オウムの7名が拘置所を移送されたことで、ここで一気に死刑執行になり、近年例を見ない大量の執行という話になっているようですが・・・
地下鉄サリン23年 執行準備か分離目的か オウム死刑囚移送に広がる観測 https://t.co/f6nqVGQr2r
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2018年3月20日
実は、一挙に23人の死刑執行命令書にサインした法務大臣が過去にいます。
それも、数珠を片手にポーズを取って、並み居るマスコミを呆れされたというおまけ付き。
その名は田中伊三次。
それは昭和42年10月のこと。
Wikipediaを拾い読みする限りでは、
法務大臣在任中の1967年10月13日、大臣室に新聞記者を集めた上、数珠を片手にポーズを構えて23人分の死刑執行命令書に署名し、記事にするよう要求。しかし、あまりに悪趣味な田中法務大臣の行動に記者たちは呆れ、産経新聞のみが写真つきでこれを報じた[6][7]。
なるほど10月13日か・・・
ということで、ちょっと国会図書館に行ってその産経新聞を見てみようか。
最近また国会図書館に行く頻度が上がったような気がする。
(決モ:チームYジャスミン)
さて、昭和42年10月の産経新聞のマイクロフィルムを借り受け、リールを巻いてみてみる。
10月13日は・・・
無い。
では、翌10月14日は・・・?
ここにも無い。
以下のページを見ると、10月16日であるとする説もある。
さらに10月16日には新聞記者を集めて、うずたかく積み上げられた書類を指さして「23人の死刑囚の方々の執行命令にサインしました。このことは新聞にお書きになっても結構ですよ」と言った。このとき同席した秘書官は、苦り切った表情をしていたという。
各社の新聞記者達は、このことを公表したら、自分たちも法相と同じレベルになってしまうと、無視することにしたが、サンケイだけは「公表して、世間とともにその無神経さをわらうべきだ」と言って、カメラマンを呼び寄せ、法相がサインするポーズをするのを撮影させている。(撮影の時に法相がとったポーズは、左手に数珠・右手に赤鉛筆を持って、机に誕生仏を置いて、深刻そうな表情でもってサインする。という「図」だったそうである)
そしてまた、「~だそうである」という伝聞形なので、この著者の方も実際の報道は見ておられないようである。
実際、10月16~17日の産経新聞を見てみても、それらしいニュースは無い。
しかし、日本の死刑は密行主義で、執行があってからその事実が「関係者によれば」という形で伝えられる程度。
このサインによって行われた初めての執行でそれが報じられたのかもしれないということで、11月のリールまで借りて読んでみたが、一向にそれらしい記事は無い。
産経にしても、一応写真は撮ったもののお蔵入りにしたのだろうか・・・?
それとも、写真ニュースか何かで使ったのだろうか。
そのあたりは、今回当たってみたところではまるで分からなかった。
さて、ではその田中伊三次が厳かそうにサインをした当時の法務省を見てみようか。
法務省の赤レンガ庁舎は、1994年までは実際に本省庁舎として利用されていたようであるが、新しい庁舎が完成したためにこちらは法務図書館としての機能だけ残しているのだという。
この庁舎で決死するのは実は初めてではなく、前回は同じデカレンジャー出身のウメコ(P)で行っている。