでの時間では、町内の何かの観光地を見ると言う程の時間は無い。

石見川本はまた、江津からの区間運転の終点でもあり、乗務員の駐泊所もあり、駅舎はそれなりに大きい。

また、石見交通のバスも通っている。
これだけ人口の希薄な地域に、鉄道もありバスもありだと、共倒れになってしまうのだろう。
江津から川本や大田までは石見交通であるが、川本から先はコミュニティバスになっているようである。
最近のバスの流れはそうなってるのかね・・・
そもそも、アメリカも意外と交通機関は自治体持ちという所が多い。
2008年にアメリカに行った時も、例えばアルバカーキの近郊列車は、貨物鉄道の上を自治体持ちの旅客列車が走るという形態をとっている。

石見川本からは別の列車・・・ ということに時刻表上はなっているが、その実は三次から走ってきたキハ120がそのまま走ることになる。

ラストスパートの区間は江の川沿いに走る。
江津の1つ前の駅は「江津本町」というが、例えば島原鉄道の本諫早のように、町の中にあるわけではない。何だってまた「本町」などと付けたのか・・・

ともあれ、キハ120は江津に到着する。
江津駅舎は、昭和32年建築の1950年代情緒のある駅舎である。
そのうち、ここも分岐駅ではなくなる。
将来的には、小ぢんまりした観光案内書でも付いた平凡な駅舎になってしまうのだろうか・・・

江津からは益田行きのキハ121に乗っていく。
浜田もかつては江津のように、1950年代情緒あふれる駅舎であったが、惜しむべし2008年に改築されてしまった。
決モチームPみく

浜田を出て後も、日本海を右手に見てキハ121は山陰本線を行く。
山陰の海がこんなにきれいだとは思わなかった。

三保三隅ではキハ187系特急「おき」と交換する。
三保三隅は良い駅舎である。
決死モデル:チームPメイ

山陰本線の高速化に寄与している特急車キハ187はなぜあんなに平べったいのか。高速運転をするなら流線型の車体にでもしたらいいのではないのかという話を友人としたことがある。
友人曰く、「輸送量の少ない山陰本線では特急は2両編成で十分という考えがあるのではないか。とはいえ1両あたりの定員を増やしたいので流線型にしていないのではないか。一般的に高速運転で流線型が意味を持つのは95km/hぐらい空だという」のだそうで・・・

果たしてキハ121は益田に到着。
決モトルソーさんアハメス

向こうには小郡行きの「おき」が停まっている。
益田で驚いたのは、駅前に立派なマンションが建っていることである。こんなに立派なマンションはどういう目的の人が買うのだろう? 益田からだと山口に通うことも難しそうだし・・・

兎も角も、夕闇迫る益田から先は、キハ40で行くことになる。

奈古は昔は交換駅であったようだが、現在は交換設備が取り外され棒線駅になっている。
にもかかわらず、なぜか5分停車する。
まあ撮影する分にはそれは大歓迎なんだけど・・・。
決モチームTアンヌ

夕闇はどんどん迫る。
萩に到着する頃には、おそらく日が暮れて暗くなっているだろう。
決死撮影は夜は難しい。

果たして、東萩ではなく萩に到着。
決モチームWB嵐山

魁偉な木造駅舎の萩駅も、現在では単なる無人駅である。

夜撮りの場合、前髪のあるメンは特にピントを合わせるのが難しくなるので、デコ出しの嵐山ならどうにか撮れるかな・・・ と思ったら結局は大した寫眞は撮れなかった。
今や「市の代表駅」ではない萩駅の駅前は全く暗いだけに、駅舎を撮ろうにもバックからの光源があるわけでもなくほとんど撮影はできず。

萩駅からは、東萩へ行くバスを待つがこれは新幹線連絡で小郡から来るという長距離系統。
数分遅れてきたと思ったら、低床の路線バス車であった。

一度、萩バスセンターで降りてみる。
なかなか立派なバスターミナルであった。
決モチームR小沢

バックがスーパーマーケットで光源があったおかげか、さっきの萩駅の決死よりもきれいに撮ることができた。

後はスーパーマーケットで酒を買い込み、東萩駅前の宿へ・・・

 

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